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2007年11月30日
老眼鏡
私は50半ばころから老眼鏡を掛けるようになった。最初は先住さんの残していった眼鏡枠を再利用させて貰ってレンズだけ換えて使っていた。その内どうも顔の幅が違うせいか左右のこめかみが痛み出したので自前の眼鏡を作った。老眼は徐々に進むようで何回かレンズを交換し、今日も少し見難くなったので眼鏡屋に出掛けた。姉と私は年が7つ違うのだが、「あんた、65になってご覧、ガクッとくるわよ」と聞かされていたが、なるほど今年65になってみたらその通りである。目も年々しょぼしょぼしてきて、年は取りたくないな~としみじみ思う。襖絵の虫食いの原因が漸く分かってきた。多分体長1センチほどの何とか言う虫が表面を舐めるらしい。さらに虫を特定するため、午後、専門業者が捕獲箱を20ケ程持ってきた。これを天井や周囲の床に置き、2週間ぐらい経って調べれば、ハッキリしてくると言うことである。一方参道や境内の松、約100本に防虫の注射を2年ごとに打つのだが、来年早々にはお願いしなければならない。イノシシの大虫から松の木、襖絵の虫と、このところやたら虫に襲われっぱなしである。
2007年11月29日
芸術の秋
11月は日展の季節、知人で何人かは毎年出展しているので、入選や特選が気になる季節である。まあまあ無難なところで落ち着いた。今年から新しい会場に移ったために、審査室の照明も変わったため、どんな明かりが使われているかを聞き、それに合わせてアトリエの照明も換えたのだそうだ。色具合などは随分違ってくるそうで、たらし込みの技法を用いた作品は、ややくすんで見えたため、今年は不利だったという話しである。それぞれ専門の領域ともなると、こんなところにまで神経を使うのである。さてイノシシ撃退電線を周囲の山に巡らす工事が昨日完成し、スイッチオン。本当にビリビリッとくるか実験してみるわけにはいかないが、まずはこれで枕を高くして寝られる。聞くところに依ると、イノシシはまず「ヌタ」で体中泥をなすりつけてから出立するそうで、こうすると鉄砲の弾も通り難くなるらしい。丁度武士が鎧甲を身につけていざ出陣という格好である。本当かね!さて入制1ケ月を過ぎて、左首筋から肩に掛けてコリコリ、午後、何時もお世話になっているN治療院で電気針、これでスッキリした。隠寮庭の紅葉は今が真っ盛り、深紅に色付いたドウダンやもみじ、綺麗に掃き清められた庭にしばし佇む。毎年たった一人で眺めているのだが、「もったいない」な~といつも思う。
2007年11月25日
アルプスの家
前回、合掌造りの家3棟を描いたが、完成した絵を眺めると、どう見てもヨーロッパアルプスの家に見える。最も日本的な家屋が、変じてこうなってしまった。自分でも頭を傾げている。いままでも大体私が描くと、総じて少女趣味的可愛らし~い絵になってしまう。本人は普通に描いている積もりなのだが、結果、何時もこうなる。不思議な現象である。一昨日からいよいよイノシシ防御策の電線張り工事に掛かった。敵もさるもの危機を感じたのか、このところ毎晩現れては、最期の悪あがきで、荒らし回っている。しかしこれも時間の問題である。今に見ていろ、イノ公め!今日は山内のお寺で茶道具の中の、茶入れ、特に漆器類の解説があったので聞きに出掛けた。随分いろいろな形の物があるものだ。良い勉強になった。居室のフアックスがぶっ壊れた。約10年でパーになった。新機種が入って、いま電気屋さんに操作を教授して貰っている。さすが10年もたつと機能が向上して、一段と便利になった。ポカポカ陽気、午後は山歩きに出掛けよう。
2007年11月22日
松尾池
今日は把針灸治、いつものスケッチ仲間3人で、郊外にある松尾池へスケッチに出掛けた。ここは寺から車で15分ほどの近くにある山と池、対岸に白川郷から移築された合掌造りの家が大小3棟建っているところで、スケッチには最適の場所である。紅葉の真っ盛りと言うこともあって、散策を楽しむ人、カメラ片手にパチパチやるお年寄りなど、結構な人出である。早速絵を描き出すと、通りがかりに覗く人が多くて、へたっぴーの私は気が散ってしょうがない。その上、冷たい風が吹き抜け、寒いったらない。特に腰から足にかけてしんしんと冷え、鼻水しゃくり上げながら頑張ること3時間、漸く1枚描き上げた。その合掌造りの家が食べ物屋になっているので、昼食は山菜料理。ほっと一息ついて午後から場所を変えて、もう1枚描いた。この頃は更に寒さは増し、1時間でそそくさと描いて終了。もう限界である。出来栄えはイマイチ、山の色を出すのは、半抽象の世界だと解った。午後4時半、寺に戻ると、終日し~んと静まりかえって、雲水も留護の当番一人で、他は皆外出していたので、ハチは余程寂しかったらしく、まあ、喜ぶこと、まつわりついて離れない。これだけ帰りを待っていてくれると、疲れも吹っ飛んだ。
2007年11月20日
関ヶ原
知人の案内で或る企業の社長さんにお目に掛かった。場所は関ヶ原の合戦で有名な場所に隣接したところで、あの山が島津の陣・こちらが小早川の陣、あそこが家康の陣などと、四百年前のことが目の前に展開するというところである。遙か西方には雪に覆われた伊吹山が望まれ、周囲の山々の紅葉を愛でながら、ぽかぽか陽気の田舎道を歩いた。この社長さん大変ユニークな方で、新進の芸術家を何人も援助し、敷地内に芸術村を作って、好きなように作品作りをさせている。工場内の壁面には巨大な絵が掲げられ、事務所や会議室にも雰囲気のいい絵が飾られている。また敷地内には至る所芝生が敷き詰められた美しい庭があり、そこには様々な石の彫刻が置かれ、工場全体がまさに彫刻の森美術館である。これらは全て社員たちに開放され利用されている。現代人は効率第一で、全てが機械化され、人間本来のみずみずしい感性は失われ、新鮮な驚きや感動がなくなってしまった。「人間らしさ」がなくなったと嘆いておられた。企業家として日々厳しい試練に直面しながら、一方で、こういう生き方を貫いている姿に、嘗ての日本人が持っていた懐の深さを感じたのである。
2007年11月18日
襖絵に虫
このと処ろくなことはないが、今度は貴重な襖絵の上部が虫に食われたらしく、真っ黒な墨の部分が相当酷くまだら模様に白くなっている。これにはビックリ仰天!何百年前の墨跡でも、墨の部分は決して虫に食われることはないが、一体これはどうしたことか?白くなったところを撫でてみると、少し凹んだ感じがする。矢張り虫に食われたとしか考えられない。ときたま、ゴキブリも食うと言う話しも聞くが、ともかく虫の専門家に見て貰って原因を確かめなければならない。イノシシの野郎もその後、相変わらず日参して、庭中畠のように鋤返してゆく。確かに干支はイノシシ年だが、何もそれに合わせて来なくともいい。先日、大根托鉢をして、漬物用大根は今、ハザに掛けて干している。このところの好天で、忽ちしなびてきたので2,3日中には漬け込まなければならない。その折り頂いた、白菜も半分に切り1日干して、こちらは既にぬかずけにした。毎年のことだが段々年末に近づいて来たことを実感する。隠寮庭の紅葉は例年なら今頃が一番見頃なのだが、まだまだ青々している。12月に入ってからと言うことになりそうだ。
2007年11月13日
イノシシ襲来その後
また昨日庭を荒らし回っていった。掘り返した杉苔をご丁寧に又掘り返し、まるで畠のようになった。遂に堪忍袋の緒も切れて、太陽電池付き電線を約400メートル張り巡らすことにした。どうもこれが一番効き目があるようで、触れるとビリビリッとくるのだそうだ。費用140万円なり。っもう、イノ公め!金払え~!夕方、長い間親しくしていた方が95歳で亡くなられた。2ケ月ほど前にも同様に親しくしていた方が94歳で亡くなられ、何だか急に寂しくなった。明日は嘗てうちの僧堂で修行した老僧が99歳で亡くなられ、その葬儀に出掛ける。みな長寿を全うされたわけだが、こうして歯がかけるように居なくなるのは、順番とは言え、とても他人事とは思えない。知人も病気になって入院したし、どうもこのところ良いことが一つもない。ハチもまたまた顎の下に吹き出物、かきむしったために酷いことになった。医者に連れて行き治療、ガードのための首巻きをした。本人はそれが煩わしいらしく、ブ~ッとふくれっ面、何処を見渡してもろくなことはない。
2007年11月12日
落慶式
昨日は元住職していた寺の本堂や書院が新築され、目出度い落慶法要があった。庭も杉苔がびっしり生え揃った中に、もみじがバランス良く植えられ、裏の山際までなめるように手入れが行き届いていた。私が住職した7年半は、専ら現状維持で、殆ど何もせず、境内もむさむさしいものだった。裏の畑で芋を作って、芋粥を食べていた。その畠だったところも綺麗な庭に整備され、隣り合わせに墓地も出来、檀家も増えて、名実共に寺らしい寺になった。25年掛かって遂に念願が成就したわけで、和尚の努力の程が伺われる。落慶式の前日は近くに宿を取ってくれたので、久しぶりに嘗て道場で一緒に修行した仲間と夜の更けるまで飲み明かした。法要も無事済んで急いで帰山した。午後3時半には、郷里の小学校時代の旧友28名がやって来た。50年以上も全く会っていないので顔も名前も全然結びつかず、浦島太郎のような心境になった。岐阜市内の宿で一緒に食事をした。小さいころカイボリをしたりシジミを捕ったりイナゴを捕ったりしたことなど、思い出話しに花が咲き、急に親しみが湧いてきた。それにしても驚いたのは、忽ちカラオケ大会になったことだ。それが皆上手いったらない。これが世間というものかと思った。
2007年11月08日
庭は滅茶苦茶
1日から1週間入制大接心があり、昨夜首尾円成、今日は把針灸治で一息ついた。と言っても待ってましたと仕事が追いかけてきて、晋山式のお礼参りに2名来山、干支の色紙の打ち合わせ、書道の発表会があり見学旁々ご挨拶、これで午前中は潰れた。午後は山歩きをしてからいつもの指圧へ出掛けマッサージ1時間、これらで早や夕方になってしまった。ところで大接心中またまたイノシシ野郎が来襲、もう隠寮の庭は、残っていた杉苔を全て捲って、さらに穴ぼこだらけにしていった。やりたい放題とはこの事。怒髪(と言っても髪はないが)天を突く。明日は市役所へ行って捕獲用の檻を借りてくるつもり。瑞龍寺生活26年目だが今までこんな事はなかった。岐阜市も一応40万都市、寺のある場所は市の中心地でもあり、こう毎晩イノシシがやってきて暴れ回るようなところではないのだが、どこか狂っちゃったんですね。お出入りの工務店に相談して、背後の山に塀を巡らして侵入を防ぐ以外に有効な対策は無さそうである。又お金の要ることで、あったまいて~よ!