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2007年01月31日
お見舞い
午後から急遽、ある寺へお見舞いに出掛けた。昨年来体調を壊され、加療中と聞いていた。正月年賀に来られた時の様子では、徐々に回復しつつあるようなので安堵したのだが、10日ほど前、急に様態が悪くなり入院したという。、どうも想像以上に芳しくないようなのである。現在は退院して自坊で養生しているので、直接会ってお見舞い旁々、様子を伺ってみる事にした。会ってみると、ついこの間までの元気さはすっかり影を潜め、意気消沈した様子に心が痛んだ。お互い歳を取れば病気から逃れることは出来ないが、あまりの急激な変化に驚かされた。先日の知人のお見舞いもそうだったが、周囲の知り合いが次々病気で倒れると、本当に他人事ではないな~と思わずにはいられない。だから一層、こうして元気で居られるうちは、この世に思い残すことがないように、日々、溌剌として完全燃焼しなければいけないと思う。
2007年01月30日
おめでた
午後、久しぶりに知人S氏の娘さんが夫婦で挨拶に寄ってくれた。去年春、アメリカ在住の青年と結婚し、式をうちの本堂で上げた。近しい知人友人だけの心の籠もった披露宴は、ほのぼのとして、それは素晴らしいものだった。あれ以来初めてお目に掛かるのだが、一段と女っぷりも上がって、幸せそうな感じが、ひしひしと伝わって来るようだった。もういつパンクするかも知れない大きなお腹を、よっこらしょっと抱えながら歩く姿は一層幸せそうだった。予定より早まりそうだというので急遽アメリカから彼が飛んできたのである。あちらでは出産は夫婦にとって大切な事なので、休暇も堂々と取れるのだそうだ。その昔、彼女が生まれる時、父上は出産の付き添いと称して会社から暇を貰い、奥さんには目もくれず、さっさと好きな釣りに出掛けてしまったそうだ。今でも母上は、その時のことを不満げに言うそうである。まっ、彼女の旦那は絶対そんなことしないだろうけど。
2007年01月29日
すわらじ劇園
京都山科の一灯園、「すわらじ劇園」の松下氏がやって来た。3月に岐阜市民会館で「限りなき愛、ー青春の遺書ー」が演ぜられるので、ご挨拶にとお出で下さったのである。松下氏は永年、劇団公演の段取りや開催自治体との交渉など、様々な雑事を一手に引き受けて、スムースに行くよう手筈を整える、いわば縁の下の力持ち役をして居られる。私よりずっと年は上だが、雲水の頃から大変親しくさせて頂いている。今日はこんな思い出話を聞いた。50年前、妙心寺開山無相大師600年遠忌に、「伊深の慧玄さん」という、無相大師の伊深での修行をえがいた物語が、すわらじ劇園によって公演された。無相大師は岐阜に深いご縁があるというので、当時正眼寺住職だった梶浦老師は、特に力を入れて劇団公演の為に奔走されたそうだ。一回の公演には相当な資金がいるわけだが、物心両面に渡って、本当にお世話になりましたと、懐かしそうに言っておられた。2年後に、無相大師650年遠忌が催される。今、全国各地の妙心寺派寺院で、伊深の慧玄さんが50年振りの復活上演されているそうである。梶浦老師がこれを聞いたら何と思われるだろうか想像して、思わず笑みがこぼれた。
2007年01月27日
脳を鍛える
昨秋、アンチエイジングドッグで、他は全て良いが脳年齢が74歳と言われ、ショックだったという話したが、新年明け、今度は脳のMRI検診で、「年齢の割には少し前頭葉と側頭葉に萎縮が見られますので、脳を鍛える訓練をして下さい。」という診断で、2度目のショック。かくなる上はそのまま放っておけないと考え、早速脳を鍛え始めた。先ず新聞の音読30分を実行した。つい一生懸命に成りすぎて、大声上げて読むので、脳への酸素供給不足からか、頭がぼ~っとなるほど。しかしこれだけではまだ足りないと考え、昨日は本屋へ出掛け、「脳を鍛える大人の計算ドリル・音読ドリル・暗記ドリル」計3冊購入。時計屋でストップウオッチを買い込んで、早速訓練開始である。「よ~い、はじめ!」と声を掛け猛烈な勢いでやった。近年こんなに真剣に物事やったことがないな~と思うくらい、まなじりを決してやった。何だか気分のせいか、澱んでいた脳内血流が活発になって、ぐんぐん若返ってきたような気がする。と、すぐそう思う単細胞!親戚の者に報告すると、「叔父さん、何事も続けることが肝心ですから、少なくともその3冊はやり抜いて下さいね!」だと。
2007年01月25日
お見舞い
10時半から尼僧堂の講了、つまり冬期修行の終了式というわけ。出頭の和尚さん方も忙しいのか、例年の半数ほどの寂しさ、引き続き特大施餓鬼会、出斎で首尾円成。帰山後、眼科へ、10年来のドライアイ治療、僧堂生活も長くなってすっかり血も涙もない人間になってしまった。帰りがけホームセンターに寄って障子の敷居滑りを購入、一端帰り再び、知人の病気見舞いに出掛ける。市内から30分ほどの郊外にある病院に入院されている。私より一回り以上も年上の方だが、ご夫妻共々、一緒に旅行をしたり、絵の稽古をしたり、大変親しくさせて頂いている。昨年末、腸の検査入院をし、相前後して肺炎を併発され、一時は生死の境を彷徨うほどだったと伺い驚く。既に峠は越えられ、しばらく話も出来た。お互いに固く握手を交わし、S氏の喜ぶ顔も見られて、本当に良いお見舞いが出来た。私もぼつぼつ老人組の仲間入り、他人事ではない。
2007年01月24日
個展
午前中は野一色檀徒の無縁法要に出掛けた。この集落70戸ほどが澤田一族で纏まって檀家になっている。そこで全員集まって新年に一族の法要を行うのである。お経の後、健全な社会を作ってゆく大本は家庭にあるという話をする。以前は手作り、近年は仕出しや弁当の昼食を頂いて12時半帰山。墨跡の印押し後、日頃スケッチのご指導を頂いているI先生の個展が隣町で開かれているので見に行く。先生は毎年パリへ単身出掛け、アパートを借りて自炊しながら1ケ月間、絵を描いておられる。ここ2年分の作品展であった。この街は近年郊外に市役所や体育館、病院など主要な施設が移転し、その近くの住宅街の一角に瀟洒な画廊があった。経営者は以前から良く存じ上げている方なので、話が弾んだ。午後4時帰ってから直ぐ伊奈波神社まで散歩兼お詣り、一汗掻いてスッキリした。
2007年01月22日
大接心円成
ご無沙汰しました。15日から冬季最後の大接心があり、昨夜首尾円成、ほっと一息ついているところです。近年の暖冬傾向は今年も同様で、イマイチ物足りない感じでしたが、兎も角一応終わった。後は、交代掃除をしたり、起単留錫・夏末衆評などあって、2月1日講了となる。ついこの間、入制かと思ったら早や解制、光陰矢の如しである。近頃は軟弱者が多くなったから、一人も事故や病気にならず円成は一入有り難い。個人的には年々老いを感じ、物忘れや変なところで蹴躓いたりして、ガクッと来るが、若い雲水相手に、切磋琢磨できるのは、僧堂成ればこそである。万事にものぐさになり、「まっ、いいか」となりがちだが、規矩でがんじがらめになっているお陰で、嫌でも応でもすることはしなければならない環境というのも、誠に身のためになる。気持ちだけでも若く居れるのは、一重にこのお陰である。
2007年01月14日
三回忌法要
藤沢へ友人の三回忌法要に出掛けた。高校の同級生で、非常に優秀な男だったが、二年前病に倒れ突然亡くなった。私のようなどうでも良いのがのうのうと生きて、本当に惜しまれる。富士通から野村総研へ、その後独立してコンサルト会社を興し、活躍していた。二人の娘と一人の男の子を残しての旅立ちは、さぞ心残りだったろうと思う。彼が小学校からずっと一緒だったT氏も三年前亡くなった。相次いだ友人の死は、他人事ではないぞ!と思わずにはいられない。明日からは冬期最後の大接心で、前日に遠方まで出掛けるのは楽じゃないが、無念な彼の思いを察すれば、そんな贅沢は言ってられない。大庭霊園という市営の公園墓地で、一面に芝生が敷き詰められ、この時期には希な好天に恵まれ、晴れ晴れとした気持ちでお墓詣りも出来た。ご家族の方々も二年経って少しづつ気持ちの整理が出来てきたようで、悲しみを乗り越えて又頑張ろうという思いが伝わってきた。
2007年01月13日
松尾流岐阜松蔭会初釜
恒例の初釜が山内の鶴棲院さんであった。午前10時から始まるので第一席目に合わせて出掛ける。いつもご一緒するO氏ご夫妻は、都合でちょっと遅れるというので、一人で行った。家元のお点前でお薄が振る舞われ、最後に恒例のくじ引き、一等賞の茶碗は小学生の女の子に当たった。満面の笑みがなかなか良かった。その後、山内開善院で副席、この担当は地蔵寺の老尼さん、今年米寿だそうだ。矍鑠としてお弟子さん達を率いてのご指導には頭が下がる。その後、天沢院で点心、早くも知人のS氏が食事中、膝が悪く正座が出来ないので、茶席はご無礼して点心だけ頂いて帰りますとのこと。隣同士でお喋りしながら楽しい一時、お酒が大好きな方なので、「私は今日は『おちゃけ』です。」とのこと。帰山後、一休みしてから伊奈波神社へ散歩兼お詣り、土曜日で沢山の人出で境内は大賑わい、駐車場整理のおじさん達も大忙しである。帰って直ぐ、いつもお世話になる指圧へ出掛け、スッキリした気分で多忙な一日を終わる。
2007年01月12日
新年会
お寺の新年会は6日の初月忌で済んだのだが、唯一、ある団体の新年会に例年のごとく出席した。20数年来の友人で、日頃から尊敬している方なので、年頭に当たりお目に掛かれるのは嬉しいことである。どうも我々既成教団に居る者は、長い歴史の上に胡座をかいているところがある。大して努力せずとも、何となくやって行ける。その点彼のところは日々戦場である。常に組織として活性化していないと、途端に萎んでしまう。だから背水の陣をしいて、年々新しい試みをし、前へ前へ、前進あるのみである。私はいつもそこから、活力と真摯な姿勢を学び、我が身を省みることにしている。持つべきものは良き友である。
2007年01月11日
漢学塾
知人に誘われて昨年より漢学塾で講義を拝聴している。今回は朱子学と陽明学の違いについてである。ちょっと話がわき道に逸れるが、ある対談で、「音楽とは音を楽しむと書きますから、クラシックと言っても殊更に難しく考えず、気楽に楽しんで頂ければいいのです云々・・・・。」と言うのを聞いたある漢学者が、日本人の漢文の素養も、ここまで落ちたかと嘆いたそうだ。この場合の「楽」には楽しむという意味はなく、美しい曲という意味だそうだ。ところで、朱子学では、「格物致知」(かくぶつちち)と言う。1つ1つ事について順序段階を追って調べて行けば、物の道理心の道理に到ることが出来る。人は誰でも学ぶことによって聖人になることが出来る。一方陽明学の方では、「致良知」と言う。誠の知は誰でも生まれながら本来持っている。ただ曇っているから自浄錬磨して、我が内なる聖人を発見して行く。「赤子の心」(せきしのこころ)を悟ることである。中途半端だが本日はこれまで。
2007年01月08日
初釜
新年は茶道各流派の家元により初釜が掛けられる。私は松尾流なので、岐阜組数人と家元の所へ出掛けた。名古屋の方々とも一緒になり、相客合計13名、誠に楽しい会であった。数年前、大雪に降られて、道路は大渋滞、予定を30分も遅刻、とんだ目にあったことがある。昨日雪が降った時にはふっとその時のことが頭をかすめたが、今日は少々雨にはなったが、お陰様で定刻に着き安堵した。13日には松尾流岐阜松蔭会主催の初釜もある。こういう年中行事に出掛けると、一層新年を実感する。午後2時半に帰山すると、待ってましたとばかりに、ややこしい仕事。息つく暇もなく事務をこなす。まっ、忙しいうちが花かと思って、今年一年も元気よく頑張ろう。ところで新年の床の間には決まった飾り方があるようで、お寺の場合は三宝にお鏡をお供えするだけだが、ご一緒したお宅では50年以上も同じ大きな熨斗を出して飾るそうだ。今でも水に戻せば食べられるという話しである。さすが旧家、余程大きなアワビで作られたものであろう。
2007年01月07日
初雪
昨年暮れ、うっすら雪が降ったのだが、あれはまあ付け足しのようなもので、今日のは本格的。日中の雪は積もらないのが原則だが、そんな決まりは何処かへ吹っ飛ばして、じゃんじゃん積もっている。良かった!この間まだ暖冬真っ最中に、雪かき道具をホームセンターに買いにやった。見事的中である。さらに明日からは地取接心、ドンピシャリの寒波襲来となった。今朝は今年最初の光陽会坐禅、16人参加である。早朝6時よりこの雪かき分け参加する心意気たるや、見上げたものである。開け放った禅堂の窓から容赦なく雪は舞い込み、外は一面の銀世界、絵に描いたような冬の坐禅である。光陽会と言えば、もう10年以上も前、或る年の夏休みにお父さんに連れられ、小学3,4年生の坊やが参加した。大抵は1回参加すれば終わりとなるのだが、この坊や、爾来一人で参加し続け、もう大学生になった。世の中にはこういう子も居るのである。
2007年01月06日
初月忌(はつがっき)
開山さんの最初の毎月忌に山内、法類、会下寺院・信者さんが集まってお経を読む、これが初月忌である。新年の挨拶の後、祝膳が供される。生憎の悪天候の中、11時から式が始まり、午後1時には終わった。今日まで正月飾りがしてあったので、お供えのお鏡を始め松竹梅やら、本堂山門などの幕の片付けのど、行事後も大忙しの一日であった。年頭回禮も終わり、今日の初月忌も終わって、これで正月行事は全て円成である。明日、把針灸治、明後日からは、冬期最後の大接心の地取り接心に入る。正月気分も一蹴して、いよいよ締めくくりである。明日からは寒波襲来の様子、待ってました!冬の修行は矢張りこの寒さが一番、兎角軟弱が言われる昨今、これに勝る警策はない。
2007年01月05日
仕事始め
三が日、のんびりしたお正月も済んで、4日からはいよいよ仕事始め。大般若の御札やたよりなどを新年のご挨拶を兼ねてお届けする、年頭回禮で一年の仕事が始まる。早朝より各自、自転車に乗って信者さん廻りである。うちの場合は比較的市内に集中しているので、夕方までやれば大体終わる。私が雲水の頃は田舎叢林でもあり、広範囲に散らばっていたから、朝暗がりに出立して延々自転車をこぎ、2,3日も掛かった。しかも山あり谷ありだから、本当に重労働だった。今年はお天気も良く暖かかったので大助かりである。今日は2人で、野一色檀徒の年頭回礼、残りの者達は明日の初月忌(はつがっき)出斎支度である。ところで、愛犬ハチの事も書いておかなければならない。ハチにはお正月はない。「ハチ君、おめでとう!」と言っても、「ふん!」とそっぽを向いている。元旦から毎日、暗がりの中、市内を散歩、おしっことうんちをさせなければならない。静まりかえった路地を歩きながら、「ひとりで勝手に散歩してくれると有り難いのにな~。」と、思った。
2007年01月02日
明けましておめでとうございます
元日は好天に恵まれ風も無く、暖かなよい日和であった。午前3時半起床、祝聖・大福茶礼・祝餅と元旦恒例の諸行事がつづき、ちょっと一休みして、大般若祈祷会、書院で山内和尚さんの年始、お屠蘇を廻し菓重で茶礼、これで一応新年行事は首尾円成。何時もお越し下さる年始の客が4組、午後3時半には静まりかえった。それから伊奈波神社へ初詣、ところが猛烈な人出、階段はぎっちり人で詰まって身動きが出来ないほど。折角来たのだから引き返すわけにも行かず、押しくら饅頭を耐え忍び漸く参拝出来た。いつもの御札を頂き、おみくじも引いて、汗を掻き掻き帰った。その後、年賀状を見たり、新聞を読んだりのんびりと過ごし、午後10時にはやすむ。今朝は嬉しい寝忘れ、9時からは昨日同様の大般若祈祷会、本日年始の客は3組、午後4時頃から腹減らしに山歩きへ出掛け、一汗掻いて帰った。まっ、ざっと私の新年はこんな具合である。今年1年も頑張って徒然日記を書きますので、どうぞ宜しく。