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2009年07月20日

瑞龍寺婦人会

先代さんの時よりずっと続いていた瑞龍寺婦人会も年々老齢化が進み、今では二人きりになってしまった。27年前私が住職した頃はMさんを中心に、年1回の総会には百数十人のお詣りがあって、それは盛大であった。特に幹部の方々には、僧堂行事に必ずご案内を差し上げ、お詣り頂いていた。今日また一人、中心で活躍されていた方が100歳で亡くなられ、明日お葬式をする。だんだん歯が欠けるように亡くなられるのは、誠に寂しい限りである。雲水をとても可愛がってくれて、托鉢の点心を初め、茶礼のお菓子や食事の供養など、ご厚情を頂いた。不思議に婦人会の方々は長命で、既に亡くなられた方々も殆ど90歳以上、今残っているお二人の内一人の方は93歳、なお矍鑠として行事にはお詣りされる。新しい会員が入って、組織として新陳代謝できればそれが一番良いことなのだが、たまに勧めても、「いえ、私はまだそう言う年齢ではありませんから・・・。」とお断りになる。別にお寺の会は年寄りでなければならないなどという決まりはどこにもないのだが、どうも寺とはそう言うイメージらしい。お寺と葬式が一体になって居るところから来るのだと思うが、それはお寺の活動のほんの一部で、むしろ現代を生きるために必要な智慧を得る場である。だからもっと若い人達に来て欲しいと願っているのだが、永年掛かって出来上がってしまった先入観は、一朝一夕には取り除くことは出来そうにない。我々の側もそのためにどうしたら良いのか真剣に考えなければならない。一部でいろいろ試行錯誤しているようだが、まだ宗門全体に広がっていない。何よりもお坊さん一人一人の自覚が大切である。そのためにも宗門人としての根本を作って行く僧堂修行が、腰掛けではなく、みっちり腰据えて頑張って欲しいと願わずには居られない。

投稿者 zuiryo : 2009年07月20日 21:40

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