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2009年03月13日

クリック一つで全てパー

今月は2日より快調なペースで連日ブログを続けてきた。昨日ついにネタ切れで断念、しかし今朝からまた意欲満々、すっかり書き終わって読みかえし、ばっちりこれでOK,クリックした途端、全て消えて無くなった。無意識のうちにおかしな所をクリックしてしまったようだ。機械ものはこれだから嫌だ!数時間後、心が落ち着いたところで再度挑戦。さて二人の知人に相次いで孫が生まれた。二人とも第2子のためか、落ち着いたもので、嬉しさを奥歯で噛みしめているようだった。一人の方の赤ん坊は、どうもおとなし過ぎるというので医者に診せたら、細菌感染だったそうで、急遽二週間の入院、事なきを得たそうだ。赤ちゃんは喋れないから、周りで察してやらなければならず、しかも早く異常を発見しなければ手遅れと言うこともある。更に日々の世話も、おちおち休むことも出来ないほどである。幼稚園に上がるまでの一番手がかかる時期のことは、子供本人は殆ど覚えていない。だから反抗期には、「頼みもしないのに、勝手にうみゃ~がって・・・。」と、言う。映画監督の新藤兼人著「いのちのレッスン」に母親の想い出が書かれている。「・・・私が母のことを思うようになったのは、50歳を過ぎてからである。・・・」と言う文章で始まる一節は胸を打つ。「・・・町で生まれた女性が田舎の百姓の家に嫁ぎ、三度の食事の支度の合間に、目もくらむような広さの田圃へ出て、鍬で何万株という稲の株を、一鍬一鍬起こしてゆく。それは気の遠くなるような大変な仕事だったが、当たり前のこととしてもくもくとやる。・・・このお母さんのエネルギーを私も受け継いでいるのだ。こう思えばどんなことにも絶えられる気がした。私はお母さんから力を貰って生きてきたのである。・・・」まだ文章は続くのだが、親孝行と一口に言っても、手みやげぶら下げて訪ねれば済むという話ではない。90歳を超して尚、映画監督として活躍されている姿は敬服する。そのエネルギーを母親から貰ったのだと断言する新藤兼人さんは凄い。こういうのを本当の親孝行というのである。ところでだが、間違えてもパソコンは書き直せるが、人生は書き直せない。

投稿者 zuiryo : 2009年03月13日 19:15

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