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2006年08月31日
のびてました
1週間のびてました。食欲不振、下痢、微熱、倦怠感、氷枕にアイスノンのはじ巻きで毎日ゴロゴロしてました。更に加えて初旬頃からの腰痛もいまいちスッキリとせず、もうさんざんでした。で、ブログどころではなかったわけです。今朝は大四九寝忘れ、これでやっと一息つき、体温も何とか平熱に下がりほっとしました。典型的「夏負け」だと思います。明日からは9月、気分を変えて又頑張ります。ところでラジオ深夜便心の時代で知ったのですが、岸根卓郎氏の[文明論、文明興亡の法則」、是非御一読をお奨め致します。目から鱗でした。僧堂では10月開山忌に向け、早諸準備に掛かっているところです。未だ残暑厳しき折、皆さんものびないようご用心下さい。
2006年08月24日
地蔵盆
午後4時から恒例の地蔵盆、門前のお年寄りや子供がお詣りにやってくる。近年は子供が激減、地蔵盆ではあるがお詣りの大半はお年寄りになってしまった。4月の岐阜祭りもそうだが、嘗ては子供御輿がお寺にやってきてわっしょいわっしょいと賑わったものだが、今では担ぐ子供が居ない有り様。同様に地蔵盆もわいわいがやがやと喧しい子供たちの声も聞かれなくなって寂しい限りである。以前はお菓子の袋詰め50ケくらい、あっという間になくなったが、今では一人に何個もお持ち帰り頂く程である。さて今日は先日のスケッチ旅行の反省会と称して、3人で暑気払いの一席。一応果物を持参して静物画の講習も受けるが、まっ、これは添え物。庭ではホーシンツクが頻りに鳴いて早秋の気配である。今朝も心なしか涼しげであった。
2006年08月22日
厳しい残暑
相変わらず厳しい残暑が続く。このところ2,3日、突然の雷雨があって、カラカラの大地が少しは潤ってきた。昨日も例によって午前4時半、ハチを連れて散歩、途中からピカピカゴロゴロと激しい雷雨、恐がりのハチはビルの軒先の隅っこに踞ってしまった。しばらく様子を見ていたが止む気配なし。強行突破二人ともずぶ濡れになって帰った。ハチは最近右後足がびっこ、また右耳が真っ赤で、頻りに頭を振り回す。医者へ連れて行くと吹き出ものと診断。ハチ成らずともこの暑さでは体の調子もおかしくなる。私の腰痛も徐々に回復、今日も整体治療院へ行ってきた。電気針が実に気持ちいい。友人から貸して貰った「病気にならない生き方」を読む。要するに酵素の働きが大事と言うこと。何時もお世話になる九州の断食道場の吉丸先生が、30年も前から提唱されていることで、何を今更という感じである。良く噛め、という一節は同感。「一口100噛み」を実行中の私は、我が意を得たりであった。
2006年08月16日
施餓鬼会荷担
雲水2名、午後から泊まり掛けで会下(えか・僧堂のOB)の寺へ施餓鬼荷担に出掛けた。この寺の施餓鬼は誠に苛酷で、午前3時起床、直ぐ朝食をとると真っ暗闇の中、早や檀家さんが連れ立って続々お詣りに来られる。それから始まって夕方までぶっ続けでお経を読む。途中食事や休憩もお互い見計らって、一辺に重ならぬよう配慮しつつ、兎も角延々と続く。地獄とはこの事だ、良く熱中症に罹らなかったものである。ご苦労さんと心から思いながら送り出した。さて私の腰痛も大分良くなって、気も晴れてきた。しかし「言うまいと思えど今日の暑さかな」である。アイ ラブ ギフ だが、この暑さだけは愛せぬ。
2006年08月15日
じっと我慢の日々
今日も午後から整体治療院へ行ってきた。大分良くなってきたが、まだまだ完治ではない。終日コルセットでウエストを固めているので、どうも胸苦しくてしょうがない。その上この暑さで腹にあせもが出来るほどである。体を冷やすと腰にも悪かろうと汗をたらたら流しながら読書。まあ洗濯物の多いことと言ったら無い。要がガタガタになると心も同時にガタガタになってくる。どうも不景気な話しばかりで申し訳ないが、皆さんも酷暑の砌りどうぞご自愛の程。ところで7月ロンドンのポールとメールで大喧嘩、腹を立てて、下旬に予定していた渡英を急遽中止した。ところがその後、テロ未遂事件勃発、我ながら先見の明有りである。世の中何が幸いするか解らぬものである。
2006年08月13日
腰痛
今朝起きて洗面のため屈んだら急に腰が痛くなった。14年ぶり腰痛の再発である。日頃から整体治療に通ったり、毎朝腰痛体操をしたり、腰を冷やさぬよう腹巻きをしたりと、それなりに注意はしていたのだが、このところの暑さで薄着に冷房がいけなかったらしい。後悔先にたたずである。以前整形外科で作って貰った特注のコルセットを探し出し早速腹に巻いた。しかしこの猛暑だから腹の廻りの暑い事といったらない。これでは好きな運動も出来ない。そこで専ら読書。冷房はもうこりごり、大汗掻きながら、じっと我慢である。その上今朝から突然パソコンが作動しなくなった。さらにプリンターも動かない。踏んだり蹴ったりとはこの事である。どうも最近あっちこっち、何かと調子の悪い事が連続して起こる。これは、何事も自重せよと言う佛の思し召しなのかも知れない。
2006年08月11日
38、4度
このところ連日、38度台の気温、今日は全国最高気温ベストテンに岐阜県内6都市が入っていた。今からこの調子では先が思いやられる。春、新に植えた庭木の水やりが毎日の仕事である。しかしどうして岐阜はこうも暑いのか。確かに海無し県で内陸型気候ではあるが、それにしてもこの暑さは尋常ではない。折しも県庁不正経理が発覚し、世の非難を浴び、夏の高校野球では県立岐阜商はまたまた1回戦負けだし、ろくな事はない。何時も岐阜の苛酷な猛暑に遭うと、高原のような爽やかな涼風が吹き抜けた鎌倉の寺の事が思い出され、「岐阜の夏は、人間の住む所じゃ~ないね!」といつも思う。飛行機に乗るのも命がけだし、この夏は何処へも行かず暑さが通り過ぎるまでじっとして居よう。しかし不思議に、連日大汗掻いているのだが、私には夏やせというのがない。
2006年08月10日
二夜三日弁事(にやさんじつべんじ)
7日から弁事を貰って奥飛騨方面へ兄と二人でスケッチ旅行に出掛けた。宿は知人の紹介で、中尾温泉、若夫婦二人で経営するアットホームな大変感じの良いところだった。初日午後到着すると今にも降り出しそうな雲行き、早速スケッチと思っては見たものの、雨が心配で、取り敢えず近くを散策しながらスケッチポイントを探る。背後に焼岳、前方には錫丈岳、笠岳、抜戸岳と中部山岳が続く絶景の場所である。夜のテレビでは台風接近で明日は雨の予報、仕方がなければ温泉とビール三昧で行こうじゃないかと覚悟を決めて寝た。ところが翌日は快晴、午前5時半、朝飯前に朝日を浴びて輝く大木場ノ辻を描く。朝食後、車で移動、足湯公園で笠岳・抜戸を描く。新穂高ロープウエーに乗り、展望台より眼前に屹立する西穂・中・槍を見る。午後から場所を移動して、栃尾温泉蒲田河原、平湯温泉で大滝をそれぞれ描く。午後4時頃まで4枚描いたらくたくたになった。最終日は焼岳、双六、弓折を描く。かんかん照りの中、菅笠を被ったが、両腕、鼻の頭が真っ赤っか。しかし充実した3日間であった。
2006年08月04日
ゼニゴケ
北側庭の軒下にびっしりゼニゴケが生えてきた。例年の事ながら又今年も酢を刷毛に付けて丹念に表面に塗る。強い日差しにみるみるうちに黄変し枯れる。しかしその臭いたるや猛烈!鼻がひん曲がる。開け放たれた窓から容赦なく部屋に充満、この暑さでは戸を閉めるわけにもゆかず、じっと我慢である。禅堂東斜面のおかめ笹の頭を切りそろえる。梅雨にのび放題だったのが、これで綺麗に散髪できた。制末手の行き届かなかったところをこうして少しづつ片付けている。明日は焼却炉北側斜面のおかめ笹の頭切りそろえと除草、夕方は毎日玉龍の散水など、仕事は絶え間なくあるものだ。熱中症に罹らぬよう冷たい麦茶と梅干しはこの時期必需品。
2006年08月02日
講了
昨日は雨安居(うあんご)講了、山内、関係寺院や信者さん方出頭のもと,一制無事円成を祝った。僧堂は血の気の多い若者ばかり、しかも男だけの集団生活だから、もめ事はしょっちゅうある。お互いぎりぎりのところで頑張っているから少々気も荒くなるのはやむを得ない。だから何事もなく終わると肩の荷が下りほっと一息つく。今日は終日骨休め、洗濯をしたり繕い物をしたり、ゆったりと過ごす。私も近くの整形へ出掛け治療して貰らい湿布薬を頂き帰ってきた。午後は久しぶりに岐阜城まで山登り、カンカン照りでも山中は木立に覆われ涼風が吹き抜け快適である。後の疲労感がまた心地良い。本当は夜、「漢学熟」で勉強会があったのだが、終日休息と決めたからさぼる。糸は張りすぎても切れてしまう。と言って緩みっぱなしも駄目。何事も程良く張っているのが肝心。てなぐあいで、本日はこれで良しとする。
2006年08月01日
滝行
しばらくご無沙汰しました。別に病気してたわけではありません。3日間ほど木曽御嶽山中へ滝行に行ってきました。私は今年で16年目、東京の仲間7人と3合目、民宿大又山荘で合流。今年は大雨の影響で水量が多く、猛烈な水との戦い、少々頭が割れて血が出た。たった10分にも満たない短時間ながら直下に入ると、恍惚とした気分になるから不思議だ。今回は仲間のうち一人が20年目に当たり、節目で引退を決意、そこで皆で引退披露の宴を催した。と言っても一杯やりながら昔話に花を咲かせたと言うだけの事だが。滝行は激しく頭を打つから自ずから年齢的限界があるな~、と言うのが一致した意見。私も後、4年やって20年になったら止めようと考えている。鬱蒼とした木立に囲まれ、実に爽やか、身も心も活性化される。だからビールが実に旨い。