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2008年03月29日
シベリヤ抑留記
3月上旬には梅が咲き始め、その頃から鶯が鳴き出した。山門の真正面にある紅梅は今年も美しい花を一杯付けて、多くの見物人を集めた。やがて梅に代わって桜が満開、当に春爛漫のこの頃である。へたっぴーだったウグイスも最近は鳴き方も声の艶も一段とグレードアップして、夜も白々明ける頃から夕暮れに到るまで、鳴きづめに鳴いている。良くも声が嗄れないものだ。姉のところから、山下静夫著「シベリヤ抑留1450日」が送られてきた。ラジオ深夜便こころの時代でこの人の話を聞き、早速本を買って読んだそうだ。文章もさることながら挿絵が又素晴らしい。よくぞ記憶を頼りにここまで正確に描けたものだと思う。以前、九州断食道場でたまたまご一緒した方が、シベリヤ抑留体験を話して呉れたことがあった。余りにも苛酷な内容で、一言一言に息を呑む思いであった。戦後60年以上を経て、だんだん風化してゆくが、日本人として決して忘れてはならないことである。この本もじっくり読もうと思っている。
2008年03月28日
カーリング型
昨日、日経を読んでいたら、コラムに大変面白いことが書いてあったので引用させて頂く。『社会経済生産性本部は、今年の新入社員の特徴を表すキーワードを「カーリング型」と発表した・・・・「氷上を滑走する石のごとくスムーズに就職できた。」入社後は方向を見定め、「そっと背中を押すことが不可欠」である。育成もカーリングの石と同様に「ブラシで氷をこするのをやめると減速や停止をしかねない」「磨きすぎると目標地点を越えてしまったりはみ出したりしてしまう」こともあり、上司には微妙な「ブラシさばき」がもとめられそうだ。』。思わず笑ってしまった。僧堂も春は入門シーズンで、新人が入ってくるが、今年に限らず「ブラシさばき」の大切さは同感である。カーリング競技で、石の前を一生懸命擦っている姿はやや滑稽に見えるが、あれを精神界の目には見えない部分で、我々はやっているわけである。こちらは相当一生懸命擦って滑り良くしたつもりでも、どいつもこいつも減速や停止野郎ばかりで、本当に草臥れる。
2008年03月27日
旧交を温む
鎌倉住職時代、台所辺で大変お世話になった方が93歳で亡くなった。既に1月に知らせを受けていたのだが、大接心や制末の諸行事が錯綜して遂に出掛けられなかった。一昨日ようやくお宅を訪ね、仏前にお詣りしてきた。30年も前になるが、もう一人のSさんと3人で料理を出し、跡片付けの後、残り物で何時も食事をした。私は僧堂のこと、おばさん達は世俗のこと、お互い賑やかにお喋りしながらの昼食は何より楽しい時間だった。当時を思いだし懐かしさで一杯になった。その夜は東京の自由ヶ丘で、元巨人軍の監督川上哲治氏、バッティングコーチやその後二軍監督だった國松彰氏と三人で、会食した。もう40年以上も前、川上氏は当時現役の監督で9連覇の真っ最中、國松氏はバッティングコーチ、12月の大接心にいつも参加され、正眼僧堂で一緒に坐禅を組んだ。その頃私は直日で、ビシバシ背中を叩いてやった。師匠の梶浦逸外老師のこと、寒くて歯の根が合わなかったことなど、話題は尽きなかった。川上氏はつい先日88歳米寿のお祝いをされたそうで、多少足腰が弱られ杖をついていたが、まだゴルフへ出掛けますと言っていた。國松氏はお菓子の亀屋万年堂の社長になっていた。二人とも少々耳が遠くなったと言うので、私を挟んで両側に坐って貰い、左右を振り向きながら大声で喋った。修行も野球も商売も結局同じ、これが3人の結論だった。大いに笑い、喋り、楽しいひとときを過ごすことが出来た。
2008年03月25日
仏式結婚
当山とは古くからご縁の深いY氏のご長男の結婚式を仏式でやりたいというので、この間の日曜日に行った。先代さんの頃から、夏の盆棚経に伺うと、3人の子供たちはまだ小学生で、お爺ちゃんの傍らにちょこんと座ってお詣りをしていた。現当主に代替わりしてからも、家族総出で、犬まで一緒に座ってお詣りをしていた、大変信心の篤いご家族である。子供たちの成長ぶりを20数年間ずっと端から見ていたので、特に親しみを感じており、そのご長男の結婚式と言うことで、私にとっても嬉しい日であった。先代さんは長く育英事業を続けておられ、ここから有為な人材が多く輩出された。また山本玄峰老師や後藤瑞巌老師、又曹洞宗方面では澤木興道老師など、当時一流の禅僧を招き、座禅会も主催しておられた。企業家としても大変立派な方で、晩年親しくさせて頂きいろいろお話を伺えたことは、私にとっても大変良い勉強になった。当山との長いご縁の結果が、図らずもこうして仏式結婚に繋がったのかと考えると、何とも有り難いことである。
2008年03月21日
日々是多忙
昨日運動の為、山歩きをしていたら、明らかにイノシシが掘り返した思われる跡が何カ所かあった。以前うちの庭をやられたときとそっくりである。牙跡がくっきり幾筋もついている。寺とは直線距離でさほど無いところ。まっ、こっちはビリビリ電線張り巡らして、バッチリ防御してるから安心だが。昨日は寺の屋根瓦を一手に引き受けて管理して下さっている瓦屋のご主人が亡くなったので、お彼岸の中日に合わせてお詣りしてきた。この方とはインド佛跡巡拝をしたり、中国やタイなどへも一緒に旅行したので、懐かしい思い出が沢山ある。その折り購入された清代の染め付けの香合を頂戴して帰ってきた。今日はうちの会下の寺の閑栖さんが遷化され、その葬儀に出掛けた。昨日とはうって変わって好天に恵まれ良かった。壇信徒の方々は殆ど外でお詣りされるわけで、雨でも降られたら大変である。腰痛防止の電気針、般若会の名簿、靴の中敷きを独特な方法で作って貰ったりと、日々是多忙!
2008年03月16日
叢林同盟会濃尾支部例会
臨済宗36ケ僧堂の評席会が叢林同盟会である。全国を4ブロックに分け、愛知岐阜両県にある6僧堂・1尼僧堂が濃尾支部で、その例会が今日催された。幹事役は1年交代制で、順送りで回ってくる。6年ぶりにうちでの開催となったのである。特別相談事など無い。お互いの旧交を温め、励まし合って、切磋琢磨、こう言ういたって気楽な会である。私も嘗て僧堂で評席だったとき、年2回のこの集まりが楽しみだった。その後、師家となり、交流は今でも続いている者もある。ところが近年僧堂の中で、今まででは考えられないような事故や事件が起こり、そんな暢気なことをしていられなくなってきた。雲水達の集まりもそうだが、我々師家の方でも年1回顔を合わせて、情報や意見交換をしている。何とも変なことになってきたが、僧堂も時代と共に変化せざるを得ない。しかし変えて良いものと絶対変えてはいけないものとが有り、これらを間違わずに峻別して行く目が要るのである。特に評席の責任は一層重く、雲水達のリーダーとして、率先垂範が求められる。要するにバカじゃ~出来なくなったと言うことだ。僧堂は徹底した階級社会で、1日でも早く入門すれば、以後ずっと上位となる。この際個人の能力は一切問われない。これなども果たしてそれで良いものか疑問である。兎も角評席会議も漫然としては要られなくなってきた。
2008年03月10日
中国祖跡巡拝
3日から10日まで一行9人で、祖師方の由緒地へ行ってきた。今回は昨年に引き続き第2回目で、偽山霊祐禅師・円悟克勤禅師・南嶽懐譲禅師・石頭希遷禅師・石霜楚円禅師・楊岐方会禅師・仰山慧寂禅師・黄檗希運禅師・洞山良价禅師・百丈懐海禅師・高安大愚禅師・馬祖道一禅、以上12祖師を巡った。10数年前の記録を頼りに行ってみると、朽ち果てて殆ど建物らしい物はないというところが全て、巨大な寺院に生まれ変わり(幾つかは建築中もあったが)、山奥の果てまで道は綺麗に舗装されていた。これにはビックリした。ガイド氏の説明に依れば、数年前より中国政府は、人心を安定させる為には仏教が欠かせないと気づき、中央政府・地方政府、こぞって大援助中なのだそうだ。また最近の好景気を反映して、事業で成功した人が、故郷の寺に何億円と寄進する例もあるそうだ。建物の規模の大きさには目を丸くした。日本で言えば大本山級である。大陸の人は考えることがでかい。一日300キロ~400キロの移動で相当草臥れたが、しかし公案に登場する現場に立つことが出来たのは、修行する者にとって何よりの喜びであった。