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2006年09月30日
掃除奉仕
今朝は午前8時より檀徒30数名が開山忌準備の全山庭掃除に来てくれた。さすが頭数で、あっという間に片づき、茶礼の後帰っていった。11時過ぎ葬儀があり、雲水3人連れて近くの葬儀場へ出掛ける。近頃は専ら葬儀は自宅よりこういう施設で行われることが多くなった。冷暖房完備で係の人の手際もよく、こちらとしては有り難い。帰山後直ぐホームセンターへ竹箒を買いに出掛け、いざレジでお金を支払う段となり、財布を忘れてきたことを想い出し、10本もの竹箒を又元に戻して出直しと相成った。「忘却とは忘れ去ることなり云々・・・」と昔あったような気がするが、こういう無駄足を踏むと、怒鳴る相手は居らず、忌々しいこと限りなし。その後、高賀水を汲みに行く。土曜日とあって満員御礼、数珠繋ぎで待たされる。帰って伊奈波神社までお詣りがてらウオーキング。その後、庭の植木に水やり、漸くこれで日が暮れた。
2006年09月28日
若冲展
今日は朝から若冲展を観るため京都へ出掛けた。快晴気持ちの良い日和、だが、好事魔多し、スイスイ調子よく高速をぶっ飛ばしていたら、覆面パトにバッチリ捕獲され、31キロオーバーで金2万5千円也、トホッ!若冲展の方は比較的空いていて見易く堪能した。さすが実物は迫力が違う。これらは米国のプライスコレクションで、彼は大学卒業記念に車を買いに出掛け、偶々見た「葡萄図」に引き込まれ、車の代わりに買ってしまったという。世間では殆ど評価されていなかった頃にである。絵の中味より名前で買う人が多い日本とはこの点一つとっても違う。有名な鳥獣花木図屏風、約4万3千個の「升目描」、これにはビックリ仰天した。北斎は自ら「画狂老人」と称したが、若冲の執拗なまでの描き方に同様なものを感じた。
2006年09月27日
尼僧安居会(にそうあんごえ)
昨日から8日間天衣寺の尼僧堂で安居会が始まった。参加者は6名、最高齢は81歳、若い方でも50代である。頭を丸め墨染めの衣を纏ってはいるものの、中味は0の集まりだから、指導する人も大変である。私は講座と参禅が担当だからさして骨を折ると言うこともないが、直接箸の上げ下げに至まで、こと細かく面倒を見る係はご苦労さんである。教団も組織が大きくなると寺院の実情も様々で、それらを全てまとめてゆく宗局も苦労してると察せられる。参加者は例え短期間でも僧堂で実際に修行している雲水達と生活を共にし、生の修行の空気に触れられるのは得難いことと思う。全員無事に円成して欲しいと祈念した。
2006年09月24日
悟空の会
奈良の薬師寺執事長、村上太胤師を囲む法話の会である。彼とは20数年前、比叡山の回峰行体験会でご一緒したのがそもそも縁の始まりで、爾来何かと親しくさせて頂いている。 定期的にNHKカルチャーセンターへ講話に来られているそうで、その太胤フアンの会が自然発生的に出来たのが悟空の会だそうだ。彼の人間的魅力がこの様に多くの人を引きつけるのだろう。今朝は10時から坐禅を組んで貰いその後、太胤さんと私が順に話しをした。「あいまい」が世界の行き詰まりを救うと言う話し。詳しくは又いづれ・・・・。矢張りお寺はこうして多くの方々にお出で頂くのが、本来の姿のような気がする。雲水には忙しい思いをさせたが、有り難いことだと思っている。
2006年09月22日
滴翠会
瑞龍僧堂のOB会があった。2年に1回場所を変えて催されるもので、今年は下呂の水明館が会場になった。お彼岸と重なったため参加者は少なめだったが、久しぶりに胸襟を開き酒を酌み交わしながら昔話に花を咲かせた。修行の仲間はどこか戦友に似た気分があり、修行のため取っ組み合いの喧嘩をしながら切磋琢磨した道友だから、幾つになっても懐かしく当時のことが蘇ってきて、話は尽きない。私の出た正眼僧堂と瑞龍僧堂とは親戚のような関係だったから、結構共通の話題もあって、楽しい一時を過ごすことが出来た。当時はお互い若気の至りで、随分無茶もやったが、却ってそう言うことの方が懐かしい。近頃は専ら病気や健康のことばかりが話題になることが多い中で、こういう会は元気が蘇ってきて本当に楽しいものである。
2006年09月20日
絵に描いた餅
毎月2回の般若会で25分間、必ず何か話しをしなければならないというのは結構苦痛である。聴衆は20年間殆ど同じだから、手を替え品を替え、毎回悪戦苦闘である。で、次回の話しを少々。絵に描いた餅と言う表現がある。これは絵に描いた餅では腹は膨れんと言うことで、現実的価値を持たない意味でよく使われる。しかし日本人はどうも絵に描いた餅を過小評価する傾向がある。例えば学問の世界で細かい発明や改良では俄然才能を発揮するが、基礎的な理論研究となると、ノーベル賞級の学者は欧米に比べて少ない。自分の心の中に絵が存在し、その絵に向かって活動していた事実、その行為に駆り立てた原動力、そこに価値を見出してゆくことは出来ないだろうか。「夢を生きる」人間が少なくなってきた今日、目先の餅ばかりに目を奪われず、百年の大計に生きたいものである。
2006年09月16日
スケッチ
8月下旬K先生と3人で奥美濃、飛騨方面へ1泊2日のスケッチ旅行に出掛けた。阿弥陀ゲ滝、錫杖・笠ケ岳、宇津江48滝、古川町の古民家、田園風景など計7枚描いた。影に連綿がある、滝は水際が大事、綿密と省略の配分等々、実に学ぶことの多い旅行であった。へたっぴーは苦心惨憺する分、精根使い果たし、くたくたになった。そこで昨夜はその打ち上げ慰労会、先生は我々二人の似顔絵を矢立を取り出しあっという間に描いてくれた。落款は消しゴムで作ってしまった。墨の濃淡、線質の強弱の見事なこと、実に感じが出ている。さすがプロの技は違うものと舌を巻いた。早速額に入れて机の前に飾りひねもす眺めて喜んでいる。先生は鉛筆で1本線を引いても、対象物の質感まで見事に表現する。「ローマは一日にして成らず」である。しかし自分の絵はどうしてこんなにお粗末なのかと、ガックリした。
2006年09月13日
お墓詣り
8月はずっとのびていたので、漸く盆の墓詣りのため郷里へ出掛けて来た。霧雨の中、姉夫婦など計4人で墓詣りをしたが、いつも不思議に心が落ち着く。帰路、嘗て住職していた鎌倉の長寿寺に寄った。昨年より本堂新築工事が始まり、進捗状況拝見である。工事も進み、予想以上の出来映えで、嬉しく成った。長寿寺はづっと廃寺同然の状態が続き、本格的本堂が造られたのは、多分何百年ぶりである。わずかな壇信徒でよくぞここまで立派な建物を造ったものだと、頭が下がる。境内にはびっしりと杉苔が生えて、一層引き立っている。そもそもこの杉苔の元は、30年前私が住職するとき京都の小僧寺の墓地に生えていたのを少々失敬してきて植えたものである。住職中は枯れもせず増えもせず片隅にじっとしていたのが、今の住職になって突如増え始めあれよあれよと言う間に、庭一面の杉苔になった。矢張り幸運を呼び込む良い星回りの人なのだろうか。兎も角境内全てが面目一新したのには驚いた。
2006年09月11日
般若会
8月は1回お休みをしたので約1ケ月振りの座禅会である。本日の参加者は34名、坐禅の後の講話。『今日は米国同時多発テロで世界貿易センタービルが崩壊して丸5年。その後のアフガニスタン・イラク戦争は未だに解決されるどころか混迷は益々深まるばかりである。中東民主化構想はもろくも瓦解した。ではその解決策は如何に。岸根卓郎著、「文明論・文明興亡の法則」は一つの方向を示している。曰く、欧米的論理では駄目。日本人の「あいまい」が世界を救うと。つまり混沌の中に調和を創造してゆくことが、唯一の解決策である。』詳しくは著書をどうぞお読み下さい。午後から高賀水を汲みに出掛ける。美味しい水を飲み始めたらとても水道水は飲めぬ。センダイムシクイの聞きなしは「焼酎一杯ぐいー!」やっぱりこれですな。
2006年09月09日
岐阜現代美術館
友人のO氏が自分の会社の敷地内に現代美術館を造られた。今日はそのオープン、招かれて出掛けた。円形ドーム型の建物の前にはプールが配され、長良川をイメージしたせせらぎを聞きながらゆるやかなスロープを上がるとエントランス。和紙を透して優しい光を背に篠田桃紅作品が浮かび上がる。展示が行燈形式の衝立になっているのが作品にぴったりマッチして一層引き立っている。O氏は芸術に造詣が深く、予てより村上華岳や香月泰男などの大フアンで、見る目の確かさには敬服している。企業のメセナを常に念頭に置かれ、絵画・音楽。文学・ワイン・料理、またフイットネスクラブの常連で、エネルギッシュで幅広い趣味に驚かされる。年齢は私より一つ上だが、精神の若さはまだ青年の心意気である。良いお手本だと思って負けぬように頑張りたいといつも思う。
2006年09月08日
加藤栄三・東一日本画展
栄三画伯生誕100年・東一画伯生誕90年、栄三東一記念美術館開館15周年、いろいろな節目を記念して今日、盛大な展覧会が催された。午前9時半からそのオープニングで、長縄士郎・土屋禮一両先生を初め甥の加藤晋さんやご親族の方々一堂に会し、沢山のフアンと共に賑やかな一日だった。長縄先生は最近、鎌倉から故郷岐阜へ転居され、久しぶりにお元気な姿を拝見した。先生は鎌倉にお住まいの頃、友人の雪師と交流があって、そんな縁から特に親しくさせて頂いた。近くに来られたのでこれからちょくちょく往き来しましょうと約束した。人混みの中での立ち話ではあったが、土屋先生から心の琴線に触れる話も伺うことが出来た。東一先生の娘さんのえりさんとも久しぶりにお目に掛かった。以前ご子息を寺でお預かりしたこともあり、また彼が近くの中華料理屋で料理修行を始めたりということもあって、あわただしい中、話は尽きなかった。こういう楽しい出会いも、この展覧会の縁の下の力持ちでご尽力頂いた、栄三東一記念美術館館長熊崎勝利先生のお陰である。有り難いことだと思った。
2006年09月07日
前田青邨展
岐阜県は河合玉堂・熊谷守一など高名な画家を多く輩出しているが、中津川出身の前田青邨もその内の一人である。県美術館で青邨展が開催されているので、じゃじゃ振りの雨の中出掛けた。何回見ても素晴らしい。現在ではあのような線描きの美しい日本画を見ることが出来なくなってしまったが、矢張り日本人の感性にはぴったりする。しかも92歳で亡くなるまで常に変化し続けているところが良い。「画品」と言うそうだが、品格の高さは、青邨自身の生き方に通ずるのであろう。歴史画も良かったが、私は人物の内面まで描写されている肖像画が好きだ。自画像・耳庵像・脇村義太郎像など、どれも繊細な線描が際だっている。帰ってからも図録を繰り返し眺めながら、幸せな気分に浸った。芸術の秋である。
2006年09月06日
東海庵毎歳忌
昨日から京都妙心寺山内、東海庵の開山毎歳忌に出掛けた。東海派の本庵で末寺1900ケ寺を有する大寺である。瑞龍寺は派中寺院でもあり又開山の塔所が有るところから、うちの開山忌には毎年東海派の方々3名がご出頭される。双方でお詣りし合う関係である。数年前500年忌法要を期し国の重文の本堂庫裡全て解体修理、面目一新された。檜皮葺の本堂や庫裡は何百年の風格が漂い、白川砂の一面に敷き詰められた庭は周囲の土塀とマッチして、スッキリした感じは禅宗そのものである。何時も少し早めに出掛け、無人の静けさの中、じっと佇むと、心休まる。法要は厳粛な中にも極めて枯淡で、武張ったところが何も無いというのが、私は大好きだ。禅家本来の姿を見るような気がする。
2006年09月03日
秋風
9月に入って急に朝晩涼しくなり、こおろぎの鳴き声がぴったりの季節になった。それに呼応するようにのびていた私も元気を取り戻した。漸く食事もまともに出来るようになり、体がしゃきっとしてきた。昨日は知人と連れだって佐藤一斎の「言志四録」を読む会へ出掛けた。この会は2ケ月に1回の割で開かれる勉強会だが、いつも教養の深さを思い知らされる。中の一節、『老人になると周囲に若者が居る時は元気だが一人きりになると急にしょぼくれてしまう。これは老人の生命力というのは周囲から「気」を貰って気力も体力も得られるということである。礼記の王制編に「八十人に非ざれば煖かならず」と。』けだし名言である。