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2008年11月27日
デカルト時間
座禅をして無念無想の状態に入る、と一般的には言われるが、こんなことはない。「坐禅して去年の借りを思い出し」で、却って普段忘れていたようなことまで、いろいろと頭の中を巡るものである。これでは坐禅にならないではないかと、必死に思うまいと思えば思うほど、ますます思うものなのだ。ある仏教学者が、「20年、毎朝45分間坐禅を組み続けてきたが、一度も無念無想の境地には至らなかった。ある時ふと、デカルトの『我思う故に我あり』という言葉を思い出し、「これで良いんだ!」と確信し、爾来、坐禅中を『デカルト時間』と呼ぶことにしたら、肩の力がすっと抜けて、気持ちよく坐禅が組めるようになった。」と言っていた。これは名言である。人間の心はころころと、一時も休むことなく動くものである。遠慮なく腹を据えて思い切ればいいのだ。
投稿者 zuiryo : 2008年11月27日 21:40