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2008年10月27日

講演嫌い

そう度々依頼されるわけではないが、人様の前で喋るのは本当に苦手だ。引き受けた途端にその日から頭に鉛が入ったように重くなり、胃がムカムカしてきて、気分は優れず食事も旨くない。これが当日までずっと続くわけだから、その精神的負担は並大抵ではない。しかしこれもお坊さんの役目だと思ってずっと辛抱してきたが、今年からは一切止めることにした。根本的に性に合っていない上、壇上に登った瞬間から頭はくらくら、ぼ~として、何が何だか訳が分からなくなる。小心者と言うことかと思うが、兎も角人前に出ることが苦手なのである。或るお祝の席で乾杯の音頭を取る役を命ぜられ、数百人を前にして壇上に上がった途端にめまいがして、まだ全員立っても居ないのに、いきなり「かんぱ~い!」とやって爆笑されたことがある。自分の寺へ坐禅修行に来られた方々に喋るのはそう気にならずにスムーズにやれるのだから、結局、「うち弁慶・気が小さい」と言うことか。誰にでも弱みはあると思うが、お坊さんは人前で何か喋るのは当たり前と思われがちな風潮には、ほとほと弱っている。

投稿者 zuiryo : 20:46 | コメント (0)

2008年10月26日

追善供養

今日は或る茶人の追善供養が門弟達に依って催された。この方は岐阜では大変有名な人で、200人もの人が集まった。数年前、うちの寺でこの流派の大会があり、京都から家元も来られ、盛大な記念大会が催されたことがある。大会前日、平生ではなかなか拝見できない名器が展示され、多くの方々が見学に訪れた。私は茶道具については全く眼がないので余り感心がなかったのだが、是非にと言うので会場を訪れた。その折り今日追善供養されたご本人にばったり会った。かねてよりご高名は伺っていたので、挨拶し展示の茶道具類の解説をして頂いた。腰の低いなかなかの人格者とお見受けした。またその折り、お出入りの茶道具屋の主人にもあった。この方もなかなかの目利きで、今までにも随分教えて頂いた。実は今日の供養斎はその茶道具屋のご主人が中心になって計画されたものだったのだが、何と当日を迎えることなく急に亡くなられてしまったのである。人生の無常を感ずる。そこでその息子さんが親に代わって今日の式を進めることになったのだが、哀しいかなお茶の世界には全くの門外漢、すること成す事スカタンばかりである。お経中、私の面前を傍若無人に横切るは、回向中に会場の案内を始め出すはで、余りにも酷いので思わず怒鳴って注意した。折角の厳粛な法要もこの男一人のために台無しになってしまった。跡取りと言っても何の素養もなく、ただ欲だけでやるこらこう云うことになるのだ。お互い気を付けなければならないと感じた。

投稿者 zuiryo : 11:22 | コメント (0)

2008年10月24日

雪安居開講(せつあんごかいこう)

11月1日から雪安居入制となるが、1日からの大接心の邪魔になるので、繰り上げて今日は開講並びに会中祈祷大般若。役刹・山内・会下寺院の出頭で無事円成した。朝から雨が激しく降ってやたら蒸し暑く、行事が終わったら汗びっしょりである。いつもながら、いよいよ冬の修行の始まりだと感じ、気持ちに張りが出てくる。修行者は修行しているときが一番、27回目の雪安居である。私はいつも隠山さんのことを思う。202年前、隠山禅師に依って荒廃した瑞龍寺が再興され、僧堂が開単された。爾来連綿としてその伝統が継承され今日に至る、天下の古道場である。この誇りを忘れたら瑞龍僧堂の価値はない。目下人少でやや寂しい感はぬぐえないが、個々の雲水がどういう修行しているかが問題で、私はその先頭に立って、古規を守り易きに就かないことを心掛けている。有縁無縁の多くの方々のご法愛をいただきながら、来年2月1日の講了を目指して頑張るつもりである。

投稿者 zuiryo : 17:18 | コメント (0)

2008年10月23日

姥捨て山

最近パートで介護老人施設に勤めだした人の話。そこでは次々に死んでゆくわけだが、中には「責任者出せ!」などと怒鳴り込んでくる人まであるそうだ。そう言う者に限って一度も親を見舞うこともなく施設に任せっきり。施設の人達は親身になってお世話したにも拘わらずこれである。感謝のひとかけらもないのだ。学校の事故などでも、本人にも相当責任があるとおもわれるものまで、悪いのは管理責任者の学校である、賠償金を払えと直ぐに裁判である。大層な理由を上げてはいるが、その実はこの際貰えるものは目一杯ふんだくってやろうという根性見え見えである。支払う方も自分の懐が痛むわけではないので、エーッ、と驚くような金額を、さっさと支払う。これって皆我々の出した税金なのだが。僧堂でも修行に耐えきれず、「逃亡」する者がある。すると近頃は親が僧堂に怒鳴り込んでくる。可愛い我が子を酷い目に合わせた不届き千万な僧堂め、である。修行は酷い目に合うためにやって来るところなのである。それが嫌なら修行などやらない方がましだ。そう言う親の顔が見たい、と言うわけである。これらは全て人間としての「品格」のなさである。いつから日本人はこうまで落ちぶれてしまったのか。結局親や息子達を人格的に姥捨て山に捨てているのと同じではないかと思うのである。

投稿者 zuiryo : 10:21 | コメント (0)

2008年10月22日

鉄ももお恭

8月、友人のポールと1日おきにスポーツジムに通った。驚いたことに、彼の鍛え方が猛烈だったことだ。まなじりを決してやっているのである。私はそれまで運動と言えば、トロトロ歩き専門で、これで良いんだと考えていた。しかしポールの凄まじい訓練振りに、大いに刺激を受け、これではいかん!爾来ガラリッと心を入れ替え、形相も凄まじく、歯を食いしばって運動を始めた。その時ふっと、姉の娘を思い出した。彼女はもう一段上手を行く、富士山愛好会の一員で、朝息子を幼稚園に送り、2時間半で頂上まで登り、湯を沸かしラーメン食って、さっさと下り、涼しい顔してまた息子を幼稚園に迎えに行くそうだ。当に「鉄の女」アイアンウーマンである。上には上があるものだ。そこで私は鉄の腿を持つ恭子、すなわち鉄腿のお恭と呼んでいる。最近、私の運動も大分成果が現れだし、裏山登りに出掛けると、急峻な山道もなんのその、スイスイ恰も平地を行くが如しである。人間何事も鍛えることが肝心、易きについてはいけないのである。

投稿者 zuiryo : 17:10 | コメント (0)

2008年10月17日

苦労は買ってでも・・・

若いうちの苦労は買ってでもせよ、と言われる。師匠は何時も、「我に八難九厄を与え給え」の心意気でやれと、叱咤激励されていた。確かに若さ溢れる時期はこれくらいの勢いがなければ修行を続けることは出来ない。昨日、20数年前私の所で修行し、その後紆余曲折を経て、無事晋山式を円成した者が居る。性格も良く頭もいい男で、このまま修行を続けて行けば、然るべき立派な和尚になると大いに期待した。椎間板ヘルニアという難病を抱え、坐禅も思うに任せぬ状態故、修行を何時までも続けてゆくことに自信を無くしたのか、数年で止めてしまった。惜しい人材であった。誰にでも困難はつきもので、そこを何とか乗り越えてこそなのだが、結局別の道を辿ることになってしまった。その後、道場での修行の代わりに厳しい人生修行を味わうことになって、それはそれで決して無駄なことではないが、どうせ苦労するなら本来の修行の道で苦労して欲しかった。まっ、今更蒸し返しても詮のないことで、無事目出度く晋山が叶えられたのだから、心から祝おうと思った。

投稿者 zuiryo : 21:19 | コメント (0)

2008年10月12日

諸行事錯綜

10月は例年のことながら、行事がいろいろあって忙しい月である。5・6日とうちの開山忌、11日講中斎、12日正眼寺開山忌、以降に龍泉院晉山式、野一色の達磨忌、妙興寺開堂、尼僧堂開講、うちの開講、信者の追善供養、秋季祀堂斎、等々目白押し。11月入制なのだから、もっとじっくりと坐禅修行をさせて貰いたいところである。しかし僧堂と言えども世間と別の存在ではないわけで、こう云う諸行事にも大いに拘わってゆかなければ成らないのが実情だ。広い目で見れば、これらも修行と何処かで結びついているのだから、決して無駄ではない。まっ、そう思いながら、毎年過ごしているのである。今日の開山忌で維那(いのう)を友人の弟子がやった。和尚は勿論だが、母親も参列し固唾を飲んで見守っていた。無事立派に成し遂げ、私までほっと肩の力が抜けた。雲水らしい溌剌とした声は、いかにも良い。はるか40数年前、雲水だった私も、この役を仰せつかったことがあった。手から脂汗が滲み出てきたことを、改めて思いだした。

投稿者 zuiryo : 14:53 | コメント (0)

2008年10月07日

誕生日

昨日、開山毎歳忌が無事円成して、今日は把針灸治、骨休めの一日である。後片づけも若手の荷担者が最後まで手伝ってくれたお陰で、昨日のうちに全て済み、今日は何もすることがない。私は26年前のこの開山忌に入寺した。翌日の今日が誕生日。満66歳になった。しかし誰が祝って呉れるわけじゃなし・・・・。午後いつもの整体治療院へ出掛けた折り、たまたま誕生日の話しをしたら、では、と言うわけでケーキにコーヒーと言う、スペシャルサービスをして下さった。有り難し。また弟子の門さんが、スペシャルダイエット一式をプレゼントしてくれた。これが又大変ややこしく、複雑を極める。様々なダイエット食品を決められたスケジュールに従って飲んだり食べたりすると言うもの。因みに朝起きたら直ぐに300㏄の水を飲み,10分後に果物、30分後に元気大豆21・玄米酵素を食べる。以上が朝食。折角の好意だから、効くか効かないか試しに明日から実行してみよう。以上が私の誕生日プレゼントである。

投稿者 zuiryo : 14:19 | コメント (1)

2008年10月03日

追憶集

昨日知人の寺より、2年前に遷化された和尚の追憶集が送られてきた。冒頭の文章に、「2年前父を亡くし、昨年弟まで逝ってしまった。・・・」と書いてあり、相次ぐ不幸に心が痛んだ。和尚は僧堂の先輩だったので、いささか縁もあり、少し思い出を綴った。私の他にも何人か書いておられ、中にはカトリックの神父さんも居られた。また在家の方々も30数人に及び、韓国からも寄せられていた。それぞれ和尚との生前の交友が懐かしく語られ、改めて彼の幅広い活躍が偲ばれた。若い血気盛んな頃は相当暴れ回って、数々の武勇伝を残した方だったが、晩年の豹変振りには驚かされた。私が伊深に通参していた頃、奥さんと小さな子供連れで大接心に参加され、これにも驚いたが、単なる変人ではなく、深く思うところがあって、敢えてそう言うかたちを取って居られたと言うことも、今回の追憶集で分かった。私が今死んでもこう云う文集は多分出来ないだろうと感じ、改めて人間の単純ではない、心の世界の深さを思いさらされた。

投稿者 zuiryo : 20:48 | コメント (0)