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2007年05月31日
愛語よく回天の力あり
毎年、看護士(昔は看護婦)を目指す学生の坐禅研修を引き受けている。1時間坐って1時間話を聞いて帰るという短時間ものだが、結構真面目にやって行く。近年は男女の割合が1対3くらいになって、年々男子が増える傾向にある。その時の話しを少々。言葉は言霊(ことだま)というくらいで、希望や夢を与える言葉は聞くと希望が湧き夢を持つようになる。これを脳科学の方面から調べると、「ミラー細胞」を刺激してそのようになるのだという。これはラジオ深夜便心の時代、高田明和氏の言である。反対に悪いこと人を傷つける言葉は相手を暗い気持ちにさせ自信を失わせる。病人は体も病み同時に心も病むわけだから、看護士さんの一言が患者をどれ程元気ずけ励ますか知れない。点滴や薬に勝るとも劣らない大きな力となる。だから一言を大切に、心を籠めて話して頂きたい。当に愛語よく回天の力ありである。
2007年05月30日
お祓い
人間不幸というものは塊になってやってくるようで、3月には、大変親しくさせて頂いていた方のご主人が亡くなられ、相前後してもうひとかた、こちらもご夫妻共々親しかった奥様の方が、急に病に倒れ一時生死の境を彷徨うと言うほどの重病、更に追い打ちを掛けるように、停車中、後ろからもろに追突される始末。踏んだり蹴ったりとはこの事である。ご主人は永らくホテルの総支配人として辣腕を振るわれ、その実力は業界でもよく知られた方だった。間もなく80歳に成られるのだが、今尚溌剌としたお姿は羨望の的であった。ところが奥様のこういう深刻な状況に、すっかり意気消沈、「家内をこんなにも頼っていたのかと、改めて知りました。」と、憔悴振りは端から見ていてもお気の毒と言う他ない。そこで寺にやってきて厄払いをお願いしたいというわけである。どれ程効き目があるか保証の限りではないが、ご祈祷することを約束した。お二人共に、「孤独」の辛さを嘆いていた。ひとりぽっちで食事をしても、まるで砂を噛んでいるようで、何を食べても美味しくないと言うのだ。私はもう40数年も、この孤独と向き合ってきた。心はガラス細工のようにもろくはかないものだが、しかし又心ほど強靱なものはない。どうか強い心を掴んで欲しいと願った。
2007年05月28日
「不都合な真実」アル・ゴア
僧堂創建祖師、隠山禅師毎歳忌の宿忌が午後4時から行われた。例年は汗をびっしょりかいて、出頭後は下着から全て着替えするのだが、今年はそよそよ心地よい風が吹き抜け、汗ひとつかかず気持ちよく終わった。こんな事は珍しいことである。丁度今、アメリカ元副大統領 アル・ゴア著「不都合な真実」を読んでいる。これは二酸化炭素の量が増え、地球規模で洪水・干ばつ・巨大ハリケーン・氷河の消滅等々、このまま放置すれば危機的状況になると言う警告の書である。まだ半分ほどしか読んでいないが、他人事じゃ~ないな、と思った。こんな大きな地球が・・・・、と思う反面、確かに年々減少する冬の雪の量などでも、身近なこととして実感する。科学技術の猛烈な発達で快適な暮らしが得られたのは喜ぶべき事だが、反面着実に地球は蝕まれているのである。やはり暑い季節は大汗掻き、又寒い冬はぶるぶる震えながら過ごすのが真実の姿なのかも知れない。
2007年05月26日
脳年齢20歳
アンチエイジングドックであなたの脳年齢は74,7歳ですと診断されてがくっと来てからと言うもの、友人から頂いたニンテンドーDS「脳を鍛える」で日々精進。ついに脳年齢は20歳にまで発達してきた。このゲームソフトでは20歳が若返る限界で、どうだい!てなもんで、手放しに喜んでいたところ、親戚の者が「そう言うのって、使う脳が同じところになって駄目なのよね~」だと。なるほど、それは言える。ゲームの種類も一定しているから、慣れで上達すると言うこともある。そこで、「さらに脳を鍛える」新しいソフトを購入した。さすがパート1とは内容も著しく変化し、まごついていたら、何と脳年齢が50歳代に逆戻りした。何事も突き刺さって行く私の性格上、負けて成るものかと再び精進の日々。本日の時点で30歳まで回復した。後10歳若返ればこのソフトも征服である。早くパート3を発売してくれないかと、待ち遠しいくらいだ。
2007年05月24日
超多忙
15日から半夏大接心、21日接了、息つく暇もなく次々仕事に追われた。今日も名古屋まで出掛けてちょいっと講演、どうも人前で話しをするのは大の苦手、だから終わるまでずっと気になって枕を高くして寝られない日が続いていた。今日無事終わってほっと一息ついたところで、さてブログでも書きましょうと言う次第。私同様雲水も連日大忙しである。28,29日、僧堂創建祖師、隠山禅師毎歳忌のために境内樹木の剪定、掃除、本堂の荘厳、幕張り、控え室の支度等々、晩開板後も遅くまで仕事をしている。こういう忙しいときに限って、ハチの前足肉球におでき、歩くのも痛そうにしているのでこれまた夜医者に連れて行く。間の悪いことに心臓停止の急患が入り、先生はその犬につきっきり、そのあおりを食って何と1時間半も待たされてしまった。このところ日中は真夏の暑さ、お互い楽じゃ~ないね。
2007年05月12日
津葬(しんそう)
うちの寺と近い関係寺院の尼僧さんが遷化された。以前より四大不調で、病状も相当深刻な状況だったので、覚悟はしていたものの、遂にその日が来てしまった。私が瑞龍寺に住職した時以来のお付き合いなので、既に25年にも成る。最後にお見舞いに行った時には、ご本人も腹を決めておられる様子だったのが、何ともやりきれなかった。最期は5歳の時から師匠の下で育てられた自坊で息を引き取られた。生前そのままの顔立ちで、安らかな死であった。葬儀は後継者が居なかったため、法類の和尚さん達が協力して、大忙しのうちに無事終わった。年々周囲の知人や友人が亡くなって行くのは寂しい限りで、誰も避けられぬものとは言いながら、しばらく気持ちが沈んで憂鬱になってしまった。落ち着く間もなく、半夏大接心も目前に迫り、又気持ちを切り替えて、頑張らねばならぬ。
2007年05月06日
意味のある偶然
今日、嘗て僧堂で一緒に修行した後輩がやって来た。彼の弟子を預かっているので、その挨拶にきたのである。予てより、彼が障害児関係のボランティアで頑張っていること、また福祉施設から子供を引き取って育てていることなどを聞いていたので、その様子など詳しく聞いた。話しは次々に展開して、聞けば聞くほど彼と奥さんの心根の深さがひしひしと伝わってきて、頭が下がった。僧堂修行は必ずしも充分ではなかったが、住職してから実社会で揉まれ、その中から自らの生き方を創り出していったのである。丁度昨日、或る会合があって、極めて質の悪い話しに絶望的な気分になっていた折り、一陣の清風が私の心を洗い流してくれたように感じた。誰かが意図的に仕組んだわけでもなく、全くの偶然なのだが、何処かで、負けては駄目だぞ!と、激励してくれているような気がした。
2007年05月04日
ゴールデンウイーク
何十年間もずっと5月初めは入制大接心と決まっていた。道路が大渋滞、新幹線が大混雑など、世はあげてレジャーと言う最中、我々はそんな世俗の事には関せず、早朝より坐禅の明け暮れの1週間であった。ところが去年より事情があって、入制を半月早めたために、5月の大接心は15日からとなり、世間並みにゴールデンウイーク気分を味わった。3日、たまたま用事があって出掛けると、道路という道路は機動隊の物々しい警戒、こりゃ一体何事ぞ!しばらく行くと真っ黒な大型バスが何台も連なって、スピーカーの大音響である。恒例の行事とはいうものの、騒音以外の何物でもない、まったくうんざりである。今日、たまたま親戚の者がやってきたので、谷汲山と横蔵寺へ案内した。市内から約1時間ほどの山奥のため、空気も澄んで、新緑も一層映え、気持ちの良い参拝が出来た。
2007年05月01日
慈雨
4月は殆ど雨が降らず、昨年何本か植えたもみじに、水遣りが毎日の仕事だった。そこへ今日の雨、有り難いったらない。庭の緑も雨に濡れて一層美しくなった。今朝、ふっと気が付いたのだが、今まで聞いたことのない小鳥の囀りが頻りに聞こえる。ありゃ何だ?岐阜県は大陸からの渡り鳥が能登半島に上陸し、南下する時の通過ルートだそうで、時折珍しい鳥がやってくる。コイカル(ロシヤからの渡り鳥)も春先に何羽か見た。鼠色に黄色いくちばしが特徴で、むくどり位の大きさである。いつもかたわらに野鳥図鑑を置いて、珍しいのを見た時は直ぐに調べることにしている。ところで、庭に住み着いている野良猫の黒が、小鳥たちがつくばいで水浴びをしていると、そこを狙い打ちにして飛びかかり、食ってしまう。色が黒いので目立ちにくい上、巧みに蛇の髭の下に身を潜めていきなり飛びかかるのだ。黒も生きて行くために必死なのだから、仕方がないとは思うものの、小鳥たちのために何とか防御方法を考えてやらねばと思っている。