2009年03月22日
指導者
塩野七生著、「ローマ亡き後の地中海世界」の中に、こういう一節がある。『指導者として不可欠な条件は先ず第一は「力量」、次は「運」、最後は「時代が求める人材」であるかどうかだ。』と、歴史家マキアヴェッリは言っているそうだ。これは何も千年も前の話ではなく、今日でも言える。力量不足の者が指導者になると下に付く者は泣く。では力量さえあれば良き指導者として大いに活躍出来るかというと必ずしもそうではない。運も実力のうちなどと言うが、確かに運の悪い者は駄目だ。さらに、その時代が求めるものとぴったりマッチしているかも重要な事柄である。必ずしも本来のものとは違っていても、時代の機運とフイットしていなければ受け入れられない。しかし全て備わっている人は希で、大抵はこの内の一つでもあれば結構良い指導者だと言われる。そこではたと自分はどうだろうかと考えた。認め難いのだが、見事に全部無い。な~るほど、と合点した。ところが私は素直じゃないから、文句の一つも言いたくなる。まっ、力量の点は別にする。また、運が良いとか悪いとかはどうしようもないことだから、これも別にする。三番目の時代が求める人材と言う点だが、ローマ亡き後の地中海世界の良き指導者という事ではその通りかも知れないが、伝統の修行を継承して行く我々の場合は違う。時代が求めることに抗う人材でなければ、役目を全うすることは出来ないと信じている。
投稿者 zuiryo : 2009年03月22日 21:27