« 2006年02月 | メイン | 2006年04月 »
2006年03月31日
左手だけのピアニスト
或る雑誌で舘野泉氏の手記を読んだ。氏はフィンランドでのコンサート直後脳溢血で倒れ、右半身不随の大病から見事立ち直られ、左手だけのピアニストとして復活された経緯が克明に記されていた。文中「・・・音楽家に育った私にとってピアノは空気のような存在だった。ピアノこそが私と外界とを繋ぐ紐帯だった。聴衆の生の反応を感じ取り、又新たな音を奏でてゆく、それが私の人生の喜びだった。演奏活動に戻れない、それは私の人生の終わりを意味した。」「動ける範囲は狭まっても、左手だけの演奏になっても私の作る世界は変わらない。病を経て、私は演奏活動の原点に戻れた。音を奏でると、そこから光が少しずつ見えてくる。」その外にも沢山琴線に触れる言葉があった。こういうのを読むと心の底から勇気が湧いてくる。
2006年03月30日
春雪
午前3時半頃より激しいぼたん雪が降り続く。ハチにカッパを着せその中を散歩、さしている傘が雪の重みで腕が疲れた。そのまま午前中降り続きあっという間に数センチの積雪となる。寒風吹き抜け身を切るようである。ちらほら咲き初めの桜に雪が積もって不思議な景色になった。ところが午後から急転、春の日差しが雪に反射してまぶしいほど、あっという間に雪も解けた。澄んだ空気に鶯の声が響き渡り春は一進一退である。早く温かな春が待ち遠しい。
2006年03月29日
桜
今年は3月に入ってからの寒さが影響したせいか、例年に比べ桜の開花がやや遅い。そう言えば庭の鶯も今年は遅かった。漸く今頻りに鳴いている。私は30年来日記を欠かさず付けているので、例年と直ぐ比較できる。最近は10年連記のものを使って居るから一層違いが良く分かる。ところでうちの桜は総門外の路地に沿って数本植えられている。近年樹精がとみに衰え道路上に伸びた枝が自然にぼきぼき折れて落下。これは危険ということで雲水と梯子を掛けて切り落とした。いっそ根元から切り倒そうかと相談した所、門前辺の住民から、「和尚さんそれは止めて下さい。さびしいですから・・・。」と申し出があり、当分は様子を見ることにした。ぱっと咲いてぱっと散る桜は大和ごころの象徴のようなものだから、駄目になったら又新に植え直そうかと考えを改めたところである。
2006年03月27日
土屋輝雄・禮一父子展と講演を聞く会
昨日は早朝より貸し切りバスで、奈良の万葉文化館で開催されている表記の会へ一行37名で出掛けた。先生ご夫妻にお目に掛かるのは2月祝賀会以来久しぶりである。約3時間で石舞台古墳に到着、見学後近くで昼食、やや曇り空だが大変気持ちの良い穏やかな春の陽気であった。1時過ぎ文化館に到着、外観はさほどに見えなかったがいざ中に入ってみると規模も大きく中も素晴らしく驚かされた。土屋先生の父上は画家として中央へ出られることもなく、養老で遂に一生終わられた方だが、デッサン力の緻密さ正確さは若冲を彷彿とさせる。こうして父子展を拝見しながら、親孝行というのはこういう事なのだと感じた。その後の先生の講演も含蓄の深いお話で自分の修行にも何処か通ずるものがあり肝に銘じた。
2006年03月24日
卓宗会(たくじゅうかい)
私の元で修行した者達が作っているOB会の名前が卓宗会である。私も瑞龍寺にやって来て24年になる。その間僧堂で修行した者が大分多くなってきた。10数年前、朝の勤行中突然急性心筋梗塞で亡くなった卓宗と言う名前の雲水が居た。そこで彼のために毎年集まって供養しようという話が出て、出来たのがこの卓宗会である。昨日もまず皆で供養のお経を読み書院で茶礼、その後会場を市内のホテルに移して懇親会となった。私も既に64歳の老人になったが、嘗ての雲水達も当時の紅顔の美少年が白髪頭のいい年になってしまった。道場はいわば精神世界の戦場みたいなものだから、共に若い血をたぎらせて取っ組み合いした戦友である。想い出はいつまでも懐かしく頭から消えるものではない。私は家族がないから弟子達が息子のようなもので年々この集まりが嬉しくなる。お互い健康で又来年集まろうと言って別れた。
2006年03月19日
お能
名古屋能楽堂へ宝生会50周年記念のお能を観に出掛けた。ちょっと知人も出演されるで是非観てみたいと思っていた。能舞台での演者の所作、間合い、声の質感などさすがプロは違うという感じだが、我々素人にはあの余りの緩やかな動きにはちょっとついて行けないと思った。現代社会は何事によらずハイテンポだからこのギャップに戸惑う。能は和製ミュージカルと言えるわけだが、前日のレ・ミゼラブルとの違いは何なんだろうかと思った。そこで感じたのは狭い椅子にぎっしり観客を詰め込んで観せるやり方に問題があるのではないか。ああいうのは畳を敷いた所でめいめい勝手にあぐらを組んで、じっくり腰落ちつけお重でも広げて一杯やりながら、ほろ酔い加減で観たらどうだろうか。こんな事を言うと、「バカもの!」と言われそうだが、しかし何百年前の見物はそのようにしていたのではないか。先ずは見る者の心境があのテンポになってからでないと、舞台と観客の一体感は生まれないと感じたのである。
2006年03月18日
レ・ミゼラブル
過日、俳優の滝田栄氏が寺に来られ、その折りレ・ミゼラブルの舞台を14年間勤められた話を聞いた。このミュージカルは演ずる者にとっても大変ハードで、14年間でくたくたになったと仰った。しかしその充実感は苦労が多い分だけ一層身に迫って感ぜられるということだった。公演が終わって舞台挨拶に出たら全員総立ち、スタンディングオベーションで30分間拍手が鳴りやまなかったそうだ。この時身の毛がよだつほどの快感を味わったと仰っておられた。これは一度見に行かねばならぬと感じた。あの少女コゼットの看板もロンドンでは馴染みのもので、一層親しみを感じていた。日本では1987年帝国劇場で初演以来19年間も続いている。さて感想はと言えば、「素晴らしかった!」の一語に尽きる。観客の大半は中年の女性ばかりで少々気が引けたが、出演者は日によって代わるそうだから機会があれば又見たいと思った。
2006年03月16日
E氏の来訪
半年ぶりにサンパウロのE氏ご夫妻とお嬢さんがやって来た。昨年はインド仏跡巡拝や夏には中欧旅行もご一緒させて頂いた。人間人柄が第一と言うが、皆さん誠に気持ちの良い方達である。今回は少しばかり大衆禅堂で坐って頂いた。企業の第一線を離れてから新に農園事業を興され苦闘の日々、既に古稀を過ぎてなお矍鑠としておられる。仕事を離れ悠々自適の人生など何の生きがいがあるか、と言う根っからの仕事人間である。私もこの生き方は大賛成だが、少し肉体労働のハードなのが気がかりである。E氏とは全くひょんなご縁から親しくさせて頂き、こうして交流できることは私にとって得難い巡り会いである。心に柱を持って生きている人は矢張り何処か違う。
2006年03月15日
スケッチ
親戚の者が夫婦でやって来た。亭主の方は悠々自適の年金暮らし、趣味の一つがスケッチと言うことで市内近くの山裾にある松尾池へ出掛けた。対岸に白川村から移築された合掌作りの民家が誠に風情良く建っている。日差しは春本番だが風はまだ冷たく、背中に朝日を浴びながら午前中一枚描き終えた。二時間少々だがあっと言う間に時間が経つ。絵はへたっぴーだが夢中になって描いている時は本当に幸せを感ずる。絵は大体百枚描けば何とか見られるようになるそうだ。「詩三百」とも言う。漢詩は三百くらい作ると会得できると聞いたことがある。どちらもまだ遠く及ばないが「カタツムリ登れや登れ不二の山」で、根気よく頑張ろうと思っている。
2006年03月11日
早食い
私の早食いは夙に有名で一緒に食事をした人は大抵目を丸くする。ゆっくり噛んで食事する人を見ると、「もたもた何時まで掛かってるんだ!」と軽蔑していた。ところが昨年10月頃より胃がムカムカし出して何とも気分が悪い。心配になり胃カメラや最新のペット検査まで受けたが、「まっ、胃酸過多症ですな。」で終わり。そこでこの自慢の早食いがいけないのだと考え、爾来一口100噛みを実行している。昼食のざる蕎麦でも100回噛む。人は、「蕎麦の味は喉越しではありませんか、そんな食べ方では不味いでしょう。」と言う。そう言う既成概念に囚われているからものの真実が見えないのだ。蕎麦一口100噛みしてご覧なさい、実に旨い。更に「イートメディテーション」をしている。これは全神経を口中に集め,目は半眼に閉じて、ひたすら噛んで噛んで噛みまくると、これがまた実に良い。「そりゃ~やり過ぎだね!」と人は言うが、何事も徹底するのが禅僧である。しかし奥歯がすり減って角が尖って頬に当たって痛くなったので歯医者で削って貰わなければならない羽目になったから、矢張りほどほどが良いようだ。
沈黙の伝道師
ある小説に「沈黙の伝道師」が登場する。この修道院では行が進んで来ると、以後一切の言葉を発しては成らないという厳しい掟がある。時折街の広場に出掛けて只ひたすら沈黙して佇み人々に教えを伝えるのである。この不思議な伝道師に私は大いに感ずる所があった。近年は巧みな話力で人々を魅了し道を伝えて行くことが優れた宗教家だと言う評価が専らだが、禅僧の場合は少し違うのではないかと思う。百万言を尽くしてもなお伝えられない真理を如何に伝えて行くか、これが役目だと考えるからである。ある心理学者が悩める人を救う唯一の方法は「何もしないことに全力を挙げることだ」と言っていたが、この意味は深い。言葉は一時の痛み止めには成るが根本治療にはならないからだ。「道(い)い得るも三十棒道い得ざるも三十棒」という禅語があるが、その狭間で七転八倒しながら歩む日々の行こそ迫力を持って直截に伝える事になると信ずる。自然に学べとは良く聞く言葉だが、早春の寒風に芳香を放つ梅を見ていると知らずこんな風に思えるのだ。
2006年03月09日
石垣島
石垣島へ5日間ほど行ってきた。連日真夏のような暑さ、思いっきり泳いだり海辺を散策したり読書に明け暮れた。南国の海の青さは独特のブルーで、真っ白な砂浜を歩きながら眺めているだけでも気持ちが良い。お陰で顔が真っ黒に日焼けした。しかし一つ解ったことがあった。時間の殆どを読書に充てたのだが、これもほどほどですっかり肩が凝ってしまった。日頃忙しい時間の合間をぬって読書してこそ身に付くのである。一辺にまとめて片付けてやろうなどと言う根性が間違っていた。日々こつこつと努力することが何より肝心だと改めて思い知らされた。