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2010年05月31日
作陶
今日は朝から知人の案内で高名な陶芸家を訪ね、抹茶茶碗を3ケ作らせて頂いた。まず高台のところに平べったい粘土を置き、その上にひも状の粘土で輪を作り、徐々に積み上げてゆき形を作って行く方法である。端で見ていると一見簡単そうだが、これがなかなか難しい。輪を積み上げている内に知らず下へ押さえつけているようで、茶碗がだんだん平べったくなる。先生のご指導で何とからしい物が出来た。まっ、作品の出来栄えはど素人だから、とても見られたものではないが、鬱蒼とした山に周囲を囲まれ、涼しげな風が吹き抜け、静まりかえった緑の真っ只中での数時間が、何とも良かった。新潟の古民家を移築された母屋はがっちりとして、中で坐っているだけでも気持ちが落ち着いてきた。又先生の人柄の良いと言ったらない。どのような人生を歩むとこういう雰囲気の人間が出来るのかしらと思うほど、実に良い。一辺に好きになった。又我々が駅に到着してから食事のお世話、車でのご案内など、ずっと付き添って、最後駅までお見送り頂いたK社長さんのお心遣いには、ただただ申し訳ないの一語に尽きる。それぞれ不思議なご縁で知り合い、人間生きていると、こういう良いことにも巡り会えるのだとしみじみ感じた一日であった。ところでこの茶碗の焼き上がるのは今年の年末頃だそうで、な~るほど、ゆったり時が流れていたもんな~!
2010年05月29日
挫折の危機
ためしてガッテンを見て早速始めた計るだけダイエットだが、早くも挫折の危機に瀕した。今日知人に会ったとき、いよいよ計るだけダイエットを始めたのだと少し自慢げに話したら、実は自分も以前やって、結局食事を少なくすると言うことで、同じように食べていたら全く体重は減らない!と断言されてしまった。つまり計っても計らなくとも、同じ結論なのだというのだ。その人はそれで止めてしまったという。無駄無駄無駄!ガクッときた。しかしそんなことでめげて居たのでは始まらない。折角志を立てたのだから、どういう結論になろうと、半年はやり抜くと心を新たにした。ところで毎朝午前4時にハチの散歩をしているのだが、このところ不思議な光景にぶち当たっている。一つはそんな早朝にも拘わらず、大柄な女装をした男性が正装して、あてどもなく市中を歩いていることだ。始め見たときはどこか目的があって、歩いていると思ったのだが、どうもそうではない。毎日雨が降ろうが市中をぐるぐる歩いているのだ。単なる散歩とも言えなくもないが、それならそれらしい格好があると思うのだが、全くそう言うスタイルではない。もう一つは二十代くらいの若い男が、真っ赤なタイツに、真っ白なひらひらのスカートをはき、上着もどう見ても女性のような格好だ。この男は南から北に向かって歩いて行く。双方共に午前四時というのが何とも不思議だ。うちの寺は柳が瀬という歓楽街に近いので、いろいろな人種がわんさか居るのは別に目新しいことではないが、孤独にとぼとぼとそんな時間に歩いている姿は、どういう事情なのか一度尋ねてみたい気がした。
2010年05月28日
ハチの美容院
ハチは今年で16年、相当な老齢になってきた。以前は時々、風呂場に連れて行って犬用シャンプーで体中を洗ってやっていたが、どうも素人では難しく、ハチも暴れ回って、厄介なことこの上ない。特に冬場は濡れた毛を乾燥させるのが大変なため、一切洗わず春になってからにしていた。ところが半年以上も洗わないと白い毛は汚れて鼠色になり、特に頭は雲水が入れ替わり立ち替わり、汚れた軍手で撫でるから、まるで雲助のようになる。ある時、山内の愛犬家の奥さんが、犬を洗ってくれるところがあると教えてくれた。爾来1ケ月に一度の割で、犬の美容院で洗って貰っている。出来上がると電話があるので受け取りにゆくと、「気持ちよかった~」、と言う顔をしている。人間でも犬でも、入浴後は気持ちが良いわけで、首にサービスのハンカチをかっこよく巻いて貰って、にこにこ顔で帰ってくる。ご機嫌だから、私がそばを通りかかると、直ぐに寄ってきて足元にごろんと横になり、お腹を撫でてと言わんばかりの格好をする。優しく撫でてやると目を細めて、いかにも気持ちよさそうにする。ほのかにシャンプーの香りがして、ストレスまるで無しという雰囲気である。夕方散歩に出掛け、途中猫の餌が撒いてあるところに差し掛かった。食い意地の張っているハチは、ついさっき夕ご飯を食べたばかりだというのに突進、その刹那「ぎゃお~!」と激しい声と共に3匹の野良猫が、ハチに襲いかかった。すんでの所で顔に噛みつかれるところだったが、何とか逃れほうほうのていで退散した。こういう場面になるとハチはまるで弱虫で、悲鳴を上げて逃げ回るだけ。こっちが代わりに足で蹴飛ばしてやるが、敵のすばしこさには適わない。入浴後の爽やかな気分もこれで一辺に吹き飛んだハチは、世間の風は厳しいな~と思ったに違いない。
2010年05月27日
計るだけダイエット
昨日NHKためしてガッテンの「計るだけダイエット」を見て、早速始めることにした。何事も感化されやすい性格上、こういう番組を見ると矢も楯も堪らず始めたくなる。以前姪っ子が、パソコンと連動させた万歩計・体重計を、ダイエットのためにプレゼントしてくれたことがある。しばらく真面目にやって、パソコン上のグラフを眺めて楽しんでいたが、その内殆ど変化しなくなり、知らぬ間に止めてしまった。この苦い経験をふまえ、気持ちを新たにして挑戦してみようと思った。そこで片付けて置いた体重計を引っ張り出し、パソコンから計るだけダイエット実践ダイヤリーをプリントし、準備万端整った。昨夜寝る前にパンツ1枚で計りグラフに最初の点を記入、今朝起きて直ぐに再びパンツ1枚で計ると、何と800グラムも減って居るではないか。目を疑った。しかし間違いなく寝てる間にこんなにも減量できたのである。私はずっと前から寝ている間に猛烈な寝汗を掻く。寝間着が汗でべたべたになり、それが冷えてきて思わず目が覚めるほどである。それならなるべく水分を取らないようにしたら良かろうと素人考えでやっていたら、どうもそれは間違いで、逆に大いに摂取した方が良いのだと解った。ともかく今でも大汗を掻くので、800グラム減はこの水分蒸発によるものだ。結果、折れ線グラフが劇的に急降下、思わず嬉しくなったというわけ。早く夜になって寝る前に計るのが楽しみで仕方がない。と、此処まで書いて一休み、午後10時ジャスト、慎重にはかりに乗ると、何と!昨夜より100グラムも増えてるではないか!折れ線グラフはピ~ンと跳ね上がった。もうガックリ、気力が萎えた。しかしこれしきのことで挫折何ぞしてられない。明日に向かって努力しよう。
2010年05月25日
突然の雷雨
今年は異常気象で、いつまでも小寒い日が続いたと思ったら、突然カンカン照りの猛烈な暑さとなり、まるで真夏のよう。すると今度は少し暖房が欲しいくらいの寒さとなる。一体どう成ってしまったのか。今日も久しぶりに日が差し、少し温かくなってきたら、突如激しい雷雨、バケツをひっくり返したような降り方である。丁度夕方ハチの散歩中、ピカピカ稲妻が走るわ、ゴロゴロと雷鳴轟くわ、目を開けていられないほどの雨、ひどい目にあった。僧堂は例年6月1日から衣替えで、分厚い木綿衣から涼しい麻になる。雲水は規則通りやるが、私はいつも余りの暑さに耐えきれずフライングで、中旬頃には着物も共に麻に変えてしまう。ところが今年はいまだに木綿で平気なのだ。これを見ても如何に冷夏か解る。お百姓さんは野菜・稲などこの天候不順に閉口しているだろう。ところで4月頃は終日鶯の声が庭中に響き渡るのだが、今年は全く聞かれなかった。ともかくこう雨が多くては洗濯物が乾かなくて困る。一端仕舞った冬物の肌着を又引っ張り出して着ている。一方境内草が生えるわ生えるわ、まるで草を栽培しているよう。生け垣は剪定しても直ぐに新芽が伸びて、折角綺麗に角刈りしてもそばからばさばさになってしまう。というぐあいで、季節の変わり目は本当に忙しい。あっという間に早や下旬である。
2010年05月23日
愛犬家
私も犬が大好きで飼っているが、今日散歩中公園で偶然愛犬家のお爺さんにあった。ハチを見て、「あっ、これは紀州犬だな~、幾つになる?わしのところに柴犬で12歳のが居てな~、今朝午前5時に死んだんだ~。首のところに癌が出来て、手術したんだが、1週間泣きずめに泣いて、可愛そうに今朝死んじゃった。わしも一緒に泣いたんだ。裏山で拾った犬だから、その場所に穴を掘って埋めてきてやった」。べろんべろんに酔っぱらって、泣きながら話す言葉もよれよれだった。きっと愛犬の供養のためと、失った悲しさを忘れるために、このお爺さんはお酒を飲んだのだろう。可愛がっていた犬を失った悲しみがひしひしとこちらにも伝わってきた。
君子豹変
今日新聞を読んでいたら「君子豹変」について、興味有ることが書いてあったのでご紹介する。『君子は豹変し小人は革面すという易経の言葉で、立派な人は時に豹の皮の如く黄から黒へ或いは黒から黄へ、大胆に方針を変更する。しかし凡人はただうわっつらを適当に変えるだけである。豹変のどこにも悪い意味はない。ところが今は逆の意味が流布している。ころころ主張が変わる、無節操、無責任ぶりを揶揄する。これは豹の罪ではなく君子の罪である。君子が立派な人、ただならぬ人というイメージから、威張る人、偉そうにしている人というイメージに下落してしまった。そしてまた小人が我々自身であることを忘れてしまった。大いに反省せねばならぬ・・・云々』と続く。成る程、そう言う意味だったのかと認識を新たにした。この君子豹変のように、本来の意味が時代とともに間違って解釈されるようになったのは、まだ他にも沢山ある。お互い気をつけたいものである。
2010年05月17日
雑草
さすが5月も半ばを過ぎると、ついこの間まで遅霜の心配をしていたのが嘘のように、今日は日中28度にもなった。これからお寺では雑草と戦いの日々となる。草を引いてやれやれ終わったと思ったら、最初のところには新たな草が生えているという具合で、にっくき雑草め!である。ところが今朝ラジオで雑草学者の話しを聴いて、認識を新たにした。一口に雑草と片付けられない、実に深い話しだった。現在地球上では砂漠化が重大な問題になっている。数年前エジプトを旅行したときも、道路に砂漠の砂が積もって、広い舗装道路がまるで田舎の小径のようになっていた。恐るべし砂の驚異である。又中国の所謂黄土高原から風に巻き上げられた黄砂が日本にまでやってきて、春風の強い日などはまるで霞が掛かったようになって、大変迷惑を蒙っている。そこで日本と現地の学者が共同研究をして、砂漠に生える草はないかと、世界中の2万種の草から20年間かかって選び、遂に発見したそうだ。この草を砂漠に生やして砂を押さえ込むというわけである。草を生やすのにかくも涙ぐましい努力をしているのである。こういう話を聞くと、引くそばからぞくぞくと生えてくる大地を持っている日本という国は、何と恵まれたところだろうかと思う。草1本生えないところは、土地も痩せて、作物を育てることも出来ないわけである。幾ら広大な国土を有していると言っても、広いだけで余り価値はない。以前中国内陸地を旅したことがあったが、耕して天に至の言葉通り、山のてっぺんまでモザイク模様のように畑が広がっていたが、灌漑設備があるわけでもなく、痩せこけたカラスムギが雑草のように生えているだけだった。山は鬱蒼と茂り、田畑も畦も緑に覆われている日本の恵まれた気候風土に改めて感謝した。だから雑草が生えてしょうがないなどと愚痴ばかり言っておらずに、大いに雑草にも感謝しようと思った。
2010年05月16日
夏みかん
昨日裏山歩きに出掛けようと隠寮の庭を通り過ぎると、椎の木に何羽もカラスが群れて、一斉に飛び立った。何事かとふと傍らを見ると、赤ん坊の頭ほどある大きな夏ミカンが少し食いちぎられた状態で転がっていた。うちの境内に夏みかんの木はないのだから、今飛び立ったカラスどもが何処からか運び込んだに違いない。再び夕方そこを通ると、夏みかんの中身は綺麗に舐めるように食べられていた。よくもあんな酸っぱいものを平気で食べるものだ。しかもあんなに大きな夏みかんどうくわえて運んだものか。確かにカラスの嘴は大きいし図体もでかいが、それにしてももの凄い力に驚かされた。さて今日も再び山歩きのためそこを通ると、又前より大きな夏みかんがごろんと転がっており、既に中身は綺麗に食べ尽くされていた。連日のこの有様、食糧事情が余程逼迫しているためなのか、急に酸っぱいものが食べたくなったのか、全く理解に苦しむ。まっ、うちとしては、中身の無くなった大きな夏みかんのボール状の殻を、片付けるだけだから、さしたる労力でもないが、雑食とは言え、変なカラスがいるものだ。髪はカラスの濡れ羽色というが、この間から度々の雨の中、びしょ濡れのカラスが庭にいたが、本当に艶々して綺麗な真っ黒だった。兎角嫌われ者のカラスだが、そぼ降る雨に情けないような姿のカラスを見ていると何となく同情してしまう。蕪村の有名なカラスの絵があるが、肩のラインに不思議な魅力を感ずる。そこで思うのは、だからあの悪魔の鳴き声、何とかならんものかと思うのである。
2010年05月10日
続、ひょろぴー
前回白衣がいたるところ綻び、バラバラになるまで着ると書いたら、早速神奈川の姉より電話があった。「あんた、縫ってやるから送りなさい!」。ただそれだけ言うとがちゃんと切った。全く情がない事おびただしい。元気にしてるかとか、風邪は引いてないかとか、少しは愛想の良い言葉の一つも掛けられないものかと思う。まっ、ここまで書いて、「あんた!なんてこと書くの!」と再び電話が来たらかなわないので、少々ホローしておくと、かく言う私も、何時もつっけんどうな応対をしているから、どちらもどちらなのだ。姉は私のブログの一番のファンで、あ~何と弟思いのま~ちゃん(小さい頃からの愛称)かと何時も感謝感激している。ところで、悪戦苦闘の末、漸く針に糸を通し、綻びだらけの白衣を縫って縫って縫いまくった。遂に完成。何だか出来上がりは刺し子のでんちのような、やたら縫い糸が目だつものだが、兎も角これで風穴は塞いだわけだ。誇らしい気持ちで着ている。以前ある和尚と話していたら、曹洞宗では住職したら自分の絡子(らくす)は必ず、端切れを寄せ集めて自分で縫うものだそうだ。元来糞掃衣というくらいで、糞塵の中に捨てられていた弊衣を洗って縫い合わせた粗末な僧衣、後に各種の布類を綴じ合わせて作ったものなのだから、私の白衣などは勿体ないくらいだ。現在は布地は有り余るほど有って困るくらいだが、先人の貴い精神は受け継いで行かなければならないと感じた。
2010年05月08日
ひょろぴ~
だんだん暑くなってきたので、真冬用の厚手の白衣から徐々に薄地のに替えた。ところが着始めの時には何ともなかったのが、しばらく立ったり座ったりしている内に、あっちこっち糸が切れて、ほころびが目だつようになった。上に法衣を着てしまえば一応不都合はないのだが、どうも気になる。さりとて数カ所にも及ぶほころびを一針一針縫うのも気が重い。若い頃はそんなことはどうっと言うこともなく、さっさと把針できたが、近頃は針に糸を通すのもおっくうになってきた。この割合で綻べばいつかは着物全体がバラバラになるだろうから、まっ、その時に考えればいいや、と腹をくくっている。ものは考えようで、破れたところから風が入って、適度に涼しく、これもなかなか調子良いものだ。布地はしっかりしているのだが、繰り返し洗濯するうち糸が駄目になってくる。誰か永久ものの糸を開発してくれないものか。ひょろっとよろけると、ぴ~っと破けるから、こう言うのをひょろぴ~と言うのである。五月もはや上旬が終わろうというのに、まだこの寒さ、一体どう成ってしまったのか。午前中は冬物の毛糸のマフラーや帽子を手洗いして、陽に干したところである。ところがよく見たらあっちこっちに虫食いの穴が開いている。いつ虫の奴食ったのか、油断も隙もない。まっ、これも考えようで先程と同様、適度に通風口が出来たと思えばいい。
2010年05月05日
露の如く泡の如し
一昨日、また知人が亡くなった。年齢は89歳だから、長寿を保ったと言って良いわけだが、しかしもうこれで話しをすることも冗談言い合うことも出来なくなるのかと思うと、心の芯が傷む。この方は早くご主人を亡くされ、辛いその後の人生を歩まれた方だが、からっとしていて、独特の明るさが漂っている人だった。一面ゴーイングマイウェイで、かちんと来ることもあったが、それを差し引いても尚余りある性格の良さがあった。ご主人を突然亡くされて一時酷い落ち込みようだったので、四国遍路を一緒に回った。お詣りが進むに連れ徐々に本来の明るさが戻ってきて、終わる頃にはすっかり元気を取り戻された。その後の西国33番札所巡りなども、道中の様々なことが懐かしく想い出される。大変信心深い方で、七月盆の棚経にゆくと、お経は殆ど覚えておられ、後ろで一緒に詠んだ。しかし今、露の如く泡の如く消え去ってしまった。何と人生ははかないものかと改めて身に染みる。自分もやがて、この様にこの世から消え去って行くのかと思うと、暗黒世界に引きずり込まれるような気持ちになる。しかし何人も死から逃れることは出来ないのだから、日々悔いないように生きなければならないと感じた。11時からの葬儀に出掛けると、嘗て運転手をされていて、今は高山へ戻って母親のお世話をしている人とも久しぶりにお目に掛かった。またお孫さんで、今は信州で暮らしている人とも久しぶりに会うことが出来た。みな長い年月を経て、それぞれの道を歩んでいる。祭壇の前でこういう思わぬ再会をし、亡くなられたご本人もさぞ喜んでいるだろうと思った。誰でもいつかは永遠の別れをしなければならない。何れ私があちらに横たわり、こういう遣り取りを微笑ましく眺めることになるのだろう。
2010年05月03日
黒猫
うちの寺にはずっと前から専属の野良猫が居る。真っ黒ですばしこく、餌はきっと門前辺へ出掛けては調達し、悠々自適の生活をおくっている。隠寮の庭は殆ど誰もやってこないから、我が物顔に歩いている。庭の日当たりの良いところでドタ~と寝そべっているが、側を通っても知らんぷり、少しも慌てるところがない。まっ、さして実害はないので、幾ら居て貰っても差し支えないのだが、一つだけ困っているのは、つくばいに水浴びに来る小鳥を狙うことである。時々あたり一面小鳥の毛が散乱していることがあるので、やられたに違いない。三つあるつくばいの内で最も危険なのは、茶室の庭にある地面すれすれのつくばいである。まわりに蛇のヒゲが繁茂しているので、それが格好の隠れ蓑になって、小鳥を狙うのである。この間も庭の新緑を眺めながら、つくばいの周囲をふっと見ると、体を丸めて、まるで自分も蛇のヒゲになったような格好でうずくまって居るではないか。まあその偽装の旨いことと言ったらない。思わず笑ってしまった。手をパチンと打って脅かしてやったら、そそくさと山に逃げていった。そこで今日は、つくばいの周りの蛇のヒゲを丸坊主に刈り上げ、もう絶対に黒猫の奴が偽装できないようにしてやった。ついでにつくばいの中もたわしでごしごし洗って、ピッカピカに磨き上げた。うちにはこの黒猫のほかにも、痩せっこけた狸が一匹、下水の側溝で生活している。時たまこのつくばいの水を飲みに姿を現す。こっちは毛並みも艶々、体もまるまるの黒猫と違って、毛はばさばさ、体はほそほそ、見るからに哀れっぽく、栄養失調かも知れない。
2010年05月02日
ある雑誌を読んでいたら
ある雑誌を読んでいたら、大変興味深い文章があったのでご紹介する。「・・・昨今の不況の主因となったサブプライムローンの破綻を引き起こしたウオール街の住人たちは、人に倍する努力を重ねてあげく、結局努力しないで儲ける方法に手を染めてしまった。にもかかわらず、自分は努力したと強く言う人ほど、自分以外の人々を努力しなかったと切り捨てる傾向にある。今の社会はまさにそのような価値観に満ちている。ところで、人生というのはたった一つの不測の事態によって、全てが変わってしまう。重い病気に罹ったり、肉親が突然倒れたりすれば、初志貫徹など不可能になる。だからこそ手遅れになる前に、人は生きることの意味を突き詰めて考えておいた方が良い。例えば木の枝に雪が積もると、重みに耐えかねて、その枝は曲がっていく。当人は真っ直ぐな枝でありたいと思って生きていても、人生にはそんな場面が幾らでも訪れる。真っ直ぐな枝が自分の意志に反して曲がっていくとき、この雪は邪魔だ、どうしてよりによって俺のところに積もるんだ、と歯ぎしりするかも知れない。しかし、後になって遠くから眺めてみれば、風景はまた違って見えてくる。枝は曲がっているくらいが、枝振りに味わいがあっていいこともある。この世界にはそもそも公平なレースなどないのだ。他人の何十倍も努力して今の地位や収入を勝ち取ってきたと自負している人でも、よくよく観察してみれば決して公平に戦ってきたわけではない。彼は自分の努力を実らせるだけの才能を持ち、自分のコースに予想外の障害物がなかったという幸運に恵まれた、ただそれだけの話しに過ぎない・・・。」とこういう風に文章はまだまだ続くのだが、う~ん、な~るほど!と思ったので、引用させて貰った。
2010年05月01日
失恋
「ゴールデンウイークはどこかへ行きますか?」とアルバイトの学生に聞いたら、「本当は楽しい旅行のはずだったのですが、ふられて凹み中です。」と言った。顔は笑っていたが、さすがに落ち込んでいる様子だったので、「まっ、ものは考えようで、縁が切れて良かったと言うこともあるから、ポジティブに考えて、明るく行きましょう。」と言うと、「そうですね、今は少し立ち直ってきたところです。」とゆがんでいた顔がちょっと直った。若いうちは誰でも一つや二つはこういう経験をするものだから、なにくそと頑張って、元気を出して下さいというと、にこっと微笑んだ。以前、同じ大学の女子学生に、木曽の御嶽山中の滝行の話しをしたら、是非行ってみたいという。ではそう言う変人を2,3人探しなさいと言っておいたら、この失恋学生も行きたいというので、一緒に連れて行くことにした。8月早々、余り水が冷たくない頃を見計らって行く。滝行などと言うとだいぶ古典的に聞こえるかも知れないが、意外とそうでもなく、現代っ子も結構興味を示すものだ。滝に打たれるとお肌がピッカピカになると言ったら、俄然興味を示したのだから、行というより美容くらいに考えているのかも知れない。兎も角猛烈なしぶきを体全体に浴びると身も心も綺麗になるのは間違いないので、多少動機は不純でも、やればやるだけのことはある。さらにそれが失恋から立ち直る切っ掛けになればこんな良いことはない。