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2010年07月01日
無人の寺
最近所用有って北陸へ出掛けたので、かねてより一度訪ねてみたいと思っていた、うちの寺と同名の高岡の瑞龍寺に参拝した。瑞龍寺で検索してホームページを開くと、最初にこの寺が出てきて、同じ名前のうちはつねに二番目に甘んじているので、何だか頭の上に沢庵石が乗っかっているような気がしていた。曹洞宗の古刹で、加賀百万石前田家の二代藩主利長公の菩提を弔うために三代藩主利常公によって建立された寺である。山門・仏殿・法堂は国宝に指定され、総門・禅堂・大庫裡等は重要文化財に指定されている。広大な敷地に一直線に建物が配置され、周囲は回廊で結ばれ、白砂と芝生がよく手入れされ、整然とした佇まいは誠に美しい。ところが境内に入って直ぐ気が付いたのは、何処にもお坊さんの姿が見られないのだ。また一番立派な建物の法堂の中は隅っこでおばさんがお守りは御札を売っていて、大きな張り紙に、「一つやいと五〇〇円」と書いてあり、香の代わりに藻草の匂いがただよっていた。法堂は元来最も厳粛な儀式である「上堂」を執り行う場所である。この寺が既に本来の寺としての役目は全く失われ、建築物を見せる観光寺院であり、さらにお灸をする治療院になっているのだ。そう思ってお詣りしたせいか、仏さんも何だか寂しげであった。近くにいた拝観券売り場のお爺さんに聞くと、修行僧は誰も居らず、殆ど無人の寺になっているようだ。立派な建物が林立しているから余計寂寞たる思いに駆られた。一般の家でも人が誰も住まなくなると、途端に傷んで、ぼろぼろになってくる。その点、さすが国宝級の建物で、それなりに維持されてはいるが、何ともパサパサして、潤いのない空気は否めない。その中に人間が居て、お経の声が響き、鐘の音が鳴って、香が漂ってこそ寺である。まるで魂の抜け殻のような感じがした。
投稿者 zuiryo : 2010年07月01日 21:23