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2007年09月26日

尼僧掛搭

早朝、旧友の和尚夫妻が寄ってくれた。親族の女性が尼僧修行をしたいというので、掛搭のために送ってきたのである。今日から2日間は玄関の床にお辞儀をしたままの姿勢で頑張らなければならない。50歳を過ぎて何か深く思うところがあったのだろうが、それにして大きな決断である。僧堂修行の一番の難関はお経を知らないとか、作務がきついとか、日常の所作が不慣れとか言うことではない。こんなものは時が経てば知らぬ間に解決して行く。それより何がきついかと言えば、毎朝早朝から起きて、お経を読み、坐禅を組み、雑巾掛けし、日中は畑を耕したり草を引いたりと労働に明け暮れ、又夜になれば坐禅を組み、朝晩の参禅も公案は貰って参ずるものの、何がなにやらちんぷんかんぷん、しかもそれについての手引きは一切無い。訳がわからないままほっぽり出されて途方に暮れる日々である。3年馬鹿になって、遂に挫折して山を下る例が実に多い。この馬鹿な日々の向こうに、果てしなく広がる大きな世界があるのだが、この山を越えるのは難しい。折角縁あって出家したのだから、どうか乗り越えて欲しいと心から念じた。

投稿者 zuiryo : 2007年09月26日 20:41

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