2009年04月15日
道ひ得るも南天棒
今日から雨安居入制大接心である。例年のこととは言いながら、はやりこの緊張感は堪らなく良いものだ。特に春は新到さんが入門してくるから、今まで居た者も新鮮な気持で一層張り切ってやる。参禅室は隠寮一番奥にある茶室を使っている。床の間も普通サイズより小さいので、軸物もそれに併せて小振りな物と言うことになる。私は瑞龍寺に来て以来、ずっと南天棒の軸を掛けている。これは以前、伊深の門前の尼寺の先住さんが亡くなった折り、後を継がれた尼僧さんから形見分けに頂いた物である。丁度サイズも床の間にぴったり、さらに、「道ひ得るも南天棒道ひ得ざるも南天棒」という語句も参禅室にぴったりで、気に入っている。この言葉は本来、「道(い)ひ得るも三十棒道ひ得ざるも三十棒」と言うのを南天棒が置き換えているものである。答えようと答えまいと、打って打って打ちのめす!という、禅の究極の処を表現しているので、まさに参禅室にぴったりなのである。また床の横にはちょっとした棚があり、そこに師匠の坐禅姿のブロンズ像を置いている。これは老師の信者さんで高名な彫刻家が日展の出品作として、師匠をモデルに「禅」という題のものを作り、その後ミニチュアを何点か作ったうちの一つである。背中に祖鏡尼遺品の軸、その横から師匠の坐禅姿に見守られながら聞く参禅は、私にとって何よりの力づけに成っている。数々の会い難き良き縁に巡り合い、そのお陰で今までやってこられたのである。思えば本当に有り難いことである。
投稿者 zuiryo : 2009年04月15日 16:52
コメント
通りすがりです。
教えていただきたいことがあります。
南天棒はなんで地獄に落ちたのでしょうか?
投稿者 どんぐり : 2009年04月25日 10:45