« 2009年01月 | メイン | 2009年03月 »
2009年02月26日
禅
「禅」という映画を見て来た。「おくりびと」と「つみきのいえ」が相次いでアカデミー賞を受賞し、ミーハーの私としては、俄然映画に興味を持ち出し、まずは「禅」だと、出かけたわけである。この映画は道元禅師が中国へ留学するところから始まる。中国での出来事はそれぞれ有名な話だが、もう少し中味を深く表現して欲しいと思った。帰国後様々な迫害を受け、最後に越前の山深くに庵を結び、徐々に教えを広めてゆく辺もイマイチ物足りない。期待が大きかっただけに肩すかしを食らった感じである。まっ、素人の私の映画批評などどうでも良いが、一途に道を求める純真さは、爪の垢でも煎じて飲まなければと大いに反省させられた。知人でこの映画を見た方は、途中何度も涙がこぼれたそうだ。がたがた言ってる私なんぞより余程人間が上等である。もう一つ「おくりびと」も見て来なくてはと思っている。世情について回りの調子者の私は、俄然忙しくなってきた。
2009年02月24日
第3回中国祖跡巡拝旅行
3年前からシリーズで始めた祖師方の足跡を訪ねる旅から、昨日帰ってきた。南の広州から順次北へ上がって、今回は成都・鄭州・石家荘・北京を巡った。特に達磨さんの少林寺の寒さは格別で、最終日の北京などは、肌に突き刺さるような寒気に震え上がった。今回の旅で印象に残ったのは、尼僧さんの溌剌とした姿だった。広大な敷地に、まだ小さな建物がわずかに建てられているだけだったが、将来は全伽藍を建設し、寺の再興を計る意気に燃えていた。完成予想の大きな絵図面が掲げられ、その資金調達の目途もほぼついたと言っていた。落慶の折りには案内を差し上げますから是非お出下さいと約束させられた。もう1ケ所,趙州の観音院の馬鹿でかいのにはビックリ仰天した。20年ほど前に訪れた時には、壊れ欠けた塔がぽつんと建っているだけで、周囲は草ぼうぼうの荒れ地だった。立派な祖師の居られたところが見捨てられている姿に呆然として帰った。その同じ場所が何万坪にも拡張され、天を衝くばかりの大伽藍が屹立していた。立派になって文句を言う筋合いはないが、以前建っていた塔は全く新たに作り替えられ、不必要なほどの大きな建物群は、いったい何のためなのかと思った。数日前寺と地域の人の間で衝突があり、鉄格子で入り口は閉められ、広大な敷地には人っ子一人居ない。我々も最初は中に入れて貰えない雰囲気だったが、何とか事情を話してお参りすることが出来た。これで寺と言えるのかと感じた。現在、中国の宗教事情は日本とは違うので、一概に善し悪しは言えぬが、佛作ってたましい入れずになっては、建築に要した莫大な金が無駄になるような気がした。
2009年02月16日
えびふりゃ~
先日京都で会合があり出かけた折り、新幹線車中が昼時なので、売店で駅弁を買った。ベンチに腰掛けふと弁当屋のビラを見ると、「えびふりゃ~900円」と書いてある。名古屋弁まるだしのビラで、微笑ましくもあったが、世に名古屋弁は汚い言葉の象徴のように言われている。しかし方言はその土地独特の味があって、私は好きだ。雲水修業時代、托鉢で飛騨古川のお寺に泊めていただいたことがある。その時聞いた飛騨弁は素朴で緩やかな情感溢れる言葉の抑揚に、何とも言えぬ良さがあった。囲炉裏を囲んで頂いた、手作りの茶菓子と番茶の味とともに今でも忘れられない想い出である。岐阜へ初めてやって来たとき聞いた岐阜弁は、耳慣れないこともあって、少し違和感があったが、今では少々泥臭いが情の籠もった言葉使いは、良いな~と思う。時折関東の郷里へ帰り耳にする言葉は、喧嘩腰でものを言っているように聞こえて、どうも馴染めぬ。方言は故郷の手形というそうだが、私も20数年岐阜で暮らして、ここが自分の故郷だと思うようになったと言うことだろうか。
2009年02月14日
異常気象
このところ数日の暖かさ、こりゃ一体なんだ!梅林公園の梅まつりは3月7・8日がメインなのだが、今朝見に行くと既に大半満開、それまで花が持つか心配になってきた。うちの寺の紅梅は参道真正面にあるので見物客が引きも切らずにやって来るのだが、これは梅まつりが終わってから咲き始めるのが例年のこと、それがもう5分咲きになった。ざっと1ケ月早い。まっ、我々のように火の気のない生活では、誠に有り難いことだが、こうも変に生暖かいと、天変地異が起こるのではないかと、心配になってくる。さて昨日も書いた通り、断食から帰って、体重も3,5キロ減ってすっきりしたのは良いのだが、どうも今回に限っては、スムーズに普通食に戻れない。胃の中で食べたものがこなれずいつまでも残っている感じがする。今までこんな事は一度もなかったが、これも老齢化によるものか?そこで一口百噛みを復活、あごが草臥れるほど、噛んで噛んで噛みまくった。夕食あたりから何とか普通になってきた。少々風邪気味というのも、影響があるのかも知れない。今日たまたま地元の岐阜テレビを見ていたら、岐阜新聞大賞受賞の模様が放映されていた。見ると親しい知人が二人も受賞され、嬉しくなった。お二人とも大変ユニークな会社経営をされ、業績を上げておられるので、受賞は当然のことと思ったが、同時に二人が一緒に受賞というのが、何より喜ばしいことである。心からおめでとうございますと申し上げたい。
2009年02月13日
断食
6日から12日まで2年ぶりに断食道場へ行ってきた。私の断食歴は、平成6年頃からだから、15年続けたことになる。尤も途中何年かは都合がつかず、断念した年もあるので、まっ、10回ぐらいは行った計算になる。今回は東京方面の断食仲間と6人の参加であった。皆私よりベテランの方ばかり、お互い気心も知れているので、余分な気を遣うこともなく、リラックスできた。断食というと直ぐに空腹の苦痛を心配するが、それはいわゆる水断食の場合で、ここでの断食は3食酵素飲料付きだから、余り空腹感に苛まれることはない。断食が終わった後も、直ぐに普通食に戻れ、普通に仕事が出来る。元気の良い仲間の何人かは、断食中に近くのゴルフ打球場へ行って、1時間みっちり運動してきたなどと言う猛者もいる。することと言えば午前午後それぞれ1回づつ、おがくず風呂に潜って大汗掻くこと。私の場合は殆どずっと寝っきり。よくぞまあこうも寝られるものだと、我ながら感心した。慢性的睡眠不足を一気に解消というわけである。4日目には仲間の一人が手品の名人で、スタッフ共々拝見、楽しませてくれた。断食道場が縁で親しくなった現地の仲間もいて、そう言う人達と交流もあったり、楽しい1週間だった。2,3年前にもこの断食について書いたことがあるが、興味のある方でもう少し詳しく知りたい方は、私の処へメールでお問い合わせ下さい。
2009年02月05日
介護予防
市役所から「いつまでもまめでくらそまいか」介護予防基本チェック表が来た。ざっと目を通すとまるで私には当てはまらない事柄ばかりだったので、ポイッと屑籠へ直行、しばし後、思い直してかき集め、じっくり今度は目を通した。25項目の質問票で、中には階段の手すりや壁をつたわらずに昇っていますか、だと。そんなもん、階段なんて2段ずつ昇ってるわい。わけもなく疲れたような感じがする、と言うのもある。ぜ~んぜん!今日が何月何日かわからないことがある、なんてのまである。バカにするない!全てに渡って合格印だ。只1点、お茶や汁物等でむせることがありますか、これはある。特に最近ちょくちょくある。で、工夫して、飲み込むとき下にうつむいてやると良いと解った。この質問票をチェックし終わったら、市役所介護保険課へ送らなければならないらしい。これで完全に前期高齢者リスト入りしたと実感させられた。
2009年02月03日
立春
今日は立春、近くの梅林公園の白梅は既に相当咲きそろってきた。今頃が一番寒気厳しい時期なのだが、今年は暖かいため梅の開花も早めである。しかし世の中暗い話ばかりだ。世界に冠たる一流企業が軒並み大幅赤字、テレビや新聞のニュースを見るのも嫌になる。巷には寝るところもない人が溢れ、働き場を求める人で連日ハローワークは大忙しだそうだ。宗教学者のように「無常」で片付く話ではない。しかし今までの生き方を見直す良い機会でもある。一方では農業や水産業、庭師や左官などの職人さんなどは、恒常的人手不足に悩まされている。うちに来る庭師さんも平均年齢は70歳、後を継いでやる若者は一人も居ない。汚いきつい危険の3kは頭から避けて通る。こういう風潮は我々宗門も同様で、同じ資格が取れるなら、なるべく楽なところが良いとばかりに、そう言う評判の僧堂は大盛況である。だが嘆いてばかりいられない。何百年の歴史の間は、常にこういう事の繰り返しできたのだ。世俗の風潮など知ったこことか、ただ孜孜兀兀(ししごつごつ)として修行するのみである。