2009年10月18日
華道
華道は茶道と並んで日本の伝統的習い事の一つである。今日は地元を中心にして活躍されている流派の四年に一度の発表会が、瑞龍寺山内全てを会場に、催されている。先日家元がご挨拶に来られ、伺えば、近年若い方の入会が激減しているそうだ。従って流派としても高齢化が進んで、それが大きな問題なのですと仰る。その原因は何かとお尋ねすると、カルチャーセンターなどで、他に幾らでも興味を引くお稽古事が沢山出てきたこと、お茶やお花は一,二年の短期間では直ぐには上達しないこと、家元制度の下でいろいろなお付き合いがあることなどが、理由らしい。まっ、好きなことを自由に選んでやって頂くこと自体は別にそれで良いのだが、伝統的な茶道や華道は他の習い事とは少し違う処が有ると思う。例えば茶道でも、単にお茶を点てる手順を覚えるとか、礼儀作法を心得るとかだけではなく、様々なお道具類の鑑賞、床に掛かる軸の味わいや、それを書いた人の足跡、字句の意味など、当に日本文化の集大成が籠められている。お茶は大の苦手な私だが、一席の茶事の道具組で亭主の力量が分かる、と言うことを最近知った。これなどは亭主のコーディネイターとしてのセンスを問われるわけで、なかなか深い味わいがある。つまり奥行きが深いのだ。だから生涯続けて、日々の生活の中に取り入れ、お茶を楽しみお花を楽しみながら、教養を身に付け、センスを磨いて行くのである。こういう日本独特の伝統が失われるのは、誠に憂慮すべき事である。岐阜では謡曲をされる人が多い。私の周りでも何人もの方が定期的に集まっては稽古を続け、酒宴の席でも、その会に相応しい演目を選んで、必ず謡う。男性の朗々と響き渡る謡曲は、いつ聞いても良いものだ。能を舞われる方も沢山居られる。近頃は一杯飲んだ後の二次会と言えば直ぐカラオケらしいが、それも結構だが、これだけでは頂けない。
投稿者 zuiryo : 2009年10月18日 09:23