2024年11月22日

終日ノ~ビリ

どうもこういうこと書くのははななだ不都合なことだと思うのだが、私はバカだからつい書いちゃう。まっ、良いじゃないの。机の窓越し、向いの山の鬱蒼とした木々はピタッと止まっている。まだ午後二時過ぎだというのにドン曇り。夕方のよう。他にすることね~のかよ~!と非難されそうな気がするが,何も無いのだ。トホッ!傍らに愛猫タマちゃんがスヤスヤ寝息をたてている。私はこう言う一時が好きだ。人によると,じっとしていられないという方が居る。私仁はそう言う人の神経はまるで理解できない。こんな幸せな一時は無いではないか。机の前の窓越しに鬱蒼と茂る山を眺め続けている。

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2024年11月20日

無為の幸せ

雲水修行時代のことだが、矢鱈人恋しがる方が居た。常に側に人が居ないと、いたたまれない様だった。これを傍から見ていて、実に不思議に感じていた。ほかにすことね~のかよ~!きっと無いのだろう。はた迷惑ったらありゃ~しないのだ。逃げ出したいところだが立場が上の人だったから、逃れようが無いのだ。お陰様で早く死んでくれたので良かった。こんな事を言うと、随分酷いことを言うと叱られそうだが、実際そうだったのだ。屹度仏さんがバチあてたのだと、今でもそう思っている。私は今年80才になるのだが、一人机に向かっているときが一番好きだ。窓越しに向いの山の鬱蒼とした木々を飽きずに眺めている。

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何時も傍らにタマちゃん

机の右、窓際は幅二尺ほどの棚になっていて、そこへいろいろなものを置く。そこへ、愛猫タマちゃん用に丸い寝床を置いて、いつでもゴロンと寝られるようにしている。タマちゃんは此処が大のお気に入りで、閑さえ有れば此処へ来て、丸くなっている。その姿がいかにも幸せそうで、傍から見ていてこっちも幸せになる。もう数年前になるが、保健所のホ~ムペ~ジに、いつまで経っても貰い手が無い一匹の猫が居た。オシッコポタポタが禍してである。雲水の一人がこの画面を見て,この猫ちゃんうちで貰ってあげたらどうでしょうかと言ってきた。ウン良いんじゃない!直ぐに灰色に黒いシマ模様の小さな猫ちゃんがやって来た。「タマ」ちゃんという名前にした。ご存じサザエさんちの猫の名前を拝借したのである。オシッコポタポタは動物病院で手術して直ぐに治った。それからもう数年が経った。今も傍らのふかふかの寝床で丸くなって幸せそうに寝入っている。ほぼほぼ幸せなのだが一つ問題はタマちゃんにはお友達がいないことである。僧堂は広い境内地で塀に囲まれ他所の猫が遊びにやって来ることなどほぼ無い。故に孤独なのだ。何時も私の部屋の傍ら、窓際の丸いふかふかの寝床でお日さんを浴びながらすやすや寝ている。その超幸せそうな姿を眺めて、こっちも同時に幸せになる。

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2024年11月13日

自然に消えた

ブログを途中まで書いていたら突然消えた。な~るど!と気がついた。あまりにもくだらない文章だったから、仏さんが消したのだ。もうこの先書けなくなった。当然である!これ一重に仏さまのお示しである。と言いながらも、なお無駄な抵抗を試みて、書こうとするバカ!付ける薬は無い!トホッ!居室の机窓越し、向いの山を飽きずに眺めている。微かに揺れている。強い日差しを受けてキラキラ輝いている。毎日この眺めを飽きずに見続けている、バカ!トホッ!

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孤独の幸せ

お忙しく日々働いて居られる方がこんな話を聞いたら、横っ面張り倒されそうだが、雲水は別にして、私は終日無為なのだ。これが私にとっては何より幸せなことである。人によると孤独は堪らんと言う人が居るようだが、ああいう人の気持ちは、私には全く分からない。矢鱈人を呼んでは、何を喋るのか知らないが・・・、孤独くらい幸せなことは無いではないか。居室の机の向いは山である。鬱蒼とした森の木々が微かに揺れている。日に照らされて葉がキラキラ輝いている。何の変哲も無いこの景色が、私は一番好きだ。ジ~ッと飽きずに眺めている。

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