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2009年09月30日
報恩接心
本山妙心寺開山無相大師650年遠忌報恩接心が9月26日から30日まで行われた。妙心寺派のみならず他派からも多くの雲水が参集、その数280余名、法堂を埋め尽くす程の数である。本山での接心は30余年前、二世微妙大師の遠忌接心に雲水として参加して以来、瑞龍寺へきてからは、雪江禅師・日峰禅師の各遠忌接心に参加し、今回で四回目となった。こういう得難き縁に巡り会えるのは僧侶として本当に幸せなことである。嘗て一緒に雲水修行した同参で、立派に修行をやり挙げた方が、一雲水となって、71歳の老骨に鞭打って参加されていた。接心中の参禅にわざわざ私の処へきて、接心なか日に「常山」が少菜として出されたときは、感激の余り胸が詰まったと言っていた。このじょうざんとは、無相大師が伊深で修行中、河っぷちの何処にでも繁茂する、通称「くさぎ」と言われる、葉っぱが独特の臭みを放つもので、到底食さないものを、食物として利用されたものである。先ず葉っぱをちぎって湯がき、水を替えながら1週間さらし、これを炎天下、一枚一枚葉っぱを広げて天日干し、ちりちりに乾燥して一見お茶の葉のようになった状態で保存じておく。調理するときは先ず水に2,3日さらして戻し、みじん切りにしてから、充分水気を切って油で炒め、大豆を絡めてぐつぐつと煮込む。そこへ醤油と砂糖少々を入れて出来上がり。6月初旬、リヤカーを引いては川の土手に行き鎌でくさ木を刈り取るところから始まり、その後の一連の作業は大変重労働で、炎天下でもあり、苦しくも懐かしい想い出である。だからこの「常山」の味は、我々伊深出身の者にとっては特別の思い入れがあるのだ。その常山が無相大師報恩接心の少菜として出てきたのだから、感激の余り目が潤んだというのは、決して誇張ではなく、お互い何も言わなくとも、よく分かるのである。二人とも白頭の齢となり、参禅室でこの様に相まみえるのは、遠忌接心ならではだと、改めて深く心に感ずるものがあった。
2009年09月24日
白鼻心(はくびしん)
以前、白鼻心が本堂天井裏に棲みついて困ったことがあった。天井に巣を作り、そこで子供を生んだのである。当然糞尿もそこでやるから、ぽたりぽたりと、オシッコが滴り落ちるという事態となって、撃退作戦を開始した。先ずは天井裏に入り込めないように徹底的に穴塞ぎを試みた。しかしもうこれで完璧と思っても、広い本堂のどこからか進入口を見つけては、また巣作りを始めるというイタチごっこが続いた。ついにこの方法は諦めて、市役所に行って捕獲かごを借り、美味しそうな餌を中に入れて捕まえてやろうとした。しかしこれも駄目だった。白鼻心が入る前に野良猫が入ってしまうのである。隠寮の庭を白鼻心夫婦が堂々と闊歩し、木の枝伝いに屋根に登り、どこからか天井裏に入るのを何度も目撃した。体長数十センチ、長い尻尾まで入れると7,80センチはゆうにある大物である。毛色は黒褐色で、鼻に白い線がくっきりと入っていて、ここから名前がきているらしい。ついに万策尽きて、諦めたことがあった。その後どういう加減か、知らぬ間に天井裏から立ち去ってくれて、ほっと安堵の胸を撫で下ろした。ところがである、昨日、道具小屋裏手で白鼻心の子供発見(と言っても見つけたのは我々ではなく、我が愛犬ハチ君)。ハチは近年老齢化が進み、日中は殆ど爆睡状態で、側に行ってもグウグウ高いびきで寝ているのだが、そのハチが突如として雄叫びを挙げたかと思いきや、引き綱を引きちぎらんばかりに脱兎の如く突進、かのにっくき白鼻心の子供に食らいついたのだ。これには一同ビックリ仰天した。近頃足腰が弱って、時折腰砕けになったりするハチなのだが、人間の一万倍と言われる鼻力は全く衰えを見せず、この様な次第であった。ハチもただ食って寝ているだけではなく、野生の本能はまだまだ残っていたのである。褒美に餌を一掴み多めにやった。
2009年09月23日
満つれば欠く
母が亡くなって早や13年経つが、生前は必ず春秋に寺へやって来ては、私の箪笥を全てひっくり返して、綻びた着物や破れた肌着など、丹念に繕い、次の季節の物に入れ替えて呉れた。その間1週間、朝から晩まで根気よく針仕事をしているので、たまには近くの温泉へでも行こうか?と言うと、「此処が一番!」と、鬱蒼と茂る隠寮の庭を眺めながら言った。そんな折り、お茶を飲みながら昔話をいろいろしてくれた。「お前は小さい頃きかん気の強い子でね、ばあばの胸を突き飛ばして肋骨3本も折ったのよ。」とか、「子供自転車を1台買って、兄弟で替わりばんこ乗るように言ったら、お前はね~、自分のばんになったらそのまま乗ってどこかへ行っちゃって、夕方になっても帰ってこないので、皆で探し回ったのよ。」等々と、とても人様にはお話しできないようなことを、にこにこしながら喋っていた。そんな中で今でも心に深く残っている母の言葉に、「満つれば欠く」と言うのがある。満月も次の日から欠け始める。決して慢心を起こしてはいけないという私に対する戒めの言葉である。親は子供は幾つになっても子供だから、先々のことをいつも心配して、それとなく注意をしてくれたのである。朝課出頭の折り、渡り廊下を歩いて本堂に入る前、西方中天に輝くまん丸い月を眺めたとき、ふと満つれば欠くと言った母の言葉が頭をよぎった。
2009年09月22日
19年目の滝行
今年も恒例の御岳山中、新滝へ滝行に出掛けた。東京のいつもの仲間5人、午後3時に集合、早速第1回目の滝に入った。今年は例年になく冷え込み厳しく、滝の粒子は粗く、衝撃も強かった。日中これでは明朝、2回目の冷たさが心配になるほど。さて翌朝の気温は6度、暖房はないのでしょうかと他の客が尋ねるほどの寒さである。衣類は完全に冬支度、かくなる上はもう根性で入るより仕方がない。先ず私が先鋒役を買って出た。予想通り、水というより小砂利が降り注ぐ感じで、ゴツゴツと頭蓋骨に衝撃が響いてきて、指の先がしびれてくる。しかし1分もすると不思議に小砂利は生温かな牛乳が、柔らかに全身を包むようになる。よく人はどのくらい入っているのですかと尋ね、「まっ、長くて10分、その時々で7,8分と言うこともあります。」と言うと、「な~んだそんなものか。」と言う顔をするが、滝は入り方と出方が難しい。これでその人がどのくらいの年月、滝を浴びていたかが解る。最初数年は長時間頑張るのが勝ちのように錯覚して、ライバル意識を起こして、無闇やたらに長時間入ったが、これなどは未熟故の誤りである。気持ち良く入り気持ちよく出る、滝行はこれに尽きる。兎も角大満足で今年も帰ってきた。来年は20年、平成3年5月8日から始まったこの滝行も、これを区切りに引退しようと思っている。石の上にも20年、頭を強烈に打ち付ける行だから、そろそろ年齢のことも考えなければと言う思いから、そう決めたのである。仲間が卒業を祝って呉れることになっている。有り難いことである。
2009年09月17日
医者嫌い
世の中にはお医者さんへ行くのが大の苦手という人が居る。風邪なんか引いてもちょっと休んで、汗を掻いたら治っちゃう。指に熱湯をかけ皮が剥けても、水道水で冷やし、後はアロエを張って、ついに治してしまう。昔、僧堂に外国人の居士がいたのだが、彼が風邪を引いたとき、幾ら薬を勧めても絶対呑まなかった。どうしてかと問うと、「薬には副作用が必ずあるので、飲まないのに越したことはない。身体を休めれば風邪など自然に治るものだ。」というのである。確かに仰る通りだが、そう暢気に休んで居られないから薬を飲んででも動くのだと言っても、頑として言うことを聞かず、その通り自力で治してしまった。こういうタイプは私にとって、羨ましいような人である。私はそれとは全く逆で、ちょっとお腹が痛くなっても、風邪を引いても、医者へすっ飛んで行く。結果、飲み残しの余った薬や、そのほか薬局で買ってきた薬が部屋に山ほど堆く積み上げられる。その内まぜこぜになってこの薬はいったい何の薬だったのかさえ解らなくなる始末。こういう有様を見ていると、我ながら医者や薬に直ぐ頼る自分がふがい。以前「検査狂」という題で書いたが、ある人に、生死を脱得した禅僧が、それではおかしいんじゃないですか?と非難されたことがあった。こうずばり指摘されては返す言葉もない。身の回りに近頃癌で死ぬ人が沢山居る。二人に一人は癌になる時代だそうだ。これは言い換えれば、イラクやアフガニスタンで暮らすより危険な状況といえる。昨日もためしてガッテンで、肝臓癌の話しがあったが、ああいうことを聞くに付けても益々病気のことが気になってしまう。まっ、人間死ぬときは死ぬのだからと、腹をくくって、それまでが自分に授かった寿命だと思えば、どうと言うことはないのかも知れないが、なかなかそう思えないのが悩ましいところである。
2009年09月14日
野良猫
市内の公園や空き地は今や、野良猫で溢れている。朝夕その野良猫に餌をやる人が何人も居て、数は益々増える傾向にある。門前の一人暮らしのおばさんもそう言う人達の一人で、おばさんがアパートから出てくると、どこからともなく野良猫たちがわんさと寄り集まって来て、足にまとわり付き、身体を擦りつけて甘えている。そう言う様子を端から眺めていると微笑ましく、おばさんも野良猫も共に孤独を癒し、お互いに支え合っているのだな~と、感ぜられる。近くの別の公園にも、孤独な老人が居て、10数匹もの野良猫を可愛がり、年金の大半は餌代に消えると嘆いていた。ここのところだけを見ていれば、人間と動物の微笑ましい交流と言うことになるのだろうが、その為に周辺の住宅にいろいろな被害が出てくるとなると、困ったことだ。公園に群れる鳩も同様で、子供が集まってくる鳩にパンくずなど与える姿は、可愛らしく微笑ましい光景だが、糞公害で困っているところもあるのだ。物事は全て良しという事にはなかなか成らぬものである。京都当たりでも、神社仏閣で、建物の上部を網で全て包み、鳥たちが入れないようにしてあるが、自己防衛である。5日前のブログに野良の黒猫について書いたが、小さな事を言えば、折角綺麗に雑巾掛けした廊下を、土足で歩き回られたのでは腹も立つし、ちょっとでも戸が開いていれば勝手に入ってきて、食い散らして行く。この野郎!と、思うが、私も段々老いてきて、知らぬ間に周囲の人達に迷惑を掛けているのだと思うと、若い頃より野良猫に同情的になってきた。ものの見方もこちらの状況が変化してくると、知らぬ間に変わるのである。痩せ細ってかさかさの毛をした狸を見ていたら、何だか可哀想になってきたし、黒猫の澄んだ瞳を見ていたら、何となくお友達のような気がしてくるのである。
2009年09月13日
空手
外国人にとって、空手は大変魅力的スポーツのようで、暫く日本で生活すると、空手道場へ通い始めたと言う話を良く聞く。日本人の我々にとっては、スポーツとしてはマイナーなもので、イマイチ一般的ではない。数年前、友人とフランスの田舎を旅したときのこと、電車に乗るため駅で待っていたら、私の処へ何人も寄ってきては、空手の仕草を真似ながら、「カラテ!、カラテ!」と言う。その時は真っ白な作務着スタイルだったので、どうもこの格好は彼らには空手の先生にでも見えるらしいのだ。お陰でスリやかっぱらいなどの胡散臭い連中が一人も寄ってこず、実に安全で快適な旅が出来た。かくの如くヨーロッパでは大人気のカラテも、日本ではと言うことになると、さっぱり人気はない。ところで、最近秋田から岐阜の大学に入学した若者と話していたら、彼は何と空手部に入ったというのである。さらに驚いたのは、部員の半分以上は女子だというのだ。来年度は部長も女子になるそうだ。「挨拶は例のゴリラのように腕を前に少し広げ、オッス!、とやるのかね?」と尋ねると、「そうです」と言う。「女子も?」とさらに尋ねると、「そうです」と言った。「女子と言ってもごついのばっかりだろうね。」というと、「そうです、みんなごっついのばっかりです」、「やっぱりな~」。面白いかとさらに尋ねると、余り面白くないという。彼は高校時代はボート部だったそうで、規模の小さな大学のため部活の種類も余りなく、ましてやボート部など無いので、仕方なく入ったのだそうだ。なかなか好青年で、少し優しすぎるかなと思うほどなので、ごっつい女子空手部員にみっちりしごかれて、逞しく成長して欲しいと心から願った。
2009年09月11日
翠の山道
寺の裏山には岐阜城まで繋がる山道が縦横に走っており、岐阜市民健康ウオークのメッカに成っている。早朝はまだ薄暗がりの頃から、皆仲間と連れだって、せっせと歩いている。私は午後2時頃から一人で歩くのだが、どんなに暑い真夏でも、山道全体がすっぽり木の葉に覆われているため実に涼しく、そよそよと吹き抜ける風の爽やかなこと言ったらない。まるで翠のトンネルの中を歩いているようで、気持ちが良い。街の中は35,6度にも成るほどの酷暑でも、快適で殆ど汗も掻かずに歩ける。近頃エコが盛んに言われるが、鬱蒼と茂る山の樹木の持つ自浄能力の凄さをいつも実感する。こんな山道だから少しぐらいの雨などへっちゃらで、葉っぱが凌いでくれるから、傘の心配も要らない。こういう素晴らしい山を背景に持っているうちの寺は最高だな~と、いつも感謝している。この快適な山歩きは単に身体に良いと言うだけではなく、精神的にもなかなか良い。今までも、この裏山歩きでどのくらい苦境を脱することが出来たか知れない。人間、じっと坐って物事を考えると円状に成って、結局また元に戻ってしまうことがある。その点歩きながら考えると、螺旋状になって、一見元に戻っているように見えるが、最初の考えよりは少しづつでも前へ進む。道中の工夫、静中の工夫に勝ること百千万倍というが、本当にその通りだと実感する。
2009年09月09日
黒猫
隠寮の庭には黒猫の野良が住み着いている。すっかり我が家だと思っているらしく、八月の酷暑には、茶室の濡れ縁の北側の一番風通しの良いところで、思いっ切り身体を伸ばして寝ころんでいた。そのまた寝ころび方が良いのだ。「ああ~涼しくって気持ちいい~!」という声が聞こえてくるような寝ころび方である。私は日常の出入りは、庭先からしているので、この黒猫とはずっと顔見知りで、先方も側に行っても全く逃げる気配はない。いつもつくばいの下に身を屈め、水浴びに来る小鳥たちを捕まえては、食料にしている悪い奴なのだ。たしかに隠寮には私以外、人は居ないわけだし、邪魔者は皆無、我が世の春を謳歌しているのである。午後洗濯をして軒先に吊していたら、直ぐ前に黒猫がいて、私の方をじっと見つめている。そこで、黒猫の目を見ながら微笑みかけ、「にゃ~ご!」と言ったら、「にゃ~ご!」と答えてきた。もう一度にゃ~ごと言うと、また黒猫もにゃ~ごと返し、ぐにゃ~と背中を伸ばし、いかにもリラックスしている様子なのである。これはどう見ても長年のお友達という雰囲気である。まっ、この黒猫、別段こちらに迷惑を掛けることもないので、そう思ってるならそれでもかまわないが、願わくば、小鳥を捕るのは止めて貰いたい。以前、住み着いている狸の話を書いたが、私はこういう動物たちに囲まれながら、お互い何となく知り合いのような間合いで暮らしているのである。
2009年09月08日
運転免許更新
鎌倉で住職していた頃、毎月僧堂へ大接心に通っていたので、車の必要に迫られ、自動車の運転免許を取った。幸い自転車でちょっと行けば教習所があったので、便利で簡単に取得できた。その後現在の僧堂へ来てからは、専らタクシーを利用していたのだが、ちょっと用事で近間へ出掛けるときなどは矢張り車があった方が良いので、車を買って爾来便利に使っている。今日は5年に1回の免許更新に出掛けた。実は2年前、高速道路で30キロ速度オーバーで覆面パトに捕まり、バッドマーク1のため、更新料もやや高く、さらに講習時間も1時間である。型通りの説明でどれだけこういう講習会の意味があるのか疑問にも思ったが、事故の映像を見たり、その原因について説明を聞くと、改めて安全運転の重要さを認識して、無駄でもないな~と感じた。午後はためしてガッテンで教わった「遅筋ジョギング」で一汗流し、後は勉強。3ケ月に1回の割合で血液検査をしているのだが、昨日の検査で血糖値も中性脂肪もコレステロールも全て合格、やはりこの遅筋ジョギング効果だろうか。但し唯一、体重は減らない。テレビの説明では体重も減ると言うことだったが、まだやり足らないのかも知れない。これは日課にして続けるつもりだ。
2009年09月06日
東海庵開山忌
毎年9月6日は瑞龍寺の本庵、東海庵の開山忌に出頭する。朝7時からなので前日、花園会館に泊まる。住職は元管長の臥雲老師、既に83歳に成られ、尚矍鑠として凛とした姿には、永年修行で鍛え抜かれた片鱗を見る思いである。臥雲老師とは特別な想い出があって、10数年前、管長になられて直ぐ、私達の教区の授戒会が催された。その折り私は唱名師を拝命し、前後5日間ずっと同室でご一緒させて頂いた。いつも笑顔を絶やさず、私のような新参者に対しても実に鄭重な応対をされ、大変恐縮したのを覚えている。授戒会はいろいろな行事が組み込まれ、出番は断続的なため、二人で話しをしたり、お互い読書をしたりで、過ごした。私はそれまで逸外老師や耕月老師しか知らなかったので、全く違うタイプの方なので、何だか世界が広がったような気がした。人間顔が違うように、それぞれ性格も雰囲気も違う。それが個性で、だから面白いと言うこともあるのだろうが、あの独特のソフトな感じにすっかり魅了された。これがそもそもご縁の始まりで、その後開堂の時お世話になったり、双方で開山忌に往き来したりと、私にとっては勿体ないようなお付き合いをさせて頂いている。一般的には修行した僧堂が違えば、同じ宗門の中にいても殆ど挨拶することもなく過ぎてしまうのだが、考えてみると本当に有り難いことである。来年早々には、数年がかりで進めてきた開山悟渓国師の語録、「虎穴録訳注」本が完成する。そのことをご報告すると、とても喜んで下さった。これはそもそも、10数年前に執行した五百年遠忌の付帯事業で、永年の念願が漸く叶うことになった。思えば何と様々なご縁を頂き、その縁に支えられ励まされ、ここまでやってこられたものである。感謝、感謝。
2009年09月03日
畳替え
庫裡は新築して早や22年、本堂、禅堂など他の建物は、16年が経ち、さすがに畳がすり切れてきた。特に本堂や禅堂、食堂などでは雲水が同じ場所に座るので、すり切れ具合が酷い。また本堂の室中南側の部分は通路として使い、夏期は行道で勢いよく回りながらお経を読むために擦り切れ方も尋常ではない。そこで8月から畳替えを頼んだ。総数200枚以上の数になるので、少しずつ仕事をして貰い、ほぼ三分の二が終わった。何とかと畳は新しい程良いと言うそうだが、青畳の匂いは格別で、毎朝の勤行も気分が良いことこの上なし。また畳の青い色が良い。ところでいつも思うのだが、毎朝廊下を雑巾がけすると、毎日拭いていても結構埃が溜まっている。と言うことは畳の上も同様に汚れているに違いない。以前雑巾を出来るだけ固く絞って拭いたこともあったが、どうもこれは却って黒ずんできて具合が悪い。乾拭きすると良いと聞くが、これではどうもスッキリ綺麗になるとも思えない。精々こまめに掃除機で埃を吸い取る方法もあるが、毎日というわけにもゆかず、何か良い方法はないものか思案中である。折角綺麗な畳が入ったのだからいつまでもこの綺麗さを保ちたいと思っている。いずれにしても新しい畳は誠に良いものである。こんなことで連日畳屋さんが出入りしているのだが、今日仕事帰りに畳屋さんの主人が私の処にやってきて、「ブログを楽しみに拝見しておりますが、老師は不整脈だそうですが、実は私もそうなのです。」と言う。聞いてみると私のよりもっと酷く、脈が時折飛ぶなどという沙汰ではないようだ。インターネットで検索し、神奈川県の逗子にあるハートセンターが良いと解り、そこへ行ったそうだ。彼の場合は脈の信号を送る神経に異常があったそうで、今は見事に治って快適に過ごしているという。私の心臓診断は、「ああ、これは良性です。心配要りません。気になるようでしたら頓服を処方しますから、変なときには呑めば直ぐ治まります。」それで終わり。つい3日前も少し脈がとんだので、この薬を飲んでみたが全く効き目なしだった。では何故脈が飛ぶのかの原因は全く知らされない。かくなる上はセカンドオピニオンだ。私もハートセンターに行こうかな~と思い始めた。