2009年08月20日
ご縁
以前、天衣寺尼僧堂で定期的に開催されている女性禅學林に参加された島根県のお寺の奥さんから、わざわざご丁寧なご挨拶を頂いた。この寺は瑞龍僧堂の私より四代前の浜村精道老師の出られたお寺の方だった。そこで初めて精道老師のお寺とご縁が復活し、以後、瑞龍寺からのたよりなどをお送りしてお付き合いを続けている。さて、今日また一人、当山とご縁のある方が訪ねてこられた。この方は隣町のM寺の住職の子供として生まれたのだが、父親である住職が若くして亡くなられたため、種々の事情から母親と共に寺を出て、お母さんの実家に身を寄せたと言う。母親は有名な天竜寺の嘗て管長をされた方の妹さんだそうだ。爾来、母親は働きながら子供を立派に育てられ、今も78歳でご健在だそうだ。今日訪ねてこられた方は、お見受けしたところ40少し過ぎくらいの方で、京都の某大学で働いておられ、時折父親の眠るM寺へお墓詣りに来るそうだ。いつもは墓参りを済ませ直ぐ帰っていたのだが、父親が嘗て修行した瑞龍寺を一度是非お詣りしたいと、Eメールでお便りを寄せられ、今回の来寺となつたのである。母親を通じていつも瑞龍僧堂での話を聞かされたそうで、それは決して苦しい修行の話しではなく、楽しい話題ばかりだったという。父親がそんなに思い出深い道場とは一体どんなところなのか、一度是非見てみたいというのが今回訪ねてこられた理由であった。雲水に本堂・禅堂・参禅室など、くまなく案内させてからお目に掛かると、実に嬉しそうに、満面笑みを浮かべていた。父親が修行していた頃から既に半世紀を過ぎ、近年の伽藍復興で当時の面影をしのぶ物はほとんど無くなってしまったが、唯一、戦災に会わず残った参禅室に特別な思いが去来したと言う。この方といろいろ話しをしながら、人の思いの深さは何十年経っても決して失われるものではなく、世代を越えて受け継がれるのだと、改めて感じた。
投稿者 zuiryo : 2009年08月20日 13:16