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2008年02月29日
携帯電話
今日、思い切って携帯を新しくした。売り場に行ってみるといろいろな種類がこれでもかっ!とずらり並んでいる。どれが良いやら解らないので受付の女の子に、使いたい機能を言って、選んで貰った。世界中何処でも使えるという超グローバルな奴。画面はワイド極めて薄っぺら、そして軽い。朝から何だか浮き浮きして、使いたくってしょうがない。しかし使い方が解らない。そこでマニュアル本5冊、今読み始めたところである。図入りで解りやすくはなっているが、一通り読むだけでも草臥れる。兎も角使えるようにしなければ買った意味はない。これだけパソコンの発達した世の中なんだから、CDに実物で操作する画像を映して解説して欲しいものだ。相も変わらずマニュアル本では遅れてはいまいか。読み進むと案の定、無用な機能の説明ばかりで、肝心の電話がかけられない始末。1時間かかって、漸く電話帳から相手を選び出し、かけられるようになった。知人の話では、こういう類の物はマニュアル本などに頼らず、めったやたらにボタンを押しまくっているうちに、自然に使えるようになると言う。ここまでで頭が痛くなったので、本日は終了。
2008年02月28日
ご縁
昨日、埼玉の秩父から葬儀の拝請にやって来た。亡くなった和尚は、嘗て建長寺塔頭の住職をしていた頃、本山で夏休み子供たちを対象に禅の集いを催したとき、毎年世話係として手伝って呉れた。また彼は西宮の妙心寺派僧堂出身と言うこともあって、私が岐阜へ転住してからも、京都の本山で度々顔を合わせた。10数年前、交通事故で、不自由な車椅子生活を余儀をなくされたのだが、剽軽で明るい性格は変わらず、ずっと元気で居られたのだが、本当に惜しい人を失った。私とは同年で、お互い酒には目がない方だったから、盆暮れには忘れずに秩父の旨い酒を送ってきてくれた。これも30年以上も前のご縁がそもそもの始まりである。拝請には新命と私が嘗て住職していた鎌倉の寺の後を引き継いでくれた和尚と二人でやって来た。彼も秩父の出身で、亡くなった和尚とは交流があった。思えばなんとも不思議な縁である。さて、今日は午後から、尼僧堂へ習字に出掛けた。もう2年以上になるので皆徐々に旨く書けるようになって、教える方も甲斐がある。書はお坊さんにとって大切なことで、檀家に上手な字で書いてやればお布施も上がるというのもだ。
2008年02月26日
ぼたん雪
前回は慌てて題を付け忘れてしまった。今度は慎重に、ぼたん雪と付けてから始める。朝まだ暗がりの内から愛犬ハチの散歩に出掛けたが、星も月も見えずどんよりしていたので、一瞬傘を持って行こうかと思案した。まっ、降られたらその時はその時で・・・・、と出掛けたが無事帰ってきた。しばらくするとみぞれが降り始め瞬く間にぼたん雪に変わって、あっという間に庭は真っ白になった。2,30センチも積もると、後の庭掃除が大変だから、早く止んで欲しいと願ったら、昼頃には止んだ。午後用事で廊下に出ると、バサッバサッと、数十羽の「コイカル」が一斉に飛び立った。これには驚いた。こんな大集団で隠寮の庭にやってきたのは初めてのことである。延々数千キロを渡って来て、生憎雪に振り籠められ、ついばむ餌もなくなって、必死になって落ちた種子を漁っていたのだろう。一方、たぬき(隠寮下水溝にずっと住みついている痩せっぽちで、毛もよれよれで酷く哀れっぽい)のこのこ出てきてつくばいの水を飲んでいた。昨年はイノ公にさんざん酷い目に合わされたが、背後に連なる山々は多種多様な動物たちの住処だから、うちのお寺もいろいろな目に会うのである。
2008年02月25日
今朝、ガツン!とガラ
今朝、ガツン!とガラス戸に物がぶつかる音、「コイカル」一羽憤死である。鳥類図鑑で調べると、ロシヤの方から渡ってきた鳥である。今冬、これで二羽目だ。午前8時、2ケ月毎の中性脂肪検査日、絶食で出掛ける。何と数値は200、ガックリ来る。「血圧もやや高めですね~。」と言われてしまった。今日は温かな日和で、洗濯物はよく乾くし、外掃除も風がなく掃きやすい。ハチは終日趣味の日向ぼっこ、庭の紅梅の蕾も徐々に膨らみ初め、さすが寒かった2月も間もなく終わって、梅林公園の梅祭りである。午後からは「ともしび会」で30数人のご婦人方と坐禅・お話し、終わって山歩きに出掛けた。1時間半、一汗掻いた体を拭い、着替えると心地よい疲労感があって、スッキリした気分になる。
2008年02月19日
親孝行
「親孝行したいときには親は無し」と言うから、自分だけはそう言う苦い思いをしないようにと思いながら誰も実際には出来ない。親子と言ってもそれぞれ所帯を持ち独立すれば、既に半分は他人だからである。何よりも大事なのは自分の處、余裕があれば少しぐらいは何とかいたしましょう、ということになる。よく師匠が、「右手に家内、左手に子供を持って、後どの手で人を救うのだ。」と言っていた。つまり人の為にしようと思うなら自分のことは全て捨て去れということである。しかしこれは至難のわざで、人間には誰でも自己防衛本能というのがあるからだ。「もの持たぬ袂は軽ろし夕涼み」、物質的な物も人のしがらみも全て捨てきれば、風船が軽やかに空中に舞うように、ふわふわ自由に漂いながら人生を送ることが出来る。そして必要なときには全力で人の為にすることが出来る。禅僧になって一番良かったのはこれです。
2008年02月16日
制間
2月からは一応冬の修行期間も終わって、雲水達はそれぞれ暇を貰い自坊に帰る。と言っても、僧堂では朝からの日常行事は相変わらずで、することは同じなのだが、何となく気分的にのんびりする。で、この徒然日記もしばしお休みを頂き、毎日ぼ~としておりました。ところでこの寒さは一体どうなったのか。大寒も過ぎ、立春も過ぎ、梅の蕾も徐々に膨らんで来たというのに・・・、ほんとうに春風が待ち遠しい。この間渡り鳥がガラス戸に激突して死んでいた。毎年良くあることで、はるばる何千キロも飛んできて、見知らぬ寺の境内で敢えなく死ぬとは可哀想なことだ。さて今日はこれから伊奈波神社までウオーキング、風は冷たいが負けてはいられぬ。