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2006年06月30日
山登り
今日は把針灸治、先ず洗濯をして、棚の整理、頂き物の梅干しを瓶に入れる。午後久しぶりに山登り、何時降り出すか分からない天気模様、今のうちにと早めに出掛けたのが功を奏して、帰って部屋に入ったらざあざあ降り出した。気温は26度だがその割には蒸し暑い。把針灸治は殆ど雲水は外出するから境内はし~んと静まりかえっている。塩野七生著「ローマ人の物語XIV」を読む。夜は7時から絵の稽古。明日は午前2時半起床で祝聖行事、このところ10時半に就寝、午前1時か2時にはいつも目が覚めてしまう。こういうのも老齢化らしい。やたらこの言葉が飛び交うが、負けて成るものかと頑張っている。ところで体脂肪や体年齢が表示されるヘルスメーターがある。先日一つ上の友人が何と43歳と出た、私は53歳。これでも実年齢より10歳も若いのだが、負けてしまった。くやし~い!
2006年06月29日
飛蚊症
この間は歯がボロッ、今日は飛蚊症、年は取りたくないものよ。数日前から目の前を蚊が飛ぶ、なんじゃ、こりゃ~変だぞ。10年以上前から血も涙もない目になって定期的に眼科へ行っている。そこでこの一大事を言うと、「まっ、老化現象ですな!永久に治りませんがそのうち気にならなくなりますよ」だと。昨日は親しくしていた86歳の総代さんが亡くなられた。早速枕経に出掛けた。相当悪いと聞いてはいたが矢張り亡くなってしまった。独特の雰囲気を持った方で随分お世話になった。というわけでこのところ公私に亘ってろくな事はない。人生照る日曇る日と言うが、曇りっぱなしだ。
2006年06月28日
歯がボロッ
甘夏の房を前歯で噛み千切っていたらボロッと歯が折れた。なんだ~!早速かかりつけの歯医者さんへ行き、取り付け治しして貰い安堵。昨日は校友会へ、30数名の寂しさ、遠くは長崎や東北の岩手から2日がかりで来てくれる者もあるのに、目と鼻の先でも知らんぷりだからやんなっちゃう。この恩知らずめ!逸外老師や柴野先生、谷老師など、思えば随分お世話になったものだ。遥か昔の様々な事が想い出されて、年に一度の墓参りである。しかし折角万障繰り合わせて遠路集まったのだから何か他に良い趣向はないものか思案中。今日は午後から尼僧堂へ習字を教えに行く。全員コチコチ、これって何とかならんものか。幾つになっても一生懸命な姿を見るのは良いものである。
2006年06月25日
安居会(あんごえ)3日目
前日同様の日程で午前8時から講座、無門関第34則、「智不是道」昨日殆ど講じ終わっているので今日は心に関係した話をする。以前、唯識学者太田久喜先生から伺った話し。ある清掃会社の社長さん、請け負った大学教室の清掃に出掛け、教室に入り黒板を見るなり止めどもなく涙が零れてきたという。実はこの社長さん大変貧しい家庭に育ち、下に続く兄弟のために中学を出て直ぐ働きだした。しかし夢は何時かは高校・大学へ進んで勉強したいという事だった。そう言う永年の願望が黒板を見た途端に湧き出て思わず涙が零れたわけである。人は決して単なる物質として見ているわけではなく、物は心の投影であり鑑である。つまり天地自然をありのまま心に写せば、真理は語りかけてくるのである。その為には一点の曇りもない心にしておかなければならない。以上が本日提唱の要旨。午後には全員引き上げ又もとの静けさに戻った。
2006年06月24日
安居会2日目、御利益
安居会2日目、御利益でこちらも午前5時起床、洗面掃除を済ませて直ちにハチの散歩、段々暑くなってきたから早朝涼しいうちに連れて行かなければならない。こちらの目的はおしっことうんち、ハチの目的は拾い食いだが、背後から「ハチ!おしっこ!うんち!」と呪文を掛けながら歩く。以心伝心というか、そうすると必ずする。不思議なものだ。午前8時から講座、午後から水泳、帰ってからは10数年来書き続けている茶道誌の原稿書き。ネタ切れの危機、使い切った歯磨きチューブを端っこからペンチで絞り出すような気分。今日は「何故インドで仏教が亡んだのか」について一応何とかまとめた。夜窓を開け放っておくとそよそよと風が入って実に気持ちが良い。「戸締まり用心火の用心」というが、お寺は若いもんがうろうろ居るからへいっちゃらである。
2006年06月23日
安居会(あんごえ)
岐阜西教区では相当以前から教区主催で安居会を開催している。これは一種の救済措置的なもので、本来は僧堂で修行すべきところ代わりに2泊3日の講習会で済まそうというものである。余り歓迎した事ではないがいろいろな事情があってやむなく続けているのである。例年会場を提供し私が講座を担当しているのだが、何を提唱して良いやら戸惑う。本人の気持ちさえあれば、どんな事情でも僧堂修行は出来ると思うのだが、これが現代宗門の実情である。ところでワールドカップ、今朝はブラジルにこてんぱんにやられて口惜しいの何のって、まっ、横綱と褌担ぎの差ですな、あれは。いつも思うのだがサッカー強国は平生、政治や経済の話題には余り登場しないような国が多いのが不思議である。ボール一つあれば競技が出来るのはサッカーだけだと誰やらが言っていた。な~るほど!また収穫をじっと待つ稲作文化の日本人にはあの手の競技はDNA的に言っても向いてない。しゃくに障るから何だかんだと負け惜しみを言うわけ。
2006年06月22日
接了
ご無沙汰しました。一週間ぶりです。昨夜大接心が無事円成し、今日は把針灸治、ほっと一息ついているところです。例年は梅雨時、蒸し暑さでぼ~とするほどですが、今年は爽やかな風が吹き抜けて大変気持ちの良い接心でした。朝から溜まった洗濯・繕い・整体治療院へと出掛けた。接心に入るといつも思う事だが、この世智辛い世の中で、外事を一切放擲して己自究明に専一出来る幸せを感ずる。世の中が便利で快適になると万事に抵抗力がなくなり克己心が衰える。禅の修行はそれとは全く相反した事を強要させるわけだから、反時代的と言えばこの位世間から乖離しているところはない。だからこそ一層価値が増してくると思うのだが、そこに気が付くまでに大半は挫折してしまう。だからといって迎合する必要な全くない。嫌なら止めておけばいい。此処に価値を感ずる者だけがやる修行で結構だと思っている。何時の時代もそう思う者に支えられて伝統の修行が継承されてきたのだ。
2006年06月15日
夏末大接心(げまつおおぜっしん)
今日から一週間夏末大接心、通常は7月に行われるのだが、昨年余りの暑さに熱中症で雲水が倒れたので、それを教訓に今年からは全体の修行期間を前へずらして6月で大接心はお仕舞いにすることにした。夏末と言っても雨安居(うあんご)は7月一杯まであるのでこれで全て終わりというわけではない。初日から雨が降り出し少々蒸し暑い接心に成りそうだ。いつものことだが大接心に入ると何故か心が落ち着く。僧堂も世間から隔絶したところではないので平生は何かと雑事に追われるが、大接心中は全てお断りして坐禅三昧、矢張りこれが本来の姿である。まだ我々にはこうした期間が設けられているから良いようなもの、世間の人は生涯ばたばたと用事に追われているのだから、申し訳ない気がする。譬えれば新幹線から徒歩に変わったような気分、このゆったりとした時の流れが心地よい。先日も或る方が「お寺は緑に包まれて空気が澄んでますね。」と仰った。なるほどそうかも知れぬが、時も澄んでいると思った。
2006年06月13日
般若会の茶会
数年振りに般若会の茶会が日曜日に催された。うちには茶室はあるものの茶道具類はほとんど無く、毎回旧家のO氏が提供して下さる。本席の床には市内十八楼で芭蕉を招いて催された句会の直筆文、脇床は後藤瑞巌老師の書、茶碗は井戸、花は沙羅、寄りつきの床は土屋禮一先生の龍などであった。もうそれ以外のものは忘れてしまった。茶入れは尻張りの棗だった。ふくさに包まれた状態で運び込まれ、お点前はまずそのふくさを解くところから始まった。これは初めての事であった。会員の中には千家岐阜支部数寄者の方々も居られ話に花が咲いた。お点前はいつも山内K寺の和尚さんで松尾流の大先生が受け持って下さる。濃茶もさすが練り方が違うから旨いの何んのって、あんな美味しいお茶飲んだこと無い。メリハリのある緩急宜しきを得たお点前はさすが違う。何事もその道の大家になると、美しいものである。
2006年06月07日
上高地
昨日は絵仲間とバス1台で上高地へスケッチに出掛けた。前日先生から防寒対策を・・・と聞いたので厳寒装備、モコモコの毛のコートに腹巻きホカロンをぺたんと貼って行った。ところが現地に着いてみるとカンカン照り、岐阜と変わらないほどの暑さ。これには参った、体はまるで蒸し風呂状態、遂に堪らず売店で夏用を買い込んでホテルのトイレで総着替えし、ようやく人心地が付いた次第。何と一緒に行った仲間は皆Tシャツではないか。何事も極端なのが私の欠点。さてスケッチの方、自分で言うのも何だが傑作2点完成、帰って机の前に飾り一人自己満足に浸っている。このところ急速の上達振りで、先生からも褒められて舞い上がっているわけ。まっ、可愛いもんだ!残雪の穂高連峰、清流、澄んだ空気、小鳥の囀りどれを取っても別世界、一日良い心の洗濯が出来た。
2006年06月05日
もみじ
隠寮庭のもみじは秋、11月半ばを過ぎると一斉にに紅葉し目を楽しませてくれる。しかし十数本の老木は近年樹精が衰え始めたので2,30年後を見据えて若木を植え始めた。根本に専用の水やりホースを備え付け毎日絶やさぬように配慮していた。今年は特に雨が多かったので自然に任せ、つい油断をしていたらここ8日間雨無し、その上急激な暑さ,今朝じっと見つめたら葉の色がやけに元気なく、先端部分は早や紅葉が始まって居るではないか。ビックリ仰天、早速じゃぶじゃぶ水を流した。樹木は物言わぬからこちらが細心の注意を注がなければ成らない。ところで愛犬ハチも前足をぴょこたんと変な歩き方をしている。足を触っても指の間を見ても外見は異常なし、本人に聞いても答えてくれないし、一度医者に連れて行こうかと考えている。(本日は取るに足らぬ話しで誠に失礼)
2006年06月02日
大遠鉢(おおえんぱつ)
昨日から一週間、恒例の大遠鉢へ全員出立し留護は雲水一人きり、境内はし~んと静まりかえっている。梅ちぎり・壊した樋の修理・軒にすだれ掛け・墨跡書き・ハチの散歩・整体治療・山歩き、台所は自炊、7時から晩参、てな具合で結構仕事はあるものだ。NHK教育テレビ「知るを楽しむ」で元首相の細川氏が白洲正子氏について話しをされ、彼女が愛した西行の孤独については非常に興味深かった。またBSハイビジョンで放送された柳川桂子氏の般若心経も従来のパターン化された解説とは全く違う視点で語られ、しかも実地の体験を通してのものだから迫力があった。坊さんの安っぽい説教などすっ飛ぶ。この季節、静かな境内、茶室の濡れ縁で坐禅を組むのは至福の時間である。