2009年11月03日
忘却力
年を重ねると物忘れが酷くなる。これは頭が悪くなったからだと思っていたが、どうもそれは勘違いで、むしろ天の配剤と考えるべきである。年をとるとこれまでの知識や考え方が忘れられず、いつまでも引きずる。過去に捕らわれていたのでは新しいことに挑戦出来ないから、忘れることは良いことなのだ。勉強して知識を詰め込めば思考力が高まると思いこんでいたが、むしろ独創性を阻害する。先ずは頭の中を綺麗に整理する必要がある。その為には余計な物を外に出すことである。升をひっくり返して空っぽにするから新しい物が入るのだ。知識も詰め込みすぎると消化不良を起こし、栄養過多、「知的メタボリック」となる。内田百閒も、「何でも知ってるバカがいる」と言っている。忘れっぽくなると言うことは、空いたスペースを使って、新しい知識を入れ、新しいことを考えなさいと言う合図なのである。これからは人為的に忘れる努力をしなければならない。嘗て平均寿命は60歳、一毛作思想で、人生1回収穫すれば良かった。ところが人生80年時代に成ったら二毛作を考えなければならない。人生の前半で輝かしく活躍していても、後半みじめでは駄目だ。前半の人生より後半の人生の方がましであると言う生き方こそ、充実した生涯といえる。江戸時代の儒学者佐藤一斎がこんな言葉を残している。「少にして学べば、即ち壮にして為すあり。壮にして学べば、即ち老いて衰えず。老いて学べば、即ち死して朽ちず」。人生後半にもう一度新しいことを始めるべきだと言うことである。寿命の短い昔の人でも一生の間には何度も学ぶべきだと言っている。いま高齢化社会で、壮にして真剣に考えないと、人生の第二部が旨くいかない。人生の後半は四季にたとえれば秋を迎えたときと言える。春や夏とはすっかり異なるが、秋の景色も良いね~、と言えれば成功である。素晴らしい秋を迎えるために、前半の人生を忘れて、前を向き、老いの細道を自分の足で歩くことだ。
投稿者 zuiryo : 2009年11月03日 15:19