2009年07月22日
苦痛力
雨安居(うあんご)制中、3ケ月間は朝の勤行の時、通常のお経が終わって直ぐ、楞厳行道(りょうごんぎょうどう)がある。室中より南側の2間幅×9間半の畳敷きの上を、勢いよく歩きながら楞厳呪をよむ。6,7月とも成ると通常の勤行だけでも大汗掻くのだが、さらに楞厳行道が加わるため、毎日法衣の上まで汗でびっしょりになる。僧堂はよく考えられているもので、暑い季節誰でも眠たくなる頃は、こうして歩かせながらお経を読ませるのである。尤もこの楞厳行道は雲水を居眠りさせないために出来た行事ではなく、本来は別の意味があるそうだが、まっ、難しいことはさておき、兎も角暑い盛りの楞厳行道は閉口する。私も若い雲水の頃は元気溌剌としていたので、これしきのことはへでもなかったのだが、近年だんだん老人になってきたら、結構堪える。また今年も楞厳行道か~!と思わず言ってしまう。ところが不思議なことに、今年はいつものようにまた3ケ月間大変だな~と、思わなくなった。これはどうしたことかと考えた。苦痛を楽しむというほど上等な心境ではないが、人間少々苦しいことも良いもんだと思うようになったのだ。よく考えてみれば、私の日々は早朝3時に起きるところから既に苦痛なのだ。起きたら直ぐに部屋を全開、淀んだ空気に朝のそよ風が吹き込み、ざっと箒で掃く。これがまた爽やかで気持ちが良い。顔を洗い口をすすぎ、着物・法衣・袈裟を付けて机の前に坐る。この時軒に吊しておいた寒暖計の気温を日誌に書く。しばし静坐のまま大鐘を待つ。とまあこんな具合で一日が始まるのだが、何十年と繰り返しているから慣れでどうと言うことはないが、決して楽なことでもない。しかし適度な苦痛は味わい続けていると、「苦痛力」が向上して、反対に何もないと生き甲斐を見失う。押しつぶされては駄目だが、ほどほどのは心身の健康のためにはなかなか良いものだと思うようになったのである。
投稿者 zuiryo : 2009年07月22日 20:51