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2009年07月31日
白山堂
今日は雨安居制末の隔宿諷経が午後4時から有り、引き続き裏山中腹にある白山堂へお詣りする。約1時間半に及ぶ勤行で大汗掻くのは例年のことなのだが、今年はさらに長引く梅雨の蒸し暑さの中だったから、袈裟の上までぐっしょりと汗が吹き出た。もう10数年も前になるが、雲水を引き連れて白山登山をしたことがある。岐阜県側から登って5時間、途中から木の階段が延々と続き、これには参った。ふらふらになりながらやっと山小屋に到着、小憩後さらに30分ほど頂上目指して登った。そこには白山さんの立派なお堂が祀られており、皆で大声張り上げてお経を読んだ。それから懇ろにお詣りして、貴重なお札を頂いてきた。今でもその時の御札がうちの小さな白山堂に納められている。毎年ここにお詣りする度に当時のことを思いだし懐かしくなる。僧堂では今日の隔宿諷経が終わり、夕方の総茶礼が終わると、ほっと安堵の胸を撫で下ろすのである。明日からは制間となり、雲水も順次暫暇したり、楞厳行道も終わり、何となくゆったりした気分になる。屈したり伸びたり、この程良い加減が、僧堂の特徴で、こういうところに古人の智慧を感ずる。だから修行がいい加減になるわけではなく、制中とはまた違った角度から自分の修行を改めて見直す良い機会に成るのである。
2009年07月29日
自家製パン
鎌倉に住職していた頃の友人で、近年レストランと自家製のパン作りをやり出した者が居る。彼の寺は鎌倉でも由緒のあるところで、広大な境内地の一角を、長らく人に貸していたのだが、これが何十年ぶりかで返却された。建物は洋館でなかなか洒落ているので、壊してしまうのも勿体ないと言うところから、これをレストランに改造、傍らに本格的パン製造小屋まで建てて、今では鎌倉名所にもなって、なかなか繁盛しているようだ。その彼がちょくちょくお手製のパンをダンボールに一杯送ってきてくれる。このパンが種類いろいろで、私など今まで見たこともないようなものもある。毎度有り難く頂戴し、雲水にも少々お裾分けして美味しく頂いている。今日もそのパンが送られてきた。早速封を開けると、またまたオリジナルなパンが山ほど入っていた。よくもこんな風に新しく考え出すものだと感心している。こちらは専ら食べる方専門だから、「これは旨い!」とか、「こりゃ~イマイチだな~。」などと勝手なことを言ってるが、造る方は大変なのだろう。兎も角こういう友人を持つのは良いものだ。いつも腹を空かしてがつがつしているから、食い物となると目がない。愛犬ハチがまたパンが好きで、ポケットに隠していても人間の一万倍の嗅覚で直ぐにパンと悟り、これを食べさせない限り全く言うことを聞かなくなる。どうも飼い主も犬も共に同じようになって、食い意地が張って、卑しいことこの上ないな~と、大いに反省しているところである。
2009年07月26日
長い梅雨
向こう一週間予報を見ても、以前として雲か雨マークの連続、八月に入ってもまだ梅雨が続きそうな気配である。南米沖のエルニーニョ現象が関係しているのだそうだが、大きな地球規模の現象相手ではどうしようもない。そこでせめてもの自己防衛で、部屋は除湿器をフル回転させて、べたべたした湿気を取り除いているが、洗濯物は乾かないし、これから以降どうなるのか、心配である。空梅雨で酷暑の水不足を心配するのも大変だが、豪雨に見舞われ死者まで出るとなると、程良く中庸というわけにはいかないのだろうかと思ってしまう。先日用事で木曽福島へ行ったので、毎年滝行をする「新滝」をちょっと覗いてきた。案の定、猛烈な水量で、恰もナイヤガラ瀑布である。こんな滝の直下に入ったら、命がけとなること必定。九月中旬までにはどうか普通になって欲しいと念じてきた。滝行も今年で19年目、来年20年で止めようと思っている。滝に打たれること自体は別にどうと言うことはないが、頭蓋骨を強烈にぶん殴られるような感じで、頭部が切れてたらたら血が流れるのだから、脳に良くないのではないかと仲間と話し合い、20年で卒業と言うことにしたわけである。さてこの長い梅雨、お天道さん、何とかしてよね!身体からキノコが生えてきそうだ。
2009年07月25日
花火大会
夏の風物詩、花火大会が各地で催されているが、岐阜では7月下旬と8月上旬に、二つのライバル新聞社によって、ほぼ同規模の花火大会が2回行われる。長良川の河川敷を利用して行われるため、見物する方は相当広範囲に散らばって眺められるので良いのだが、市内に住む者にとっては全く迷惑千万な催しである。午後から道路は大渋滞で、ちょっと買い物に出掛けることも出来ない。今日もうっかり当日だったことを忘れて出掛けしまい、酷い目にあった。とこんな言い方をすると毎年楽しみに見物される人には、この野郎!と叱られそうだが、せめて開催は1回にして貰いたい。新聞社もそう張り合わずに仲良くやれば費用も二分の一で済むわけだし、こんな良いことはないと思うのだが、外野席の我々とはまた違った考えがあるのかも知れない。ところで今日は午後から猛烈な雨、バケツをひっくり返したようだった。その後も止んではまた降りの繰り返しだったから、見物人も主催者も気の揉めたことだろう。7時頃から打ち上げの派手な音が聞こえていたから一応強行したとみえる。数年前この花火を親戚の者が見にやって来たので、いやいや案内をしたことがある。まっ、綺麗なことは綺麗だったが、帰りの混雑を考えると憂鬱になった。寺からは距離にして2キロぐらいなので歩いていったが、道路は人で一杯、通勤ラッシュのホームみたいだ。それにいつも思うのは露天商の数の多さである。ああいう人はそれで飯を食ってるのだから、これも下手なことは言えないが、兎も角多いったらない。それぞれが発電機を使うから騒音と排気ガスで辺り一面もうもうたる煙と匂い、河原の清々しさなどまるでない。もう一つ思うのは見物料がただだと言うこと。何方かが費用を負担しているのだろうが、これもバカにならないだろう。我々はそれを無料で見物できるのだから、がたがた言うのは止めて置いた方が良さそうだ。
2009年07月24日
書道
私が住職して間もなく、知人から墨跡を依頼された。それまで多少書道の稽古はやったが、墨跡など書いたことがない。まだ押す印さえ持っておらず、鄭重にお断りすると、そう気にせず何でも良いですから書いて下さいと強引に頼まれた。仕方なくへったぴーな字を何枚も書き、中から少しはましなものを1枚差し上げた。爾来このことが大変気になった。そんなある時総代さんの所へお経を読みに出掛けた折り、床の間を見ると「南無阿弥陀佛」が掛けられていた。これはどなたのですかと尋ねると、書道の先生の字ですという。毎月4回お宅に大変高名な先生にお越し頂き、数人の仲間と書道の稽古をされているという。早速私もその仲間に加えて欲しいと申し出ると、快く承諾して下さった。爾来27年間ずっと続け、稽古場も10数年前からうちのお寺になった。禅僧の書は必ずしも書家のようである必要はなく、境界で書けば良いのだが、さりとて無茶苦茶な我流で、丸書いてポンでは恥ずかしい。我々の大先輩の書でも、一端は基本をしっかり勉強して、その後自分流を編み出しておられる。だから深い味わいが醸し出されるのであって、無手勝流では駄目だ。稽古を始めて解ったことは、書は「余白の美」ということである。一般には黒々と書かれた墨の方を見るが、余白の方を見て美しさを感ずるので、いわば空間の美なのである。そう言う目が養われると、書に対して常に襟を正し、決して傲慢にならないという心が出来てくる。書道をやって、これが一番の収穫だと思っている。
2009年07月22日
苦痛力
雨安居(うあんご)制中、3ケ月間は朝の勤行の時、通常のお経が終わって直ぐ、楞厳行道(りょうごんぎょうどう)がある。室中より南側の2間幅×9間半の畳敷きの上を、勢いよく歩きながら楞厳呪をよむ。6,7月とも成ると通常の勤行だけでも大汗掻くのだが、さらに楞厳行道が加わるため、毎日法衣の上まで汗でびっしょりになる。僧堂はよく考えられているもので、暑い季節誰でも眠たくなる頃は、こうして歩かせながらお経を読ませるのである。尤もこの楞厳行道は雲水を居眠りさせないために出来た行事ではなく、本来は別の意味があるそうだが、まっ、難しいことはさておき、兎も角暑い盛りの楞厳行道は閉口する。私も若い雲水の頃は元気溌剌としていたので、これしきのことはへでもなかったのだが、近年だんだん老人になってきたら、結構堪える。また今年も楞厳行道か~!と思わず言ってしまう。ところが不思議なことに、今年はいつものようにまた3ケ月間大変だな~と、思わなくなった。これはどうしたことかと考えた。苦痛を楽しむというほど上等な心境ではないが、人間少々苦しいことも良いもんだと思うようになったのだ。よく考えてみれば、私の日々は早朝3時に起きるところから既に苦痛なのだ。起きたら直ぐに部屋を全開、淀んだ空気に朝のそよ風が吹き込み、ざっと箒で掃く。これがまた爽やかで気持ちが良い。顔を洗い口をすすぎ、着物・法衣・袈裟を付けて机の前に坐る。この時軒に吊しておいた寒暖計の気温を日誌に書く。しばし静坐のまま大鐘を待つ。とまあこんな具合で一日が始まるのだが、何十年と繰り返しているから慣れでどうと言うことはないが、決して楽なことでもない。しかし適度な苦痛は味わい続けていると、「苦痛力」が向上して、反対に何もないと生き甲斐を見失う。押しつぶされては駄目だが、ほどほどのは心身の健康のためにはなかなか良いものだと思うようになったのである。
2009年07月20日
瑞龍寺婦人会
先代さんの時よりずっと続いていた瑞龍寺婦人会も年々老齢化が進み、今では二人きりになってしまった。27年前私が住職した頃はMさんを中心に、年1回の総会には百数十人のお詣りがあって、それは盛大であった。特に幹部の方々には、僧堂行事に必ずご案内を差し上げ、お詣り頂いていた。今日また一人、中心で活躍されていた方が100歳で亡くなられ、明日お葬式をする。だんだん歯が欠けるように亡くなられるのは、誠に寂しい限りである。雲水をとても可愛がってくれて、托鉢の点心を初め、茶礼のお菓子や食事の供養など、ご厚情を頂いた。不思議に婦人会の方々は長命で、既に亡くなられた方々も殆ど90歳以上、今残っているお二人の内一人の方は93歳、なお矍鑠として行事にはお詣りされる。新しい会員が入って、組織として新陳代謝できればそれが一番良いことなのだが、たまに勧めても、「いえ、私はまだそう言う年齢ではありませんから・・・。」とお断りになる。別にお寺の会は年寄りでなければならないなどという決まりはどこにもないのだが、どうも寺とはそう言うイメージらしい。お寺と葬式が一体になって居るところから来るのだと思うが、それはお寺の活動のほんの一部で、むしろ現代を生きるために必要な智慧を得る場である。だからもっと若い人達に来て欲しいと願っているのだが、永年掛かって出来上がってしまった先入観は、一朝一夕には取り除くことは出来そうにない。我々の側もそのためにどうしたら良いのか真剣に考えなければならない。一部でいろいろ試行錯誤しているようだが、まだ宗門全体に広がっていない。何よりもお坊さん一人一人の自覚が大切である。そのためにも宗門人としての根本を作って行く僧堂修行が、腰掛けではなく、みっちり腰据えて頑張って欲しいと願わずには居られない。
2009年07月19日
癒し
現代社会は一歩外へ出れば七人の敵有りで、厳しい競争にさらされる。食うか食われるか、今年のことが来年も保証されている人などない。親戚の者が目下会社の幹部として寝る間も惜しんで働いているが、来年はどうなるか分からないと言っていた。そう言う話しを聞くに付けても、一層厳しさが伝わってくる。といって、人間常に崖っぷち状態では、とてもやってられないわけで、そこで癒しが必要になつて来る。「日本人のこころのゆくえ」と言う本を読んでいたらこういうことが書いてあった。『癒しというと、苦しかったことが癒されて楽になることのみが意識される。しかし、実際は、簡単に楽になるのではなく、むしろ苦しみを深めることが先に求められることが多い。新しいものの創造には苦しみが伴うからである。苦しまずに癒されることはない。』『「生き甲斐がない」、とか、「生きる意味がない」、ので、生きていても仕方がないと言っていた人が、「生き甲斐を探し」、「生きる意味を見いだす」ためにいま生きているのだと思うようになった。創造活動をするのに、他からの答えを期待するのは間違いである。自分で発見しなくてはならない。』以上一部を引用させて貰ったが、世の中のもので金で買えないものはないと豪語した人が居たそうだが、だから自ら心を失ったのである。世の中棚からぼた餅はない。
2009年07月18日
生活パターン
15日にとんだハプニングがあって、それから以降、自宅謹慎4日目になった。今までに何となく出来ていた生活リズムで、ちょっと疲れているから休みたいな~などと思っても、一端それで回り出すと、意外と変えられないものだ。それが今回のことで半ば強制的に、全く違った生活パターンで過ごすようになった。そうしてみると、これもなかなか良いもので、読まなければならないと思いながら読んでいなかった書物が山ほどあったが、毎日片っ端から読破している。こんな風にがらり気分を変えられたのも、ひとえに不整脈のお陰である。自分のことは自分が一番解っていると思っていたが、とんでもないことで、まるで解っていなかったと解った。また私の日々は忙しく飛び回っている一般の人より、ずっとゆったりと過ごしているはずなのだが、まだまだ内を顧みることに疎かであったと痛感した。軽い病に適当な頻度で襲われるのも、脳みその洗濯が出来て良いものだ。病と言えば、知り合いの父親が癌の手術をして、目下のところ安静を保っていると言うことだが、こうなるとそんな暢気なことは言ってられない。一病息災と言うが、知人で幼少の頃医者から、「この子は二十まで生きれるかどうか解らない。」と宣告された人が、今年85歳を迎えられた。柳の枝に折れ無しで、弱い弱いと思っている人は平生から無茶をせず、慎んでいるから却って長命を保つことが出来るのである。何も健康のことだけに限らぬ、万事に身を慎み、心も慎む日々こそ、心身共に健康を保つ秘訣である。
2009年07月17日
不整脈
よく厚かましい人のことを、あいつは心臓が強いとか、毛が生えているとか言うが、そう言う意味で言えば私は極めて心臓は弱い。10年ほど前、スポーツジムで激しい運動後、サウナと水風呂を交互に3回繰り返し、この心地よい疲労感は堪らんね~、などと得意になっていたら、突如心臓が踊り出した。初めてのことでもあり、ビックリ仰天、ピーポーピーポーと、救急車の初体験と相成った。県立岐阜病院へ搬送されたのだが、うまい具合に担当が循環器科の先生だったので、適切に処置して頂き、結局この程度のは大したことありませんと、点滴1本打って帰された。その後余程慎重に運動は続けていたのだが再び1年後心臓が踊り出し、またもやピーポーのお世話と成ってしまった。この時は既に経験済みだったので、余裕で運ばれ、診察の結果も1回目同様、点滴1本と頓服を貰って帰った。知人の医者が心配してくれて、一応カテーテルや他に2種類の心臓検査をしなさいと命ぜられたので、調べたが結果は全く異常なしで安堵した。それから約10年心臓のことなど忘れていたら、15日、盆棚経へ出掛けた道中突如として心臓が踊り出し、その時は近くの消防署へ直接車を横付け、丁度署員は全員ラジオ体操中だったが、直ぐに救急車に乗せてくれて、三度の県立病院へ搬送となった。直ぐ検査の結果特別異常なしと言うことで点滴一本で帰された。以上が顛末だが、今回は三度目という事でこちらが落ち着いていたこともあり、また踊り出すのも以前よりおとなしく、数秒に一回脈が飛ぶ程度であった。兎も角普段は心臓のあることさえ意識しないのが、こういう事になると一脈ごとに意識するので、これが一番厄介である。しばらくは運動も止め外出も止め、じっと部屋に引き籠もっている。
2009年07月14日
盆棚経
昨日から七月盆の家々に雲水が棚経に歩いている。この酷暑の中、例年のこととは言いながら、ご苦労さんである。私も総代さんを何軒かまわる。今日,Kさん宅を訪ね型通りのお経も済んで、老夫婦と話しをした。ご主人とは数年前まで一緒に水彩画を稽古した仲間でもある。以前描かれた作品を見せて頂くと、これが素晴らしい。既に85歳に成られるのだが、花や葉っぱの葉脈一本も疎かにせず、その几帳面さ綿密さには驚くばかりである。今となってはこの様にはとても描けませんと謙遜しておられたが、プロ並みの出来栄えに改めて驚かされた。そこで早速、、「ホームページに掲載のこころの杖のカットに使わせて下さい。」と頼んだ。今までは自分で描いたものを使っていたが、既に使い切ってしまい、同じものを適当に混ぜて使っている状態である。かねがね何とかしなければと思っていたので、丁度良いことになった。ご本人はしきりに遠慮されていたが、半ば強引にお借りしてきた。これで向こう3,4年は新しいカットで行ける。どこに幸いが転がっているか解らないものである。昨夜は知人の紹介で、志の助の落語を聞いてきた。ネタは初めて聞くもので、内容はごくありふれたものだったが、演ずる真剣さには目を剥いた。さすがプロは違う。旅館のさして広くない部屋一杯の人で、猛烈な暑さだったが、凄まじいばかりの成り切りようには、芸人魂を感じた。「我以外皆な我が師」と言うが、いたるところに素晴らしい人は居るものである。
2009年07月09日
癌
このところやたら知人友人が癌で倒れる。2,3年前から有志が集い、ある漢学者を頼んで勉強会を始めた。論語・朱子学・仏教等々、S先生の話しは多岐にわたり、毎回楽しみにしていたのだが、今年の正月急に、一時中断しますという連絡を頂いた。聞くところに寄ると、癌に罹って目下療養中と言うのである。先生は元々大変な愛煙家で、いつもたばこは口から離されなかったので、てっきり肺癌と想像した。6月初め久しぶりに講義が再開され、冒頭今の病状について克明に話をされた。それに寄れば、事態は相当深刻な状況のようである。手術はせず、抗癌剤治療もせず、自然に任せ生きれるだけ生きると腹を決めたというのである。1月の時点で余命6ケ月と宣告されたと言うが、6月初めにこうして講義に来られたのだから、先生の生命力はまだ保ち続けているのである。先生曰く、「この世に自分が生まれた価値は何んなのだろうか?」ずっと考え、得た結論は、「無い」ということだった、と言われた。「何もない」、と解ったそうだ。ある大学の学長をされているのだが、これも変わりは幾らでも居る。学問ではどうかと言えば、漢学者は他にも沢山居て、変わりは幾らでもある。では家族にとって自分はかけがえのない存在かと言えば、必ずしもそうではない。4,5年もすれば自分のことなど忘れて、「今年の夏はハワイに行こうかね~。」と、顔つき合わせて相談するのが関の山。この世に自分が存在する価値など何一つ無いと解った。こう淡々と話しをされた。この「何もない」はそう簡単な話ではない。たとえ健康で長寿を保つことができたとしても、いずれは死んで行かなければならないわけだが、さて、いまわの際に自分の一生をどのように振り返るのだろうか。結局何も無かったのだと思うのだろうか。「・・・浪速のことは夢のまた夢」と太閤さんは言ったそうだが、他山の石とせず考えて置きたいものである。
2009年07月08日
老眼鏡
私は50歳中頃より新聞が読みにくくなったな~と感じ、眼鏡店で調べて貰ったら、ズバリ老眼ですと宣告された。さらに乱視も加わっているようであり、左右で見え方もだいぶ違うというのだ。兎も角老眼鏡を作ってもらい、以後大変便利よくしている。ところが老眼鏡は字を読むときだけ必要で後は要らないわけだから、やたらあっちこっちに置き忘れ、今度はそれを探すのに往生した。始めは3つ4つ一辺に作って置き、要所要所に置いていたが、どうもこれも厄介だ。そこで遠近両用にしたところ、これは非常に便利で、掛けっ放しにして置けばいつでも遠近両方共に見られるわけで、以後はこれで便利よく使っている。ある時、友人も同様老眼でメガネを掛けていたのだが、彼が、「あなたのメガネはフッアション的に劣る。」とのたまわった。「バカ!メガネなんて~ものは見えれば良いんだ。」と、その場はやり過ごしたが、今度老眼が少し進んできて作り直すこととなり、ふと彼の言葉を想い出した。そこで今回はイメージチェンジで、がらり変えて作った。いずれ彼に会ったときには、「これ見よ!」と言ってやるつもりだ。とまあ、取るに足らんバカな話を書いて申し訳ない。僧堂時代から親しくしている和尚から、今年の正月早々ブログの返事で、穴空けずに書いて下さいね!と念を押された。爾来ずっとこの言葉が頭にこびりついて離れず、まるで脅迫されているみたいな気になり、必死に書いているという次第。そうめずらかな話題が次々にあるわけではないので、たまにはこういう愚にも付かない日もあるわけだ。ご寛恕の程。
2009年07月07日
山登り
うちの寺の後ろはずっと山が続いているので、山登りをしようと思えば、コースはいろいろあって、その日の調子で選べる。私はこの寺の住職になって、いろいろ良いことがあったがその内の一つは、いつでも選り取り見取り好きなコースの山歩きが出来ることである。最近は少し楽なコースを歩いていたが、今日は急に物足りなく感じ、岩戸公園から岐阜城へ登る急峻コースを選んだ。ここは2,3年全く行ってなかったので、足が持つか心配したが、日頃足腰を鍛えているたまもので、すいすい快調なペースで登ることが出来た。今にも雨が降り出しそうな猛烈に蒸し暑い中、全身汗まみれ。寺に戻って直ぐにシャワーを浴びたときの気持ちの良いこと、心身共に爽快な気分になった。梅雨時はただでも鬱陶しく、気が滅入る時期だから、逆に思いっ切り汗まみれになるとスカッとする。午後来客があったが、その人の父親も癌だそうで、近く手術すると言う。つい最近、大変親しくしていた方が癌で亡くなり、今日また同様の深刻な話を聞き、全く人ごとではないな~と思った。こうして元気に修行できることがどれほど有り難いことなのか、改めて感じた。失って初めて気付くことに、健康と父母の恩、夫婦の絆と友人があると言う。確かにどれも大切なものだが、あって当たり前と思っている。これらを失う前に有り難いと思えるような生き方をしたいものである。
2009年07月04日
梅雨
高温多湿は例年の梅雨そのもので、覚悟の上とは言いながら、ちょっと動いただけでもびっしょり肌着が汗まみれ、結果洗濯物が大量に出る。干そうと思えば雨が降り乾かない、まったくもう嫌になる。そこで暑さ解消とストレス発散のために近くのプールへ泳ぎに出掛けた。そこで学生アルバイトと話しをしたら、彼は秋田県出身、今年岐阜市内の薬大に入ったのだという。初めての猛烈な岐阜の暑さに出会すわけだ。そこで一言忠告、殺人的暑さにやられ死なないように頑張れと激励した。思い起こせば、27年前私も始めてこの猛烈な暑さに遭遇し、此処は人間の住む所じゃ~無いな~!と実感した。9月になると体の芯の熱がずっと籠もって抜けず、原因不明な倦怠感と食欲不振に襲われ苦しんだ。結局これは夏負けだったのだが、普通の岐阜人になれるまでに約10年間かかった。それまで住んでいた鎌倉の寺は、通称、軽井沢と言われた超涼しいところだった。夏でもクーラーや扇風機は要らず、団扇が一つあれば充分だった。そう言う快適なところから殺人的ところへ来たのだからたまったもんじゃない。よくぞ今まで健康で生きてこられたものだと我ながら感心している。暑いときには一端汗を思いっ切り掻いて、後で水分を充分補給しておけば、体自身がクーラーのようになって、爽やかになる。昨年はロンドンへ避暑をかねて出掛けたが、これは大失敗だった。毎日しとしと冷たい雨が降り、昼間でも少しストーブが欲しいほど。こんな陰気くさいところは二度とごめんだと思った。やはり夏はかっと暑くなって、どどっと汗を掻く、これが一番と改めて悟った。