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2009年06月28日
笠神さん
岐阜市郊外に通称「笠神さん」と呼ばれている霊験あらたかなお薬師さんがある。小さなお寺なのだが、お詣りは引きも切らず、門前の茶店も大繁盛である。とくに豆腐田楽と薯田楽は美味しいので有名である。10数年前、このお寺の和尚さんに、うちの先住さんの頂相(ちんそう)を作るため、良い画家を紹介して貰ったことがある。それ以来久しぶりに来たのだが、繁盛振りは変わらず、まっ、現世利益と言ってしまえばそれまでだが、いつの時代も願い事を叶えてくれる佛さんは、何よりも有り難く、頼りになるのである。特に此処の水を頂いて呑むと良いという評判で、皆水を汲んで行く。お詣りを済ませ門前の茶店で美味しい田楽を食べる、これに勝る幸せはない。話は変わるが、先日数人の仲間と定期的に食事をする会があって出かけた。その日は新入会員が一人あって、一層席が盛り上がった。宴たけなわの頃、その新会員の方が、いきなり「和尚さん悟りとは何でしょうか?」と質問してきた。その場の雰囲気には不釣り合いな質問でビックリしたが一瞬考えて、「与えられたお役目を一生懸命全うすることです。」と答えた。これは悟りでも何でもないことなのだが、相手がどういう人なのかも解らない状況で、ふと頭に浮かんだことを言ったまでのことである。解らないことは聞くのが良いとはいうものの、さりとて、何でも聞けばいいというものでもない。人生相当生きてきて、苦楽をかいくぐってきたわけだから、聞く側にもそれなりの覚悟がなければならない。相手の気根に応じてこちらも答えるのである。
2009年06月26日
多忙
慢性的腰痛治療のため、近くの整形へ週に一度の割合で通っている。電気を当てたりマッサージをして貰ったりの治療だが、殆ど効果なし。それなら行くのを止めときゃ~と思うだろうが、湿布を貰えるので行く。午前9時に出掛けると既に待合室は満杯状態。だが私は直ぐにやって貰えるので殆ど待たなくて良い。電気治療をしながら隣のお爺さんの話しを聞くと、今日は猛烈に忙しいのだそうで、此処が済んだら目医者へ行って内科へ行って歯医者へ行くのだそうだ。な~るほど!先日薬の販売を手広くやっている会社の社長さんと話し、「あなたの所は不景気に関係ないから良いでしょう。」と言ったら、「まっ、他の業種に比べると良い方ですが、それでも数パーセントは落ち込みました。」とのこと。「どうしてです?」と問うと、「お年寄りの医者巡りがガタッと減ってきたんです。」と仰る。こうなると必然的に薬も減るというわけである。随分末端まで、この不景気は浸透しているのだな~と実感した次第。そう言う中でも頑張って医者巡りを続けているこのお爺さんは、恵まれた境遇なんだと思った。その後、銀行に寄り、日曜大工店へ行こうと赤信号の交差点で止まっていたら、向こう側右折車の中から、知り合いがこっちに手を振っている。このところ立て続けに偶然なことが多く、何だか不思議な感じである。
2009年06月25日
川浦渓谷
これでかおれ渓谷という。もと板取村の一番奥にあるところで、以前先生と此処へスケッチに来たことがある。四季折々良いところだが特に秋の紅葉が素晴らしい。その後兄と一緒にスケッチに来たり、すっかりこの景色にはまって、何かと言えばやって来る。嘗て中部電力が巨大なダムを造る計画があり、そのため深い山奥まで工事用道路を作り幾つもトンネルを掘って、準備を着々進めたところで急遽取り止めになったのだそうだ。これまで注ぎ込んだ費用もバカにならないと思うのだが、電力の確保も壮大な計画の元に進められるわけで、こういう無駄もやむを得ないことなのかも知れない。そのお陰で山奥まで簡単に行くことが出来、美しし景色と美味しい山水を飲むことが出来るので、いつも感謝している。鬱蒼と茂る周囲の山々は目に染みるような翠で覆われ、人っ子一人居ない閑かな景色の真っ只中でじっとしていると、得も言われぬ幸福感に満たされる。梅雨時にしては良いお天気に恵まれ、少々きつい日差しで顔が真っ黒に日焼けしてしまったが、たとえ描く絵はへたっぴーでも、そんなのは二の次、大いに癒されて帰ってきた。
2009年06月21日
光陽会
三代前の龍峰老師の頃から爾来60年以上続いた坐禅会が光陽会である。私も27年前住職したとき、自動的に先住さんから引き継いでこの会を続けている。住職当初は伽藍の建築中だったり、様々な事情で毎回数人というのが普通だった。まっ、これはこれで小人数の良さもあったが、掛かる手間は人数の多寡に拘わらず同じなので、もう少し集まればいいな~と思っていた。ようやく伽藍も整い、坐禅会専用の禅堂も出来て、俄然人数が増えてきた。以後、平均20人は集まるようになり、こちらも張り合いが出て来た。中でも、N氏は光陽会創設時からの会員で、爾来ずっと通い続けた。月2回の日曜日開催とはいえ、せっかくの休日、早朝から出掛けてくるのは大抵ではない。それを60年以上も欠かさずひたすら続けられたのには本当に頭が下がる。ある時このN氏に、「よくも延々と続けてこられましたね~。」と申し上げたら、「もう習慣になっていますので、日曜日に瑞龍寺さんに来ないと、何か変なんですよ。」と言っていた。「それで何か解りましたか?」とさらに尋ねると、「何も解りません。」と言った。あっはっはっは!で終わった。そのN氏が昨秋80余歳で亡くなられた。死の直前まで坐禅会に来られ、閑かに息を引き取った。氏の遺言によってお位牌をお祀りし、皆でお経を上げた。現在その遺志を継いで娘さんが毎回参加されている。命の絆とはこういう事だと、改めて思うのである。
2009年06月20日
友人の死
先日大変親しくさせて頂いた友人が癌で亡くなった。以前より体調の悪いのは聞いていたが、こうも急に亡くなるとは思いもよらぬことで、ショックを受けた。亡くなられて直ぐに奥さんから電話を頂き、お宅にお邪魔して枕経をあげた。顔を覆っていた白布を取って顔を見ると、にこっと微笑んでいて、何か喋り出す一瞬前の顔つきだった。何と柔和な美しい死に顔なのかと思った。伺えば死の間際は大変呼吸が苦しく、苦痛を堪え忍んでいたということだったが、息を引き取る瞬間はきっと安らかな心境だったのではないかと感じた。そもそも親しくさせて頂く始まりは母上からで、子供のように可愛がって頂き、無知な山猿のような私にいろいろ教えて下さった。母上亡き後、これがご縁で、お互い運動好きでスポーツジムで度々顔を合わせるようになり、食通・ワイン通の彼から食事に誘って頂いたり、身に余る様々なご厚情を頂いた。何と有り難いことだったかと、いまさらながら思い返している。会社の方も社長を退き会長となり、これからもう少し自由な自分の時間が持てるようになって、晩年を優雅に送ることが出来ると、こちらも楽しみにしていた矢先のことだったので、ガックリ力が抜けた。私と1歳違いの兄貴だから、全く人ごとと思えず、自分も何時こうなるか知れないと、改めて感ずる。この世に思い残すことがないように、何時死んでも我が人生充分生きたと言えるようにしなければと思った。
2009年06月14日
遅筋ダイエット
この間,NHKの「ためしてガッテン」を見て、目から鱗だった。私も日頃お医者さんからメタボを指摘され、10キロ痩せなさいと言う厳しい指摘を受け、猛烈に運動をしている。今までにもやり過ぎて2度も救急車で運ばれたほどだ。しかし幾らやっても減量には繋がらず、いささか懐疑的になっていた。そこへこの番組である。要するに筋肉のうちの遅筋を使うような運動をしなければ駄目だと解った。そこで毎朝ハチの散歩1時間を、この遅筋ジョギングでやってみた。そうしたら何とハチも一緒に遅筋ジョギングで走り出したではないか。これには驚いた!犬は飼い主に似ると言うが、本当にその通りである。で、二日間やってみた感想、なかなか調子良い。程良く汗を掻き、しかも息が上がると言うこともなく、楽々ジョギングである。これを1年続ければ10キロ痩せると言うからそれを楽しみに頑張ろう。ところで散歩コースはたいてい葬祭場が7件も軒を連ねる誠に寂しい辺りなのだが、今朝はためしてガッテン流遅筋ジョギングをやってる人に3人も出会した。さすがテレビの影響は大きい。その内岐阜市中、皆これが流行だすのではないかと思った。
2009年06月07日
養生訓
人生如何に生きるべきかは、大変重要な問題である。地位や名誉・財産その他諸々を我がものに出来たとしても、尚重要な問題は心身ともに健康であることに尽きる。貝原益軒は人生の達人とは自己が楽しむことを知る人だと言っている。そのためには先ず第一に旅をすること。「名勝の地、山水のうるわしき佳境に望めば良心を感じ起こし、徳をすすめ知をひろめ、目を遊ばしめ風土を問い、名産その味をこころむ、いとめずらしく、なぐさむわざなり。」次に旅に付きものの酒である。「酒は天の美禄、少し飲めば心を寛くし憂いを消し、元気を補い血を巡らし、人と歓を合わせその益おおし。」但し微酔に止めるべしと言っている。一滴も飲めない人ほどお気の毒なことはない。さて次は読書の楽しみである。「山林に入らずして心閑かに、富貴ならずして心豊けし、大和の史を見れば遠きいにしへの跡、目の当たりに明らかに見て、我が身恰も其の世のある心地して数千年のよはひたもてるが如し、古き書を見ず古き道を知らざるは、万の里に暗し…」さて最後に健康を保ち養生するに大切なことは、怠けないこと。努力すべき事を良く努力し、体を動かし、気を循環させるを良しとす。また「畏れる」事、天を畏れ慎んで従い、人欲を畏れ慎んで我慢する。忍は身の宝なりである。以上貝原益軒の養生訓からの抜粋。
2009年06月06日
99歳の握手
満99歳の老婦人を見舞った。最後にお目に掛かったのが10数年前、もうお目に掛かれるのもこれが最後だと思いますからと、家政婦さんに手を引かれるようにして来られた。その後音信不通で、既に亡くなっておられるのではと思っていたが、ごく最近99歳の誕生日を迎えられたことを知った。近年は寝たきり老人になってしまい、意識もほとんど無く、ただ病院のベットに横たわる日々と聞いた。急に思い立って、一度是非お目に掛かりたいと末娘の方に連絡すると、病院まで案内してくれた。最初病室に入った時はすやすや寝入っておられたので、近くの喫茶店で少し時間を稼ぎ、再度病室へ行った。折良く目を覚ましておられ、娘さんが耳元で、岐阜の清田さんが来てくれましたよ、と言うと目を見開き反応があった。骨ばかりになった手を撫で、そっと握手をしたら、かすかに握り返してきた。そのまましばらくじ~っと顔を見ていたら、だんだん生気が蘇ってきて、手を微かに上下に動かして嬉しそうにした。私の人差し指1本をしっかり何度も力を込めて握ってくれた。40数年間の想い出が頭の中をぐるぐる巡って、思わず涙が出そうになった。99歳の長寿を祝いたいところだが、殆ど意識もなく、病院のベットに横たわる日々は、却って辛かろうと思った。さりとてどうすることも出来ないわけで、人間最後をどう締めくくるかは、本当に難しいものだと思わずにはいられなかった。
2009年06月05日
雨
このところ良く雨が降る。今日も予報では曇りのはずが、結局朝からじゃじゃぶりの雨となった。居室の窓からは鬱蒼とした山の翠が雨に濡れて一層鮮やかになり、こうして眺めているだけでも気持ちが良い。1日、2日と岩手へ会下会(えかかい)があって出掛けたが、帰り東京駅でホームのベンチに腰掛け暫く電車を待っていた。目の前はコンクリートと鉄とガラスがすべて、こういう無機質なものに取り囲まれていると、気持ちまで潤いを無くしぱさついてくる。私の場合は一時、電車を待つ間だけだから、ちょっと辛抱すればいいわけだが、こういう所で一日中働いている人の心はどうなるのかと思った。雑踏の中に車を突っ込んで、罪科のない人を理由無く殺めたり、路上でいきなり人を刺したりと、人間は一体どうなってしまったのかと、思うことがある。孔子さまは、天は何も言わないが、春夏秋冬真理丸出しである。天は何一つ隠してはいないと仰った。「春は花夏ホトトギス秋は月冬雪さえて冷しかりけり」と道元禅師も歌にされている。天地自然を観れば、そこに人間の正しい生き方が、自ずから指し示されている。しかしこれもコンクリートと鉄とガラスばかりの世界で感得するのは困難だろう。矢張り自然の中でこそ解るのではないだろうか。そぼ降る雨と翠の山を眺めていたら、こんな事が頭を巡った。
2009年06月04日
高賀神社
今朝は久しぶりに高賀水を汲みに出掛けた。早朝と言うこともあって、殆ど人が居らず、直ぐポリに4ヶ汲むことが出来た。いつもはここで売店に寄って黒ごまソフトを買い、ぺろぺろ舐めながら鬱蒼と茂る周囲の山々を眺め、帰りの時間に余裕がないため直ぐに引き返していた。ところが今日は充分余裕があったので、水を頂くだけで、神様にお詣りしないのは気が引けたので、水汲み場から更に奥へ3キロ入った高賀神社をお詣りした。こういうところを限界集落というのだと思うような細い山道に、ぽつんぽつんと家が建っている。ほぼ突き当たりに少し開けたところがあって、大きな石の鳥居が建ち、左手山際にこぢんまりした本殿があった。20段ほど階段を上り先ずはお賽銭と、頭陀袋に手を突っ込み、がさごそ小銭入れを探したが無い。ここで始めて水汲み場で落としたことに気が付いた。で、お賽銭なしで柏手を打ちお詣りを済ませ、もと来た道を引き返した。田舎の人は親切なもので、ちゃんと拾ってくれていたらしく、私の顔を見るなり、向こうさんの方から飛んできて財布を渡してくれた。実は私は神社詣りの時は大抵お賽銭は投げないで、いわば無賃乗車みたいな事をやっていたのだが、その日に限って殊勝な気持ちになって、お賽銭を投げようと思ったのが幸いして、財布が元に戻ったわけである。中味よりこの財布が大変高価なものなので、以後、必ず神社詣りにはお賽銭を投げようと思った次第。
2009年06月03日
蛍
早朝まだ暗いうちにハチの散歩に出掛けた。先ずは必ず庫裡裏の竹藪と畑のある方へ行く。そこに生えている藪ミョウガの葉っぱを食べるためである。暗闇でもいろいろな草の中からちゃんと藪ミョウガを見つけてむしゃむしゃ食べるので、誰に教えられたわけでもないのに、偉いものだといつも感心している。食べる間しばし暗闇に佇んでいたら、蛍の黄色い光が4つゆったりと飛んでいた。真っ暗闇の中だからかすかな光が一層際だって、実に良い感じだ。早や蛍の飛ぶ季節になったのである。僧堂修業時代、山奥の道場だったから、開枕後、横になっていると、開け放った寮舎に蛍が頭の上をゆらゆら飛んでいた。近年自然を取り戻そうという運動が盛んで、蛍の飛ぶ地域が増えてきたそうだが、そう言う影響かも知れない。境内の掃除で集めた葉っぱを堆く積んで腐らせ、それを畑の肥料にしているのだが、その中にカブトムシが卵を産む。やがて夏になると何匹もガサゴソと這い出て、夜になると明かりめがけてぶんぶん飛んで来る。都会の中の山間地に住んでいる我々ならではの、季節の風物詩だ。その代わり、梅雨時には大型ムカデが部屋に侵入し、これに噛まれた医者へ飛んで行かなければならないし、大型蚊がわんわんと飛び交い、衣服の上からもそこら中ぶすぶす刺すので、痒いったらない。狸は庭をのそのそ動き回り、良いことばかりでもないのである。良いこと半分悪いこと半分、これが自然だ。
2009年06月02日
卓宗会
1日、2日、私の下で修行し、今はそれぞれ一山の和尚になっている連中が集まって懇親会を開いた。お世話頂いたのは北上市のT師、これがまた親切な男で、案内状も実に細かい配慮があり、当日の段取りも綿密そのもの、平生の住職振りが窺われる。到着するとあらかじめ頼んであったらしく、「三ケ尻鹿踊」(みかじりししおどり)を本堂前で見せてくれた。時折小雨混じりの生憎の天気だったが、運良くその時だけ雨が止んだ。太鼓を激しく打ち鳴らしながら、鹿の装束を着た8人が輪になって踊った。単調な動きだが、大地を揺るがすばかりの太鼓の音は、はらわたに染みいるようで、なかなか感動的だった。その後、嘗て修行中亡くなった同僚の雲水二人の供養のお経を上げ、皆で一服の茶を飲みながら久しぶりの再会を懐かしんだ。それから30分ほど車で移動して、花巻温泉の宿に到着、温泉にたっぷり浸かってから夕食、酒を酌み交わしながら昔話に花を咲かせた。何年経っても、僧堂在錫中の想い出は尽きないもので、その時は目くじら立てて怒鳴り散らしたことが、年月を経て風化して、今となってはお互い涙が出るほどの大笑いになった。月日が経つというのは、実に味わい深いものだと改めて感じた。翌日は宮沢賢治の記念館を訪れた。地元のボランティアの方をガイドに頼んでいてくれ、懇切丁寧な説明を拝聴し、良い勉強になった。近年特に宮沢賢治研究が盛んになり、説明を聞けば聞くほど、偉大な足跡に感銘を受けた。個人的には、「セロひきのゴーシュ」のアニメが大好きで、以前は良く心にぽかっと穴が空いたときには、繰り返しビデオを見たものだ。最後は花巻市内で名物「わんこ蕎麦」、仲間で一番は小田原のH師が105杯、店から横綱の証明書と手拭いまで貰った。因みに私は50杯でダウン、喉元まで蕎麦がせり上がってきた。しかしそれだけ食べても帰りの電車に乗った頃にはお腹が空いてきたのだから呆れる。こんな会下(えか)会だったが、久しぶりに心の底から楽しんだ。