2009年01月25日
金融恐慌の本質
先日地元の新聞を読んでいたらある高名な仏教学者が表題のごとき文章を寄せておられた。内容をちょっとご紹介すると、「・・・金融恐慌、通貨危機、百年に一度の大暴風、いささか大げさな言葉がちまたにあふれ出している。けれどもその「金融恐慌」と言う名の妖怪の本質は「無常」と言うことである。諸行無常の無常である。この世に常なるものは何一つない。持続可能な永遠など単なる虚妄のたわ言にすぎない、そういう認識である。しかしこの無常から実は明るい旋律も聞こえてくる。山川草木自然は変化と蘇生を繰り返し循環を止めないということだ。死と再生のリズムである。我々の人生も社会も浮沈を繰り返しこの循環の軌道に乗っている。何も慌てることはない。いたずらに騒ぐ事なかれ、そんな天の声も聞こえてくる。しかしユダヤ・キリスト教文明、アングロサクソンの西欧社会では、この危機を乗り越えるための生き残り戦略が最大の関心事で、それに対して無常というアジア的精神は虚無的な思想と映っている。我々日本社会までがアングロサクソン流生き残り戦略の傘の下にすっぽり包み込まれ、荷担することに夢中に成りすぎてはいまいか。直面する緊急の問題に対処すること以上に、われわれ自身の道徳的な性格にかかわる大きなテーマでもあるはずだ、と指摘しておきたい。」以上が論点の要約である。いささか堅苦しい話になったが、私にはそう言う難しいことはよく分からない。単純に苦しいときはお互い助け合ってじっと我慢し、またいつかきっと照る日もやってくると信じて頑張るだけではないのかな~と思っている。
投稿者 zuiryo : 2009年01月25日 16:23
コメント
ずっと 携帯をさわり続けていたのでコメント入れれるようになりました
復活です
再びよろしくお願いします
投稿者 nakamura : 2009年01月28日 17:20