« 新緑の候 | メイン | 禁不禁の間 »

2008年04月26日

歳々年々人同じからず

私とほぼ同年で、斬新な企業経営で事業を拡大し、世界中を飛び回り、スポーツに趣味に遊びに、活力溢れる活躍して居られた方が、思いもかけぬ癌に冒された。手術は成功して一応安堵されたのだが、その後の抗ガン剤治療で髪は抜け、「頭だけはあんたと一緒になったね。」と言っていた。凡そ病気からは一番遠い人だと感じていたので、発病を知らされたときは耳を疑った。母上以来、私には格別目を掛けて頂き、本当に有り難いことだと思っている。人生先のことは全く分からないものである。又何時もご夫婦共々運動をしていた方が近頃見かけなくなったと思ったら、聞けばお二人とも相次いで癌で亡くなられたという。私の周辺の人達が次々病気になったり亡くなったりで、ひたひたと疫病神が迫ってくるような気がしてきた。季節は同じように巡っても、人は同じではないのだ。人生の無常を痛感する。そんなことで、このところ私自身の人生観も少し変わってきた。何時死んでも惜しくないように、自分に与えられたお役目を全うしたいと、改めて思うこの頃である。

投稿者 zuiryo : 2008年04月26日 21:17

コメント

老師 様

不肖者、未熟、浅学非才なる哀れなる愚かな私目の不甲斐なさをつとにお許し下さいませ。

確かなる慈悲喜捨の実践へ向けまして、今一度、自らのあり方を調えようと致しまして、色々と悩みわずらう中、真摯に仏教を根本から学び直そうと決意して以来、このぐうたらぼんくらな身・・早二年あまりが経過致しました。

老師様が常々にご提唱におきまして申されておりました、「僧堂よりも世間に出てからの方が、遙かに厳しく苦しいものである」とのお言葉、今更ながらにも切々と身に染みております・・世俗における相対対立・相対矛盾の超克のあまりの難しさに、時に身を滅ぼしてしまうかという恐れの中で、悩み苦しんで参りました・・色々と周りに流されて未熟なる情けなき身、改めまして老師様に申し訳ない気持ちでいっぱいでございます。

恥も知りませずに、仏教の学びを一から少しずつ進めて参ります中、初期仏教の学びを僭越にも著しました施本「佛の道」から、次に唯識論の学びを中心とした施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」、そして、この度は龍樹の中観から空についての学びの施本「仏教・空の理解」を何とかにも無常なることを自覚しながら、いつ死してもと急き立てられるように著させて頂きました。

施本「仏教・空の理解」全文掲載ページ
http://oujyouin.com/sunyatop.htm

誠に恐れ多いことでありますが、いつかご機会がございましたら、是非ともに御目をお通し賜りまして、この不肖未熟なる私へのご叱咤、ご批正、ご批正を賜りましたらと、僭越ながらにも考えております。

何とかここに至りまして、勝義諦と世俗諦の二諦を理解して、相対矛盾に悩み苦しむことなく、どんなことがあっても耐え忍びながら慈悲喜捨の実践についてもやはり一つ一つしっかりと進めていかなければ、私の僧としてのあり方、有りようは保たなくなると少しだけながらもこの度は気づきました・・

まだまだ悩み苦しみは無くならないですが、とにかく日々生かされて生きていることに感謝し、精進努力して参りたいと僭越ながらも考えております。

いよいよ初夏を迎え、誠に今年も暑い夏となりそうでありますが、お体には十分にご自愛下さいませ。

生きとし生けるものたちが、幸せでありますように。全てのものたちが苦しみから解脱し、安楽なる涅槃へと至れますように。

本当にありがとうございます。

川口 英俊 合掌

投稿者 川口英俊 : 2008年04月30日 17:53