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2007年03月31日
晋山式
嘗て私が修行していた道場と大変関係の深いZ寺の新命和尚の晋山式が有り出掛けた。偶然、うちの開山さんとそのお寺の開山さんとは師弟関係にあり、二重の縁で招かれたのである。私が修行し始めた頃、そのZ寺は無住で、本堂も庫裡も雨戸が閉じられ、境内は荒れ放題であった。間もなく縁あって新しく和尚さんを迎え、俄然活況を呈した。住職40年間で、面目一新され、その変貌振りは驚くばかりである。和尚さんは我々雲水を非常に可愛がって下さり、何かの用でお尋ねすると何時でも大歓迎して、必ず手際よく食事の支度をしご馳走して下さった。温かい家庭の雰囲気がそこはかとなく伝わってくるような御一家であった。跡を継がれるご子息さんも優秀な方で、しかも僧堂で長く修行をされた。そして今日、目出度く晋山の盛儀と成ったわけである。「ローマは一日して成らず」と言うが、父子の生真面目で地道な努力の結果である。こんな気持ちの良い晋山式はなかった。
2007年03月29日
安野光雅展
以前より好きだった安野光雅の個展が名古屋のデパートで開催されたので見に行ってきた。津和野やヨーロッパの田園風景画が専らと思っていたので、全くそうではなかったのには、先ず驚かされた。「ABCの本」にあったあんパンの微細画。本当のあんパン以上に本物だ。「旅の絵本」では沢山の家とわんさか人が描き込まれている。瓦1枚1枚に至るまで疎かにしない根気、脱帽である。私も多少草花を描くが、いや~、つくし・れんげ・ほたるぶくろ・どくだみ等々、の雰囲気の良いこと、よくぞここまで描くものだ。その外、「絵本、平家物語」など、目から鱗の一日だった。こういうしっかりした線が引けて初めて、単純化された美しい田園風景が描けるのだと言うことが良く分かった。その時ふっと修行のことを思った。徹底してどん坐る地道な修行の蓄積があるからこそ、遊戯三昧(ゆげざんまい)の妙味が出てくるのだ。何事も基礎が大事と言うことである。
2007年03月25日
仏式結婚
当山とは特に因縁の深いY氏ご子息の結婚式を仏式でやりたいということでお引き受けした。Y家とは先代さん以来で、今日式を挙げた本人も小学生の頃からよく知っていた。気さくで好青年、優秀な人で、環境省の役人として活躍しておられる。披露宴の席がご両親の隣だったこともあって、小さい頃の話しをいろいろお聞きした。スポーツマンで元気いっぱいの現在の姿からは想像できないが、虚弱体質で随分ご苦労されたようである。そう言う思いもあってか、ご両親の感慨も一入のようで、喜びがひしひしと伝わってくるようだった。「子を持って知る親の恩」と言うが、彼らもいずれ子供を持つ身になって、屹度親の有り難さを痛感するようになるのだろう。親族だけのこじんまりした披露宴だったが、心の通った実に暖かな雰囲気だった。久しぶりに良い披露宴にお招き頂いたと、感謝している。
2007年03月21日
ハチ
フアンの方より、「近頃ハチのことが記事になりませんね。」と言われ、ご要望にお応えして、久しぶりに愛犬ハチ君の近況をお知らせ申し上げる。ハチは間もなく満12歳になる。余所のに比べて断然元気、それは朝晩の散歩を欠かさず、日中は大好きな日向ぼっこを思う存分して、私を始め雲水達はいつも頭を撫で、話しかけ、愛情を一杯注いでいるからである。だからストレスが溜まらない。年中短い紐で繋ぎっぱなし、スキンシップ全くなし、話しかけない、と言うような犬は、顔がすれっからしになる。そう言っちゃ~何ですが、ハチはそんじょそこいらのとは「顔」が違う。つぶらな瞳・ピンク色の鼻・気品漂う顔・先っぽがちょっと垂れて、歩くたび可愛く揺れる耳・くるりっと背中に回った尻尾、老いても尚、遜色ない。強いて欠点を上げれば、相変わらず食い意地が張って、散歩中電光石火、何でも口に入れてしまうことである。これは生涯治らないと諦めている。人間世界でも良く言う、酒飲みが酒を飲まなくなったらお仕舞いだと、ハチにこのガツガツがなくなったら終わりだから、持って生まれた性分と諦めている。
2007年03月17日
葬儀
年をとってくれば知人友人の葬儀に出掛けることが多くなるのは仕方のないことだが、一昨日又そう言う葬儀に出掛けた。私より一回り以上も年が離れた方だが、奥さん共々大変親しくさせて頂いた。市内では有名な漢方医で、症状に合わせた懇切丁寧な処方が人気を呼び、遠くは関東方面や四国九州からも、患者がやってきて、診察を待つ人が長蛇の列を成す程だった。漢方医としての眼の確かさもさることながら、何と言ってもその人柄の良さである。病を持つ者にとって信頼出来ると言うことほど大切なことはない。体の弱い私は個人的にも沢山お世話になった。またご夫妻と一緒に何度となく旅行にも出掛けたり、ここ数年は一緒に日本画の稽古もしてきた。細かいところが見え難くなったと言いながらも、独特のデッサンと色の置き方は、先生ならではの優しさがほんわか伝わってくるようだった。葬儀の心温まる弔辞を聞きながら、無念としか言いようのない、寂寞たる思いに駆られた。
2007年03月15日
雪中スケッチ
14日の把針灸治に先生と二人で美濃白鳥・北濃方面へ雪の中スケッチに出かけた。途中ちらちら雪が舞い空は鉛色、大日岳の雪山を描こうという目論みだったが、どだい山が見えない。周囲の積雪も徐々に増し、二人とも登山靴では膝まですっぽり雪に潜り、一歩も歩けない状況となった。雪掻きのスコップを持って、長靴スタイルで来なければならなかったわけで、大番狂わせである。その上肌を刺すような北風がびゅーびゅー音を立て、寒いったらない。しかしこんな事で怯んでいたのではいい絵は描けないし、わざわざ2時間も掛けてやって来た甲斐がない。長良川の川岸まで雪まみれになって下りた。旨いことにあっという間に良い天気になって山並みもくっきり見えだした。凡そ3時間、1枚描き終わったところで、足はずぶ濡れ、靴下までびしょびしょ、余りの冷たさに近くの食堂へ飛び込んだ。赤々と燃えるストーブで靴下を乾かし、靴を履く時スーパーのビニール袋を貰って足をくるみ履くとなかなか調子良い。お腹も膨れ足も温かくなり午後は場所を移動し、もう1枚描いて夕方帰山した。スケッチにも根性が要ると解った。
2007年03月12日
朋あり 遠方より来る
40数年前、京都の寺で小僧をしていた時、寺に下宿し大学へ通っていた人が、はるばる関東より訪ねて来てくれた。当時の学生達の中でも彼とは不思議に縁があって、お互い離ればなれになってからも、年賀状の遣り取りがずっと続いていた。嘗て鎌倉に住職していた頃もわざわざお尋ね頂いたことがあった。10年ほど前、妙心寺で開堂した時も、奥さん娘さんを連れて来てくれた。大手の製薬会社を2年前定年退職し、現在は市の嘱託で福祉関係の仕事をしているという。すっかり髪も白くなって、何処から見ても老人になってしまったが、生真面目なところは相変わらずで、話しをしているうちに昔のことが彷彿としてきた。これから京都へ回って、嘗てお世話になった小僧寺や先斗町の飲み屋へ寄るという。もっとゆっくり話しをしてみたかったが、又何れ機会も巡り来ると信じて、惜しみつつ別れた。
2007年03月11日
中国祖師巡拝旅行
先月19日から8日間、一行11名で広州から入り安慶、南京、蘇州、上海まで合計10ケ寺を巡拝した。
丁度旧正月、春節の時期だったため、何処のお寺も参詣の老若男女で押すな押すなの大賑わい、爆竹が絶え間なく鳴り響き、騒々しいったらない。中国でも南方は大変仏教の信心が篤いところだそうだ。驚いたのはお線香の巨大なことである。直径10センチ、長さ2メートルはあろうかという、まるで材木を担いでいるような格好で、階段を上る姿には、「大きいほど御利益があると言ったって、それはちょっとやり過ぎじゃない!」と言いたくなるほどだった。また南京の寺ではお賽銭の紙幣が次々に投げ込まれると、係のお爺さんが箒で掃き寄せ、まるで落ち葉のように堆くしているのには思わず笑ってしまった。繁華街は特に人出が多く、車と人がごちゃ混ぜ状態、よく事故が起きないものと感心した。「中国は車優先ですかね?」とガイドに言ったら、「いいえ、勇気優先です!」確かにここでは勇気のあるものが勝ちだと思った。
2007年03月10日
断食道場
断食道場の話しを少々。我々の体は酵素の働きによって食べてものが消化・分解され体の中に取り込まれ血となり肉となる。断食期間中はその酵素を飲んで、毎日午前午後の2回、酵素で発酵させたおがくずの風呂に潜り汗と共に老廃物を出す。また毎日主催者、吉丸先生の講義もあって、後はひたすら寝る。大ざっぱ以上が1週間のメニューである。腹の中が空っぽになり、腸がスッキリし、3,5キロのダイエットが出来る。意外と空腹感はなく、比較的快適に過ごせ、日頃の忙しさからも開放され良い静養になるというわけである。どうです!皆さんもやってみたら。特に吉丸先生の話は素晴らしく、拝聴するだけでも行く価値はある。これを始めてもう10数年になるが、いまだに通い続けているのだから、私が太鼓判を押します。
2007年03月08日
ご無沙汰しました
永らくブログお休みしまして、ご心配お掛けしました。別にのびてたわけではありません。2月下旬、会下の和尚連中と中国祖師巡拝旅行へ出かけ、帰って3日ほど置いて、また直ぐに九州へ断食に行っておりました。今日無事帰山したというわけです。中国旅行も断食もそれぞれに大変収穫のある日々でした。詳しくはいずれぼちぼちと書きますが、この間の非日常は私にとって良い刺激になりました。僧堂生活の同じリズムの繰り返しをこういう形で壊してみると、単なる気分転換というようなものではなく、深く心に響くものがありました。断食も始めだしてからもう10数年続けているのですが、毎回何か得るものがあります。こういうご縁を頂けると言うことが何より有り難いことです。