« 2009年10月 | メイン | 2009年12月 »
2009年11月30日
お礼参り
お茶事に招待されたら、正式には翌日先方へ出向いてお礼参りするものだそうだ。しかし現在ではそのような堅いことはせず、その代わりに翌日届くように手紙の礼状を出すというのが専らである。此処で肝心なのは、間を置かずに出すことで、1週間も10日も後で、幾らご丁寧な文面の礼状を出しても、もう遅い、遅八刻なのである。これは多分お寺での習慣が、茶人の世界に取り入れられたのだろうと考えられる。ところが近年、その元祖たる寺で、こういう常識をわきまえぬ輩がはびこってきた。大行事のためにわざわざ人を頼んでおいてから、御礼はなしのつぶて、1ケ月近く経っても、うんともすんとでもない。余りの非常識に堪りかね、ついにこちら側からお礼参りを請求してやった。本当を言えば御礼を請求するなど、こっちの方が非常識なのだが、そんなことは言ってられないのが、現在の寺の有様なのである。僧堂に10数年も居て、一体何を修行していたのか疑われる。まっ、他人事ではない。こちらも余程注意して、そう言う失礼がないように、気を付けなければならぬ。大行事をやればやるほど、後始末がわんさとあって、あれもこれもと頭の中が大混乱、パンク寸前というのが本音なのだろうが、物事の重要さ加減をよく考えて、最も重要な事柄から順次片付けて行くことである。そのためには準備の段階から、後始末完了までのスケジュールをしっかり立てて置くことだ。仕舞い良ければ全て良しと言う。かく言う私も、余り大きな口は叩けぬ。平成5年に開山五百年遠忌を無事厳修し、今年漸く「虎穴録訳注」出版にこぎつけた。既に16年も経ってしまった。尤も仕事は既に数年前から始めていたが、兎も角これで全ての行事が円成したのである。尻仕舞いをきっぱりやり遂げることは並大抵ではない。
2009年11月29日
バイト
近頃、大学生のバイトは大抵自分用に旅行や食事、その他趣味などに使うらしいが、せっせと一部を親に差し出しているというけなげな学生もいる。毎月一定額親を出していたのだが、ある時、たまたま収入が少なかったので、いつもの半額に減らしたら、途端に食事を半分に減らされたと、苦笑いしていた。どういう家庭の事情か定かでないので、勝手なことは言えないが、兵量責めはないだろうと感じた。俗にも、食い物の恨みは祟るというが、この恨みは心のどこかに必ず残って、何かの時に表面に現れるだろうと察せられる。僧堂では「食平等(じきびょうどう)」と言う言葉がある。10年以上修行したベテランも、入門したての新米でも、食事は絶対に差別しないと言う決まりがある。もう数十年前になるが、小僧をしていたとき、ちょっとした茶菓で、あからさまな差別をされたことがある。あの時の恨みを今尚鮮明に覚えている。兎も角食い物の差別は絶対いけない。尤も、私は生来意地が汚い男だから、(これはどういう訳か確実に愛犬ハチ君にも受け継がれている)普通以上に執念深く思うのかも知れない。現在は物が豊富に溢れかえっている時代だから、昔のようなことはないかも知れない。つい先日も僧堂の茶菓は充分あるか聞いたところ、有り過ぎて、尼僧堂へどんどん食べて貰っておりますと言う。私が雲水の頃、たまに老師のところからお菓子のお下がりがあると、大抵カビまるけの饅頭だった。「こんなもの食べられるんですかね~。」と言ったら、油でからっと揚げて、つまり饅頭の唐揚げ、「こうすれば結構旨いぞ!」と言われ、「へえ~!」と驚いた。お茶の菓子と言えば、いつも沢庵の千切りだったから、カビまるけの饅頭でも充分贅沢だったのである。
2009年11月23日
狸うずくまる
先日、玄関前庭、さざれ石の傍ら玉龍の上にまるまると肥えた狸がうずくまってますよと、人が教えてくれた。初め野良猫かなと思ったそうだが、よく見ると毛並みがどうも違う。人がしばしば通る玄関前だから嫌でも目に入るわけで、どこか体調を悪くして、うずくまってるらしいのだ。山内ではうちに1匹、開善院に1匹、住み着いている。うちのはげっそり痩せ細って毛並みもよれよれ、栄養失調気味、それに比べると開善院のは、まるまると肥えて、毛並みもつやつやしている。報告によれば毛並みがつやつやだそうだから、これは開善院の狸である。午後からは本堂でともしび会が催され、沢山のご婦人方がやってくるので、それまでには退散願いたいと思い雲水が、側まで行って、しっしっ!と言ったら、のそっと何処かへ行ったそうだ。普通は下水管の中で暮らしているのだから、日中こんな所でうずくまるというのは、余程体調が悪かったに違いない。可哀想だけれど、こちらにも都合があるのでこの様な次第となった。今度は猪の話し。一つ山向こうに在る、伊奈波神社に最近猪がしきりに出没、昨日ついに境内に現れ、茶室の庭を無茶苦茶にしていったそうだ。うちでは昨年やられたので多少費用がかかったが、山側をビリビリ電線で囲い、見事防いだ。で、神社もこの方法を考えたが、何せ広大な境内、周囲は全て山に囲まれたところ、此処をぐるり電線で囲うには莫大な費用がかかってしまい断念。苦慮の結果、猪の嫌う匂いを発するシートを沢山木々に吊す事にしたそうだ。さてこの効果の程は如何か、注目している。ともかく山家の生活は、自然に囲まれ実に良い風情だが、こういう困ったこともいろいろあるわけだ。遅れていた紅葉も漸く始まり、これから暫く毎日、庭で紅葉を眺めながら暮らす。
2009年11月20日
半分こ
ものは半分こにすると一層喜びが増すと言われるが、小さい頃の私は、これと全く相反して、独り占めすることに大いに喜びを感じていた。だから兄弟喧嘩は絶えず、その原因は常に私だった。父は羊羹を4人の子供に分けるときはいつも定規を持ってきて、子供達の目の前で正確に四等分した。特に私の食い入るような目は、たとえ1ミリと言えども狂いは承知しないという目つきであったと、後年母から聞いた。「そんなにガツガツしてたかね~。」と言ったら、「ほっほっほっ!」と笑っていた。その影響は愛犬ハチにまで及び、食い物についてはそのガツガツ振りは呆れかえるほどだ。人間年齢で言えば既に85歳を超える老齢だが、足腰はやや弱ってきたものの、食い意地の張ってると言ったらない。出入りの職方では、特に植木屋さんが大好きで、お茶の時間になると、職人さん達の輪の中にちゃっかり入り込んで、尻尾を振って愛嬌振りまいて、お茶菓子のおこぼれを頂戴する。その為朝やって来たときから嬉しそうに出迎えるのである。さて半分こだが、私も年を経るうち段々成長して、子供の頃の独り占めはすっかり影を潜め、今では半分こして、分け合って食べるのが一番楽しい。一人より二人、二人より三人、みんな一緒に美味しいな~美味しいな~と言い合って食べる方が、美味しさも倍加する。以前何人かと食事をしていた折り、珍しいサツキマスが出された。そうしたら知人が、これを頂いて帰り、末娘に食べさせてやりたいと言っていた。娘と言ってもその頃は、もういい加減な年齢になっていたと思うが、自分が食べるより娘に食べさせた方が一層美味しいのである。味わいというのは、単に量ではなく、心の働きで増すものなのだろう。幸せはこんなものかな半分こ、である。
2009年11月19日
紅葉
例年なら今頃が紅葉の真っ盛りで、隠寮の庭一面に、どうだんと紅葉が同時に真っ赤に色づき、自分一人で眺めているのは勿体ないな~、といつも思う。ところが今年は紅葉はまだまだ、いまだに青々と茂っている有様だ。定点観測で、毎年写真を撮り続けているが、これでは12月に入ってから、紅葉と言うことになりそうである。年々地球温暖化で、12月の臘八(ろうはつ)大接心も、こんな温かさではせっかくの大接心もイマイチ調子が出ぬ。寒苦というが、寒いのが修行には一番良い。以前、秋ロンドンに滞在した折、紅葉の季節だったので、友人に紅葉狩りに行こうと言ったところ、「はあ~っ!紅葉狩りって何ですか?」「紅葉を見て楽しむんだ!」「枯れた葉っぱに見て何処が良いんですか?」だと。唖然としたことがある。ところがNHK番組「クールジャパン」によれば、日本に滞在している外人の人気ナンバーワンは、この紅葉狩りと春の花見だそうだ。紅葉にしても赤や黄色や緑など、微妙に混ざり合って、それぞれが枯れ葉ではなく生きていて、艶があるところは実に美しいという評であった。な~るほど!確かにロンドンの紅葉は枯れ葉であった。これでは紅葉狩りというわけにはいかぬ。尤も、自然林の枯れ葉の紅葉もまた、これはこれで風情があって良いと思うのだが、どうも日本人とは情緒が違うようである。例えば夏の蝉の声なども単なる雑音としか聞かないらしい。だから、「しずかさや岩にしみ入る蝉の声」、この芭蕉の句の趣など、到底分かるまい。春夏秋冬、四季の微妙な移ろいを、膚で感じ、それを楽しむことが出来るのは幸せなことである。脳科学で言うと、左脳の中に右脳がめり込んでいるのが、日本人だそうだ。
クールジャパンでもう一つ面白かったのは、ウオッシュレットのトイレ、皆絶賛していた。確かに外国で五つ星ホテルに泊まっても、トイレは旧態然として、便座はひゃっこいし、ウオッシュレットではない。日本で開発された絶品と言うべきである。早く世界中のトイレがこれになればいいな~と思っている。
2009年11月17日
安楽庵策伝
標題の人物をご存知の方は相当な落語通である。岐阜市出身の落語の元祖と言われている人で、通なら知らぬものは居ないと言うくらい有名な人である。落語は元々仏教の教えを一般の人達にわかりやすく説く、いわば説法として始まった。だから元祖はお坊さんなのである。策伝が創作した落語が今尚伝えられており、例えば「たいらばやしかひらりんか、ひとつとやっつでとっきっき、いちはちじゅうのもっくもく・・・」、というのなどがそれである。私は小さい頃から落語が大好きで、夢は落語家になることだった。それがどう間違ったのか、お坊さんになってしまったのだが、今でも好きでいつも聞いている。最近、志ん朝・金馬などのCDを買い、パソコンに入力、それをウオークマンに移して、いつでも聞けるようにした。ところが買いたてのウオークマンが購入3日目に早や原因不明の故障、固まってしまい動かなくなった。早速保証書を片手に店に行くと、「こりゃ~駄目だ!」で、店員さんが直ぐに新しいのと交換してくれた。精密機器というのは、一端故障すると修理はきかないそうで、勿体ない話しだが、ぽいっ!だそうだ。お詫びの印にと、最近流行のエコ電球60ワットを一つ頂き帰ってきた。今度のはバッチリで、毎日楽しみに聞いているという次第。落語というと、何だか馬鹿馬鹿しい単なるお笑いと思っている人が多いが、どうしてどうして、そんな簡単なものではない。仏大名誉教授、関山和夫先生の書物を読んでいただけばご理解頂ける。と言うわけで岐阜市は落語発祥の由緒正しい土地、毎年日本国中の大学生の落語研究会(通称オチケン)の大会があって、プロ顔負けの話が聞ける。また他にも市内各所で、しばしば落語会が催され、楽しめるのである。追伸、このところしばらくブログをお休みしましたが、これはパソコンのトラブルによるもので、ようやく復活また穴空けないように頑張りますのでどうぞよろしく。
2009年11月10日
病気自慢
瑞龍寺婦人会も老齢化が進んで、一人欠け二人欠けして、今では残党が2,3人僅かに残るのみとなった。中でも大変親切にして頂いたK婦人も86歳で、今日もご子息さんに会ったので様子を聞いてみると、頭はしっかりしているものの、足腰が弱って殆ど寝たきり老人になってしまったそうだ。この方はいつも病気が自慢で、「私は16の病気を抱えています」。と言うのが口癖だった。そう言う割には元気溌剌として、何が趣味と言って、食べることが何より大好き(この点は愛犬ハチとそっくり)な方だった。また大食漢で、そのお年でよくぞそんなに召しあがるとこちらが驚くほどだった。糖尿でお医者さんからは甘いものは控えるようにと再三の忠告も全く意に介さず、お饅頭をぱくぱく食べていた。従って血糖値は当然の事ながら高く、数値を聞いてびっくりという風だった。その他にも眼底出血や手足のしびれなど、体中やまいだらけであった。しかしそう言うときでも大きな病気には罹らず、、「わたしゃね~、16も病気もってるんだから・・・・」と、病気をむしろ自慢する風だった。人間内臓が丈夫な人は長生きすると言うが、この方などはその典型だった。しかしさすが86歳とも成ると、近年は段々弱ってきて、寝たきり老人の仲間入りとなったのである。今日の息子さんの話では、食が細くなったそうで、それが却って良い方に働いて、血糖値は下がり、今まで16もあった病気が次々に改善され、足腰以外はいたって健康になったとお医者さんも喜んでいたそうだ。面白いこともあるもので、寝たきり老人になったお陰で身体が健康になったというのだ。万事楽天的で、「成るようにしかならないのさ」が信条で、からっとしているところが良い。まっ、多少マイペースなところはあったが、幾つになっても童心を失わず、本当に可愛らしいおばあちゃんだった。7月お盆の棚経に行ったら、お仏壇にお詣りし一緒にお経を読み、こうして会えて嬉しいと何度も言っていた。どうか少しでも長生きして欲しいと心から願った。
2009年11月05日
癌とガン
近頃癌で亡くなる人が実に多い。私の周りでも何人か亡くなったが、全て死因は癌である。どうしてこうも癌なのか、ある人と話していたら、それは冷たいビールを飲むからだと言う。確かに一理ある。冷蔵庫の普及と暖房の完備で、氷のように冷えたビールを真冬でも飲むようになった。例えばこれが真夏だとしても、ビールの味も分からなくなるほど徹底的に冷やしたビールに、さらに凍らしたコップで呑むなどと言うのは、どこか間違っている。何でも冷たければいいというものでもあるまい。気の利いたところではわざわざ井戸水でビールを冷やして出してくれる。夏ならこれくらいが丁度いい加減の冷たさで、ビールの味も一段と良くなると言うものだ。兎も角ビールに限らず身体を冷やすものを食べるのは良くないようだ。他には食品の添加物が挙げられる。1週間以上も持つ豆腐など従来では考えられないことである。ものの本によると、中でも明太子と蒲鉾が一番添加物が多く、ミートボールなども、何十種類の添加物まみれの食品だそうだ。我々素人に全く想像も出来ない話で、本を読んで唖然としたことがある。一品目でもこれだから、それを幾つも重複して食べ、然も日々積み重なれば、どう考えても身体に良いことはないし、何らかの悪影響を及ぼすだろうと言うことは誰でも想像がつくことである。さてその癌だが、年間何十万もの命を奪う恐ろしい病気は日本人の二人に一人は罹ると言われている。今、世界中で最も危険な地域と言えばイラクとアフガニスタン、パレスチナガザ地区を思い浮かべる。いつ弾丸が飛んできて殺されるか分からないところだが、しかし考えてみると、こんな危険地帯といえども、二人に一人がgunでやられるわけではない。してみると日本で暮らす方が余程危険極まりないことになる。姿なき形なき目には見えないガンが激しく飛び交う中を、我々は知らん顔して歩いているのと同じである。イラク開戦以来死んだアメリカ兵が三千人以上と言うが、日本では年間何十万人も癌で死んでいる。自殺者も三万人以上もいる。こういう日本は世界中で最も危険地帯なのではないかとさえ思われる。表面的には平和そのものの中で暮らしている様に見えるが、その実体は崖っぷちの際どいところで生きているのである。
2009年11月03日
忘却力
年を重ねると物忘れが酷くなる。これは頭が悪くなったからだと思っていたが、どうもそれは勘違いで、むしろ天の配剤と考えるべきである。年をとるとこれまでの知識や考え方が忘れられず、いつまでも引きずる。過去に捕らわれていたのでは新しいことに挑戦出来ないから、忘れることは良いことなのだ。勉強して知識を詰め込めば思考力が高まると思いこんでいたが、むしろ独創性を阻害する。先ずは頭の中を綺麗に整理する必要がある。その為には余計な物を外に出すことである。升をひっくり返して空っぽにするから新しい物が入るのだ。知識も詰め込みすぎると消化不良を起こし、栄養過多、「知的メタボリック」となる。内田百閒も、「何でも知ってるバカがいる」と言っている。忘れっぽくなると言うことは、空いたスペースを使って、新しい知識を入れ、新しいことを考えなさいと言う合図なのである。これからは人為的に忘れる努力をしなければならない。嘗て平均寿命は60歳、一毛作思想で、人生1回収穫すれば良かった。ところが人生80年時代に成ったら二毛作を考えなければならない。人生の前半で輝かしく活躍していても、後半みじめでは駄目だ。前半の人生より後半の人生の方がましであると言う生き方こそ、充実した生涯といえる。江戸時代の儒学者佐藤一斎がこんな言葉を残している。「少にして学べば、即ち壮にして為すあり。壮にして学べば、即ち老いて衰えず。老いて学べば、即ち死して朽ちず」。人生後半にもう一度新しいことを始めるべきだと言うことである。寿命の短い昔の人でも一生の間には何度も学ぶべきだと言っている。いま高齢化社会で、壮にして真剣に考えないと、人生の第二部が旨くいかない。人生の後半は四季にたとえれば秋を迎えたときと言える。春や夏とはすっかり異なるが、秋の景色も良いね~、と言えれば成功である。素晴らしい秋を迎えるために、前半の人生を忘れて、前を向き、老いの細道を自分の足で歩くことだ。