2006年02月20日
問候(もんこう)
季節の節目に挨拶に伺うことを問候と言う。今日は京都建仁寺へ恒例の問候に出掛けた。前管長湊素堂老師が鎌倉建長寺より転住されて以来、嘗てお世話になった連中十数名相集い新年のご挨拶をかねてご機嫌伺いにお邪魔している。老師とはお互い言いたいことを言い合って楽しい一時を過ごすのが楽しみであった。しかし十四年前病に倒れられ、爾来顔を見合わせ無言のうちにお目に掛かるという事になってしまった。それでも皆尊顔を拝するだけで有り難いと思い相変わらず集まってくる。修行の師弟関係というのは特別な思いがあるのだ。ところで私の場合はどうなのかと思った。二十四年間も永きに亘って会いに来てくれる弟子はいるだろうか、多分おるまい。徳の違いを認めざるを得ない。何か深く考えさせられる一日であった。
投稿者 zuiryo : 2006年02月20日 19:22
コメント
本物とは何だろうか。普通の人間は本物には慣れないのだろうか。徳の違いとは。どうすればいいのだろう。一生懸命に尽くしても解って貰えないのはやはり徳が無いからなのだろうか
投稿者 葉月 : 2006年02月21日 00:32