2010年05月05日
露の如く泡の如し
一昨日、また知人が亡くなった。年齢は89歳だから、長寿を保ったと言って良いわけだが、しかしもうこれで話しをすることも冗談言い合うことも出来なくなるのかと思うと、心の芯が傷む。この方は早くご主人を亡くされ、辛いその後の人生を歩まれた方だが、からっとしていて、独特の明るさが漂っている人だった。一面ゴーイングマイウェイで、かちんと来ることもあったが、それを差し引いても尚余りある性格の良さがあった。ご主人を突然亡くされて一時酷い落ち込みようだったので、四国遍路を一緒に回った。お詣りが進むに連れ徐々に本来の明るさが戻ってきて、終わる頃にはすっかり元気を取り戻された。その後の西国33番札所巡りなども、道中の様々なことが懐かしく想い出される。大変信心深い方で、七月盆の棚経にゆくと、お経は殆ど覚えておられ、後ろで一緒に詠んだ。しかし今、露の如く泡の如く消え去ってしまった。何と人生ははかないものかと改めて身に染みる。自分もやがて、この様にこの世から消え去って行くのかと思うと、暗黒世界に引きずり込まれるような気持ちになる。しかし何人も死から逃れることは出来ないのだから、日々悔いないように生きなければならないと感じた。11時からの葬儀に出掛けると、嘗て運転手をされていて、今は高山へ戻って母親のお世話をしている人とも久しぶりにお目に掛かった。またお孫さんで、今は信州で暮らしている人とも久しぶりに会うことが出来た。みな長い年月を経て、それぞれの道を歩んでいる。祭壇の前でこういう思わぬ再会をし、亡くなられたご本人もさぞ喜んでいるだろうと思った。誰でもいつかは永遠の別れをしなければならない。何れ私があちらに横たわり、こういう遣り取りを微笑ましく眺めることになるのだろう。
投稿者 zuiryo : 2010年05月05日 09:40