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2006年11月30日
画家、N先生パート2
伺えば、お盆には大船のS寺の和尚にお経を上げに来て貰っているという。その和尚は私が嘗て鎌倉に住職して居た頃の親しい友人であった。先生が岐阜のご出身と言うことで、話しの折り、「・・・じつは私の友人が岐阜で住職してまして・・・・。」と、私のことが話題に上ったのであろう。そこで、「私あなたを存じ上げています。」となったわけである。その後、岐阜市内の画廊で先生の個展が開かれ、拝見に出掛けると大変喜んで下さった。また奥さんが寺に坐禅を組みに来られたり、下呂のSホテルで催された茶会にご一緒したりと、益々ご縁が深まっていった。岐阜に転居されてからは、いろいろな所でしばしばお目に掛かるようになった。ついこの間も、栄三・東一兄弟展の折り市博物館で、また今日偶然美術館でお会いしたというわけである。矢張り郷里は特別の感慨があるようで、一時体調をくずされていたが、俄然元気になり、創作活動を再開されたそうだ。先生は舞妓がお得意であるが、来年は個展も計画されているようで、素晴らしい絵を拝見できるのが今から楽しみである。
2006年11月29日
画家、N先生
岐阜市美術館で知人の沢口先生の個展が開催されたので出掛けた。先生はスペインに住み、時折帰国されて各地で個展を開かれる。今回は初めて試みとして抽象画も描かれ、老いて益々意欲的な活動をされている。具象画とは紙の裏表ですと仰っていた。カラッと明るく、いかにもスペインの趣である。会場でばったりN先生ご夫妻と会った。最近、鎌倉から郷里の岐阜へ引っ越してこられたばかりである。親戚知人も多く安心して暮らしておりますと言われた。お寺のもみじも今、紅葉の真っ盛りですから是非お越し下さいと申し上げると、早速話が纏まって1日にお出で頂ける。先生との出会いは誠に不思議なことから始まった。もう10年以上も前のこと、画家、加藤東一先生が亡くなられ、藤沢のお宅にお詣りに出掛けたことがあった。そこで偶然N先生の奥さんにお目に掛かったのである。すると初めてにも拘わらず、「私あなたを存じ上げています。」と仰る。(つづきは又明日)
2006年11月28日
大根鉢
恒例の大根鉢に全員で掛けた。今回は開山さんの出生地、山那(やな)方面は永年お世話頂いた方が亡くなられ、また地元悟渓寺の尼さんも亡くなられ、遂に今年からは取りやめとなる。市内檀徒の野一色方面は尼僧堂に譲ったため、段々範囲が縮小し、木曽川・徳田・岐南町方面のみとなってしまった。ハザに掛けると余りにも寂しく、折良く野一色檀徒で特別ご厚意の大根を持参した方があったので何とか間に合いそうである。大根鉢では他にも白菜や小芋、薩摩芋、ネギ、小松菜、ほうれん草など、いろいろ同時に頂けるので、大助かりだったのだが、こちらも少なくなり、典座の汁の具に困る。白菜は早速ぬかずけにして、12月15日からの臘八大接心中、夜8時のご開鉢で茶粥と一緒に出される。熱々の粥に冷え切った白菜の漬け物の旨いったらない。この味は臘八をやった者でなければ分からぬ。
2006年11月25日
本堂落慶式
今日は雲水時代の後輩の寺が立派に竣工、落慶に出掛けた。彼の寺には10数年前から先住さんの斎会(さいえ)などで度々お邪魔していた。行く度毎に建物が整備され、最後は本堂だけだな~と思っていたので、遂に念願適っての落慶は、私にとっても感無量である。がっしりした造りは少々の地震などびくともしない感じで、耐久性・耐震性はバッチリである。本堂新築というのは住職にとって一世一代の大事業で、いろいろな意見を持つ檀徒を上手に束ねて行くのは大抵ではない。設計から始まって、資金繰り、落慶の段取り等、数え上げたら切りがないほど、様々な問題を処理して行かなければならない。その心労たるや並大抵ではなく、私のところで伽藍建築中の時には、病気になって入院したほどである。だから成るべく若いうちに建築はやるべしと言うのが鉄則で、彼の場合は内助の功にも支えられ、元気で無事円成出来たのは、有り難いの一言に尽きる。弟子も目下修行中と聞く、益々目出度いことである。
2006年11月24日
同窓会
郷里のS高校支部の同窓会があり講演を依頼されたので出掛けてきた。最近、本部総会では同級生のA氏が矢張り講演をされていた。彼は東工大の学長で、在学中から他を抜きん出ていたが、私の場合は超低空飛行で、義理と人情で卒業させて貰った者とは訳が違う。どだい講演などする柄ではないのだが、お坊さんだからと言うことなのだろう。40人前後の小さな集まりだったが、殆ど先輩ばかりで、中に91歳の老人もおられた。男ばかりの会で話しをするのはなかなか難しい。女性はこちらの話しに相づちを打ってくれるから、調子に乗せられて口の回転も滑らかになるが、男の場合は只じっと聞くタイプが多いので、ついこちらも堅くなって、冗談一つ言えない雰囲気になる。しかしどなたかが動員を掛けたらしく、嘗ての友人達も何人かやって来てくれて、久しぶりに旧交を暖める事が出来た。帰りは丁度折良く、平塚で開催されていた山本丘人展を観てきた。近代日本画を切り開いた偉大な画家と、以前土屋禮一先生から伺っていた。私には専門的なことは解らないが、何んか良い。図録は既に完売で残念ながら入場券だけを土産に帰ってきた。
2006年11月21日
柿物語パート2
義捐金は喜んで頂きますと快く受け取って呉れた。「では、うちの柿の木の1本を清田さんの所有にしますので、毎年収穫できましたらお送り致します。」と行って帰った。爾来律儀に初冬には段ボールで送ってくるようになった。今年も昨日届いた。早速食べると実に美味しい柿だった。中に手紙が入っている。これも毎年のことで、何時もなかなか面白い文面である。一部をご紹介する。「・・・・我が家で元気なのは犬のジャックだけ、あとの生き物は加齢により、特養ホーム状態、壁に向かってひたすら鳴いている猫のタマ、耳が遠くなって、それでも頑張って番犬していたマロ、新参犬のラッキーに勝負をかけられ負けたその日からボケ、耳の聞こえないモモコは日がな一日じゅうゴロゴロ。我が家の柿の木も今年はストライキ、仕事の手が遅いとお叱りを受けました。百年は生きてきたのではと思えるような古木、私より長生き、思うようにはいかない農業です。秋の神様からの贈り物お受け取り下さい。」人生いろいろな生き方があるが、財産や地位や名誉など、この世の煩わしいものは全て蹴っ飛ばして、爽やかに暮らしている姿は魅力的だ。
2006年11月20日
柿物語
柿のシーズンである。富有柿は岐阜の本巣が原産地、今でもそこでは柿栽培が盛んに行われている。20年ほど前、当時飼っていたアライグマが子供を生んだ。欲しいという人があったので1匹差し上げた。それから10年ほどの歳月が流れたある日、段ボール箱に綺麗な花で埋め尽くされたアライグマの死体を持って遣ってきた。差し上げたこちらはすっかり忘れてしまったが、件のアライグマであった。埋める前に一目見届けてやって下さいとわざわざ運んできたのである。そこで埋葬の前に心経1巻を誦し供養してやった。後ろではらはらと涙を流していた。聞けば彼女は実に風変わりな人生を歩んでいる事が解った。
現在本巣に住んで、自然農法で柿を栽培したり、農業で生計を立てる一方、国際ボランティア活動にも活躍されているという。それはネパールの僻地の婦人達の経済的自立を支援するため、日本で中古ミシンを集め、修理して直接現地へ赴き手渡しているという。自分たちの収入の大半はそれに充てているらしいのである。僅かばかりだが少々支援金を渡した。(つづく)
2006年11月18日
猪出現
数日前、隠寮庭の杉苔が一角掘り起こされ、わやになった。まるで鋤で耕したようになっている。以前よりハクビシンや狸はちょくちょくやって来て、茶室前のつくばいの水を飲みに来ていた。しかしそれらのいたずらとは違う。皆で現場検証した結果、矢張りこれは猪に違いないという結論にいたった。今年は各地で熊や猪による被害が報ぜられているが、遂にこんな街中まで猪が現れるようになったのである。びっしりと綺麗に生えていた杉苔が台無しである。そこで紗を購入、庭中を覆い尽くした次第。沢山の小鳥が終日囀っているのは、山家に住む者の特権と、何時も感謝しているが、良いことばかりでもない。来年は亥年、一足早いご本体の来襲に、こりゃ~参った。
2006年11月14日
ハチを連れて医者へ
散歩の後ろ姿を見ているとどうも足の動きが変だ、よく見ると左前足肉球におできである。近頃頻りに足をぺろぺろなめていたが、やはりそうだったのか。早速今回から新しい病院へ行った。ここの先生は以前うちで修行していた雲水と麻布大学で同級生の獣医さん、と言う縁でとても親切にして貰えた。また山内K寺の娘さんが勤めているので余計安心だ。なかなか流行っていて、次々に犬や猫を連れてやってくる。今日のように雨降りでは散歩から帰ったら、その都度包帯をし直してやらなければならないから、手がかかる事この上なし。・・・・、と、ここまで書いてきて、お前はこんな事くらいしか書くこと無いのか!と叱られそうな気分になったので、本日はこれにて終わり。
2006年11月12日
ご無沙汰失礼仕り候
1日から1週間入制大接心があり、久しぶりにパソコンを開いて、いざ徒然日記と思いきや、何とHPがわやになっていた。早速お世話になっているソフト会社の担当の方に問い合わせると、目下修復中でしばらくお待ちの程という話し。親戚縁者その他フアンからはやんやの催促、ジリジリしながら待っていたら今日漸く回復、めでたしめでたしである。さて僧堂も大接心が無事円成して、ほっと一息ついた所。今年はやたら暖かく、イマイチ調子が出なかった。矢張り修行は寒いのが一番である。何かと行事が多かった10月も過ぎてこれからは、ほか事に煩わされず、マイペースで修行できるので有り難い。庭のどうだんも少しずつ色づき、又今年も綺麗な紅葉を見せてくれるかなと楽しみである。
2006年11月01日
献茶式
今日は伊奈波神社で松尾流松蔭会岐阜支部主催の献茶式があった。大正4年以来今年で91年目、ずっと続いている伝統の献茶式である。名古屋から家元にお越し頂き、本殿で濃い茶・薄茶と順次お手前が披露された。いつもは吹きっさらしの所で震えながら拝見なのだが、今年はぽかぽか陽気で助かた。炭手前から始まり、練り香が焚かれると、ゆらゆら風に乗ってほのかな香りが辺り一面に漂い、澄んだ空気が一層引き立ってくるようだった。約1時間、心まで澄んだ一時であった。日記を見ると去年もその前の年も風邪をひいたり、体調不十分だったりで、2年連続で欠席した。恒例の行事を何の不都合もなく出掛けられることの有り難さを改めて実感した。帰ると間もなく法縁寺院の晋山式拝請で、和尚始め総代さんなど5人来山、新に入寺される新命さんは、私が伊深で修行中の頃、まだ幼稚園児だった。昔話に花が咲いた。