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2009年04月11日

幸せの在りか

健康とか幸福とかは、失って初めて自覚できる種類の価値で、若さも同じだ。以前、突然右足の付け根が痛み出し、病院で検査の結果あわや手術寸前と言うところまで行き、何とか注射で治ったことがある。一寸先は闇と言うが、その時ほど無事を有り難いと思ったことはなかった。また近年物忘れが酷くなったり、誤嚥が度々あったりすると、今更ながら失った若さに初めて気が付く。今、飽食の時代という。私も一応戦前の生まれだから、戦後の食料困窮時代を経験しているが、スーパーなどで溢れる食料品を眺め、これが異常なのではないかと思うことがある。また東京の商店街を歩きながら、きらびやかな商品が溢れんばかりの様子を見て、「日本は物が溢れかえっておりますな~。」と言った友人の言葉が思い出される。食べ物がないときは、兎も角食物を確保しなくっちゃと思って努力する。それに懸命だった時代に育った有り難さを思わずにはいられない。幸せとは過去と現在の間にあるのではないか。吉本隆明が「自分のうしろ姿を昔の視点から眺める。その間に幸福感があるのではないか。」と言っていたが、その姿がけなげでいじらしく思えると、今がぱっとしなくったって、まっ、いいか!と現状を肯定し、そこに何がしかの幸福感を覚えたりするものである。

投稿者 zuiryo : 2009年04月11日 16:55

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