« 2010年11月 | メイン | 2011年01月 »
2010年12月31日
大晦(おおつごもり)
今日は寅年最後の日、いつもバタバタしてろくな掃除も出来ず不完全燃焼で新年を迎えていたのだが、今年は違う。昨日までに断捨離を徹底的に実行し、居室のさっぱりしたことといったらない。午前中に風呂場・洗面所をごしごし磨き上げ、剃髪を済ませ、後は午後3時半からの隔宿諷経を待つばかりで、余裕の大晦である。朝方雪が降り、午後晴れたので忽ち融けたが、雲水達は最後の庭掃きをしている。また夜中12時の除夜の鐘には、沢山の人がやって来るので一撞きづづ打たせる。その為照明で周囲を明るくしたり、待っている人達に焚き火をしたり、甘酒を振る舞う。これも準備が要るので結構忙しい。まっ、例年のこととは良いながら、これが僧堂の31日である。私も一人暢気にしているのも悪いので、つくばい3ケ所を磨き砂で中をピッカピカにしてやった。途端に待ってましたとばかりに小鳥たちが一斉にやってきて、入れ替わり立ち替わり水浴びをしている。矢張り鳥も新しい風呂の方が気持ちいいのかな~。さて今年1年間、未熟者のブログをご愛読頂き有り難うございました。来年も出来るだけ頑張って書きますので、どうぞよろしくお願いします。どなた様も良いお年をお迎え下さい。
2010年12月26日
年末大掃除
前回にも書いた通り、年末は断捨離でゆくと決めたので、今日から本格的に大掃除を始めた。先ず膨大な書籍の整理である。片付けて良いものが大半で、紐で括ったり段ボールに詰め込んだりして、溢れかえっていた本棚がやたらスッキリしてきた。その気持ちの良いことと言ったら無い。埃も相当なもので、繰り返し雑巾を使っていたら手がかさかさになった。夕方までやってほぼ半分くらいが済んだので、明日、後の半分に取りかかる。今の部屋に移っておよそ8年になるのだが、その間これほど徹底的に整理したことはなかった。先日のテレビ番組を見たお陰である。確かに自分の気持ちの整理にもなった。年末はこの様に大忙しの上、更にお歳暮をギリギリまで贈ってくるので、その礼状や色紙を梱包したりという作業が加わって一層忙しくなる。まっ、この慌ただしさが年末というもので、同じ事を毎年元気でやれることが幸せなのである。ところでこの断捨離をやりながら思ったのだが、近年紙の本は徐々に無くなって、やがて本や雑誌は全てアイパッドなどの電子書籍になるそうである。そうなると今までの出版社は要らなくなり、それを販売していた本屋さんも要らなくなる。インターネットを通じて電子書籍を直に購入するという。本棚も不要になり、堆く積み上げられることもなくなるから、大変便利になる。私が今日終日やった本棚の整理や大掃除は無用で、年末掃除もしなくて済むわけで、これは有り難いことだ。新しもの好きの私としては、直ぐにでも電子書籍の機械を買いたいところだが、どうもまだシステム全体が完成されていないようなので、もう少し待ってからにしたいと思っている。しかし世の中は日進月歩で、我々老人組は付いて行くのも、たいていやない。このパソコンにしてもその通りで、山内の若手和尚で堪能なのが居るから聞きながら何とか操作できているので、もしそうでなかったら、とてもじゃないがお手上げである。機械ものは、説明書きを読んでも皆目分からないし、頭が痛くなる。こういう難解な説明書きを書く奴に腹が立ってくる。しかしものは思いようで、次々に新しい便利な機械が出てくるから、今まで使って無かった脳味噌をフル回転するので、ボケ防止には丁度良い。
2010年12月21日
断捨離
この間テレビで断捨離をテーマにした放送があった。近年何処の家庭でも物が溢れ、部屋中処分しきれないままに堆く積み上げられ、まるでゴミの山になっているそうだ。こうなると見るのも嫌になり、その部屋を「魔界」と言うそうである。私も一応戦前生まれだから、物の無い時代を知っている。学校で使うノートでさえまともな物はなく、ざらざらのわら半紙に、父が毎晩夜なべ仕事に四角いマスを定規で引いてくれて、国語の書き取りに使っていた。習字の稽古なども、半紙は貴重品なので、新聞紙を四つ切りにして持って行き、それで稽古したものである。万事この様な具合で、無い無いづくしだから本当に物は大切にした。ところが最近はその反対で、物が有りすぎて、瞬く間に部屋は物で溢れ、そこでこれを如何に捨てるかが大いに問題なのだというのがこの番組なのである。修行の頃、半年ごとの寮舎交代の時、雲水は大抵行李1つなのだが、年々荷物が増えて、段ボール箱にも入れて移動していると、高単さんから、「お前は妄想が多いな~!」と非難されたものである。心がスッキリしていれば、物は増えないというわけである。そこで断捨離が必要になってくる。これは単に不要な物を整理整頓すると言うだけではなく、同時に自分の心の整理をするのである。ところで私だが、居室は本で埋まっている。年間いろいろなところから頂く本や、自分で買い求めた物が堆く積み上げられている。さっさと読んで片付ければ良いのだが、目の前の事柄に追われているうちに、積もり積もって来るのである。今年はこの番組を契機に年末大掃除で、徹底的に片付けてやろうと決めた。そうして自分の心の中も大掃除しようと思っている。
2010年12月08日
瑞龍寺婦人会
私がこの寺に入るずっと前から、通称瑞龍寺婦人会という組織があった。以前は主催者のA婦人を中心に、相当大人数の集まりで、毎年定期的に会も催され、僧堂外護の大きな力になっていた。しかし中心の方々が老齢化し、会もグット小規模となり、その内の何人かが僧堂行事の時にお詣りするだけになった。しかしそれも一人亡くなり二人亡くなりで、遂に今年は二人きりになってしまった。更にその内のお一人の方も94歳で、お寺に出掛けてくるのも不自由に成り、遂に一人になってしまった。時が過ぎればこういう事もやむを得ないことで、自然の流れではあるが寂しい限りである。私がまだこの寺にやってきた頃は皆元気で、それは賑やかだった。もう30年近く前のことだが、私が鎌倉から来たというので、みんなで1泊2日の鎌倉見物の小旅行をしたこともあった。大仏様の前で記念写真を撮ったり、親しかった瑞泉寺和尚を訪ね、ご丁寧な案内をして貰ったり、本当に楽しい旅行だった。また恒例の2月3日の節分会星祭りでは、参詣人の募集から諸準備に到るまで、皆で手分けして協力して下さった。その収益で、畳替えやら襖の張り替えなど、傷んだところを修理してくれた。平成5年の開山五百年遠諱では、多額のご寄付を頂いたり、様々なことが想い出されて、懐かしさでいっぱいになった。僧堂修行も、外側から支援して下さる沢山の人達に支えられて成り立つので、思えば有り難い存在だった。それも今年で遂に終了となる。私はそう言う多くの人達から沢山の恩恵を受けながら今が在るのだが、どなたにも何もお返しをせず来てしまった。これからどう報いれば良いのか、しきりに思うこの頃である。
2010年12月05日
83歳の居士
般若会という、主に市内の経済界でご活躍されている方々の坐禅会がある。10年ほど前、会員の主催者の方が、77歳の喜寿を記念して、2泊3日居士(こじ)修行を志願された。爾来毎年会員のどなたかが、必ずこの居士修行をやるようになった。で、今年は最長老のT氏が一昨日からやり、午後無事済んで帰られた。老齢で本当に出来るだろうか少し心配したが、雲水と一緒に坐禅・講座・雑巾掛け・庭掃きに到るまで、一緒にやり遂げられた。帰るときにご感想はと伺ったところ、大変学ぶことの多い3日間でしたと、喜んでおられた。今はモミジの葉がひっきりなしに落ちるときで、「いくら掃いても明日になったら元の木阿弥になるでしょう。どうするんですか?」と傍らの雲水に話しかけたら、平然と、「また掃きます!」と言われてしまったそうで、「これには参った!」と言っておられた。僧堂ではごく当たり前にやっていることが、一般の方には大変特別なこととして映るらしく、新鮮な気持ちになりましたと喜んでいた。それにしても83歳にして居士修行をやろうという志には頭が下がる。少し前まで毎朝ジョギングを続けられ、ニューヨークマラソンに参加、遂に完走されたというのだから、スーパーお爺ちゃんである。さすがに髪は薄くなっているが意気軒昂、顔色も艶々して、ますますお元気な姿に敬服した。還暦少し過ぎたくらいで、老僧ぶっている野郎なんぞ、鼻息でぶっ飛ばされる。
2010年12月04日
ホール見学
知人の会社で今度社員とその家族のために様々な催しものを開くことが出来る、素晴らしいホールが新築された。既に11月にお披露目は済まされているのだが、私は丁度僧堂の大接心中でお邪魔することが出来なかった為、わざわざ私と知人のために、特別に今日お招き頂いたのである。このご配慮には大変恐縮した。更に新たに購入したピアノ演奏のために、わざわざ遠方よりピアニストを呼び、ミニコンサートまで開いて下さった。私のような者のために、そこまで細やかな心遣いをして頂き、全く申し訳なさでいっぱいになった。ホールは壁面に絵が掛けられ、コーナーには彫刻作品が置かれ、全体的にゆったりとした雰囲気は誠に贅沢な空間である。その上、遙か遠くの山々まで借景として取り込まれた庭園が素晴らしく、まるで美術館の中に居るようだ。そこで社員は食事をしたり、休憩時間にくつろいだり、家族はイベントに参加したりという、まるで夢のような施設である。近頃はいずこも厳しい経済情勢下に、これほど社員中心に考える会社も希である。またご自宅の庭に版画家のために美術館を作られた。以前完成間近にちょっと拝見させていただいたことがあり、今回全て整った状態を見ることが出来た。更にご自宅も改装され、床暖房の効いた洋間のソフアーにゆったりとくつろぎながら、しばし紅葉の庭を眺めた。その後、1時間ほど車で移動し、琵琶湖北の遠藤周作氏お気に入りの「湖里庵」で、名物鮒寿司懐石を頂く。部屋から広々とした琵琶湖を眺め、贅沢な一時を過ごすことが出来た。会長さんとのご縁も、そもそも全くの偶然からで、思えば何と不思議なことかと、改めて感じた次第である。