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2009年05月30日

先日嘗てうちの道場で修行した者が挨拶にやってきた。彼は既に道場での修行以前に、結婚したいと思っていた相手があって、だから修行も余り長く居らずに帰っていった。在家からの出家で、性格も良く、弱い者への思いやりもあるいい男だったので、早々の下山は残念なことであった。その後風の便りに、或る大寺で客僧として働きつつ女房子供を養っていると聞いた。人にはいろいろな生き方があるので、善し悪しは簡単言えぬが、わざわざ思うところあって出家したに違いなのに、残念なことだと思っていた。たったこれだけの縁だったが、季節にはいつも僧堂に施菓を送って来たり、臘八大接心前には元気に乗り切って欲しいという願いの籠もった栄養ドリンクをごっそり送ってきたり、何時までも僧堂のことを忘れずにいるのだという心根は伝わってきた。都会の片隅で六畳一間の小さなアパート暮らしも楽ではなかろう、しかし自ら選んだ道なのだからこれもやむを得ないとも思いつつ、これから先何とか良い道が開けてくれればと念じていた。7年ほど過ぎた頃、知人から、彼がある立派な寺に迎えられ、幸せに暮らしていると聞いた。そんな劇的なことがあるのだと改めて驚き、また彼ならそう言うこともあるのかも知れないとも思った。久しぶりに会って颯爽とした姿に、今の様子が窺われた。いろいろ聞いてみると何から何まで勿体ないような環境で、運の良さを改めて感じた。そしてこの運は決してただ偶然に転がり込んだわけではなく、彼の7年に及ぶ逆境の中での真摯な生き方が報われたのだと感じた。捨てる神あれば拾う神あり、真面目にこつこつ生きていれば、どこかで神様がご覧になっているに違いないのだと思った。

投稿者 zuiryo : 2009年05月30日 09:19

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