« 2010年12月 | メイン | 2011年02月 »

2011年01月31日

大涅槃図

以前ある寺から大涅槃図を頂いた。この寺は相当前から無住で、ついに伽藍の全ては崩壊、残るは境内敷地と背後の山林のみとなった。総代さんが長らく預かっていた寺の頂相や墨跡などと一緒に大涅槃図を、うちの寺に持ってこられた。弊寺と大変因縁の深い寺で、兼務されていた和尚さんの指示でこういう次第となった。さて頂いたのは良いが、この大涅槃図、相当痛んでいて、このままでは飾ることも出来ない状態で、いずれにしても表具をし直さなければならなくなった。いろいろのところで見積もって貰ったが、一番高い所が300万円、一番安い所が65万円、ピンからキリと言うが、こういうのも随分差のあるものだ。まっ、安けりゃ良いというものでもないが、こちらもいろいろ物入りの時期でもあり、出来るだけ安いところでやって貰った。今日それが出来上がって持ってきた。早速本堂に掛けると、大きいだけに見栄えも良く、巻いたまま何十年と保存してあったために退色していないので、絵も随分綺麗である。想像以上に立派になったので嬉しくなった。3月恒例の梅祭りで、本堂を一般公開する。何千と言う沢山の人がやってくるのでその時公開する積もりである。

投稿者 zuiryo : 19:53 | コメント (0)

2011年01月29日

ありがとう

友人がある雑誌に大変興味有る文章を載せていたので、勝手に引用させていただく。『…長年宇宙に潜む法則を研究してきたK氏は「ありがとう」の5文字に、数ある言葉の中でも最高の波動があることを知り、ありがとう、ありがとうと、繰り返し口の中で言い続けると奇跡が起こり望んでいたことが叶うというのだ。具体的にはありがとうを年齢掛ける1万回、例えば35歳の人なら35万回以上唱えるわけである。どうもこういう話しはマユツバものが多く、そんなことであらゆる望みが叶うなら誰が苦労するものか!である。しかもこのありがとうは、心を込めなくとも良いというのである。それなら自分にも出来るかも知れないと、毎朝30分の散歩に、試しに早口で「ありがとう」を言ってみると、1分間に180回、だから散歩だけでも5400回、毎日これを続ければ3ケ月で、自分の年齢掛ける1万回、58万回を超えることになる。それで奇跡が起こるなら、宝くじより確実だ。即実行し、5月末には達成した。それで奇跡は起こったか。何一つこれっと言うようなことは起こらなかった。それどころか、この間にゴルフで右肘を痛めてしまい、ゴルフはすっかり下手になった。翌年、59万回目に奇跡が起こるかも知れないと更に続けたが、何も起こらなかった。僕の「ありがとう」は3年後の11月まで続けられ、その年の最後の61万回で、合計6回、通算360万回に及んだが、ついに何一つ起こらなかった。だがよく考えれば、飽きっぽい自分が何年も馬鹿みたいに散歩しながらありがとう、ありがとうを言い続けられたことがあり得ないこと。身の回りに特別良いことは起きなかったが、不幸なこともなかった。人間、生きていることが奇跡のようなもの、病気もせず、毎日元気に寝て起きていることだけで奇跡と言える。習慣とは恐ろしいもので、爾来、ありがとうの言葉が自然に口から出てくるようになった。それこそ僕に起こった最大の奇跡かも知れない』。我々の宗門でも、「おかげさま」運動というのを相当前からやっている。おかげさま募金というのもあって、一定額溜まると被災地や福祉へ寄付しているようだ。勿論これも大変有意義な活動だが、友人の「ありがとう」口ずさみ運動も良いのではないかと思った次第。

投稿者 zuiryo : 16:44 | コメント (0)

2011年01月23日

ひま人

門前に超ひまな人が住んでいる。猫に牽き綱を着けて、毎日散歩している。散歩と言っても、犬と違って猫はそう歩くわけではなく、殆ど蹲っている。そこでこの人は蹲る猫の傍らでじっと立つ続けているというわけである。然もこの寒空の中。もう何年もこのスタイルは見慣れたから、我々は特別何とも思わなくなったが、考えてみればまか不思議な光景である。大体猫は犬と違って自由にそこら中を歩き回るもので、たとえ飼い猫でもほっておけば夕方にはちゃんと家に戻るものだ。猫が特別もの凄く珍しく高価なものだったら話は別だが、どう見てもこの猫、そこら中に幾らでも居る白黒模様のもの、然もご夫婦共にこれをやっている。今度機会があったらこの理由を聞いてみたいと思っている。次ぎに、最近は午後、葬儀場が幾つも集まっている一角へ散歩に出掛ける。ぐるり一回りしてくると約1時間、うっすら汗をかくほどで、丁度良い運動になる。その道筋一体で、老人が二人一組になって椅子に腰掛け首から筆記用紙をぶら下げ、交通量調査を行っている。今日も私が通りかかったら一斉に二人の老人が筆記用紙にメモをした。はっは~ん、これで私が一人分記録されたわけだ。それにしても実に暇な仕事である。何故かというと、この辺は大きな葬儀でもあれば車や人が往来するが、何もなければ閑散としていて、猫の子一匹通らないところ。こういう調査は大抵車の往来の激しいところでやるものだが、まっ、何か必要があってやっているのだろう。所在なげにじっと坐っている老人を見ていたら、日当は貰っているのだろうが、余りやりがいのある仕事ではないな~と思った。

投稿者 zuiryo : 16:00 | コメント (0)

2011年01月21日

お茶の効用

ためしてガッテンで掛川市の健康長寿がお茶によると解ったと言う話し、な~るほどと納得した。そもそもお茶は我々の祖師、栄西禅師が中国留学から帰国の際、茶の種を持ち帰ったのが始まりであるから、この話し大いに我が意を得たりであった。栄西禅師は留学中、暑さ負けして体が弱ったとき、先輩僧侶から良い煎じ薬だから飲みなさいと勧められ、飲んだところ忽ち快癒した。そこで種を持ち帰り先ず宮中に献上し、その後、師匠の明恵上人に差し上げた。ゆえに明恵・栄西を以て茶の祖と言われるのである。その後お茶は廣く日本中に広まり、今では食事の後、誰でも飲む日常習慣になった。今では元来薬用としてお茶は用いられていたと言うことを知る人も居ない。流行のサプリメントなどを飲むより、お茶を飲んだ方がはるかに良い。それも上等なお茶より普段使いの物で良いそうだ。茶飲み茶碗の底に、かすのような物が淀んでいるが、特にこれが良いらしい。だから飲み干すときは茶碗をぐるぐると回して、その淀みを一気に飲み込む。この番組を見てからと言うもの、何事も極端な私は、寿司屋に出てくるような大きな茶碗で、がぶがぶ飲んで飲んで飲みまくった。ために腹はがばがば、横になるとちゃぽんちゃぽんと音がするほど。寝る間際まで飲むから不眠症。どうも何事もやりすぎはいかん。兎も角是非皆さんにもお茶健康法をお勧めする。

投稿者 zuiryo : 16:11 | コメント (0)

2011年01月20日

初詣

正月3ケ日の間に必ず伊奈波神社へ初詣に出掛け、古い御札は返却して新しいのを頂いてくるのだが、今年はどういう加減か今日まで行かず仕舞いだった。そこでお天気も良いことだし午後思い切って散歩を兼ねて初詣に出掛けた。さすがこの時期では境内も閑散として、顔見知りの禰宜さんが二人で雪かきをしていた。「ご苦労さんだね!」と声を掛けると、頭から湯気を出しながら、「ようお詣り下さいました」とぴょこんと頭を下げた。8日、山内寺院で松尾流松蔭会岐阜支部の初釜の時、伊奈波神社の宮司さんと一緒になったので、「お宅は正月早々60万人もお詣りがあったそうで、商売繁盛で結構ですね~!」と言ったら、「いやいや、どうもどうも」と、満面の笑顔だった。お天気具合で初詣の人数はまるで違うそうで、今年は3ケ日、全て晴れ上がり温かかったから、空前のお詣り増加になったのだ。「神社はお正月が勝負ですから・・・」と、顔綻ばせながら言う宮司の嬉しそうな事と言ったらない。今日もそうだったが、今の宮司さんになって職員教育を徹底されて、いつお詣りしても禰宜さんや巫女さんに至るまで、必ず深々と頭を下げて、「ようお詣り下さいました」と、言葉を掛けてくる。実に感じが良い。僧堂でもそうだが、来客には頭に巻いたタオルを取って、丁寧に頭を下げるように指導しているが、ちょっとしたことで随分気持ちが良いものである。ところで最近パワースポットとか言って、境内に佇んだだけで猛烈なエネルギーを貰える神社仏閣が選ばれたそうだ。伊奈波神社も、その指定を受けた。一体誰がどんな根拠でそう言うことを言い出したのか知らないが、変なことが流行するものだ。幕末のええじゃないかを彷彿させる珍現象だ。でかい看板が本殿前階段下に建て掛けてあった。ひょっとすると空前の初詣客の多さはこれが原因かも知れない。沈滞気味の世の中だから、精々有り難いパワーを貰って良い1年にしたいものである。

投稿者 zuiryo : 14:27 | コメント (0)

2011年01月19日

雪解け

今朝も最初はちらちら小雪が舞って、空はどんより重苦しい雲が垂れ込め、またかよ~!と思わず舌打ちした。しかし、午後になって急速にお天気は回復し、温かな日差しも差し込み、雪も一気に溶けた。道路には殆ど雪もなくなり、一部北側の歩道に残る程度になって、随分歩き易くなった。気持ちいいお天気なので午後も散歩に出掛けた。せっせと歩き出すと汗が噴き出て、分厚く着込んだ上着を1枚脱いだ。手袋も要らなくなり、ポケットはマフラーや手袋など不要品でぱんぱんに成った。寺の境内はこういう街中の様子と違って、山沿いのため雪の吹きだまりで、庭は30センチほど、どっさり積もったままである。全部溶けるにはまだ数日かかりそうだ。可愛そうなのは小鳥たちで、雪に埋もれた地面に餌を啄むことも出来ず、必死に探し回っている。何年か前だったか、お米を撒いてやったことがあったが、白い雪の上に白い米では全く目だたず、結局駄目だった。そう言えば久しぶりに野良黒が台所にやってきた。さすが食料難に陥ったのか、餌をねだりに来たのである。いずれにしても動物たちには厳しい季節になったものだ。この間テレビでヒヨドリが北海道から津軽へ海上移動する様子が報ぜられていた。はやぶさの襲撃を必死に交わし、海面すれすれを命からがら飛んで行く姿には。思わず、「がんばれ~!」と声を掛けたくなった。うちの庭にも良くヒヨドリが来て、メジロやセキレイなどの小型の鳥を蹴散らすようにして水浴びをして行く。だから憎たらしい鳥だな~と思っていたが、あの映像を見てからちょっと同情的になった。それぞれ皆必死に生きているのだと、改めて思ったからである。

投稿者 zuiryo : 20:30 | コメント (0)

2011年01月18日

鉄柱激突

午前4時いつもの道を散歩していたら、後ろから勢いよく新聞配達のバイクが追い抜いて行き、ブレーキを掛けた途端激しく横転、アーケードの鉄柱に激突した。バイクも青年も横倒しになり、ヘルメットがすっ飛んでいる。こりゃ~一大事だ!駆け寄って、「大丈夫か!」と声を掛けると、弱々しく「だいじょうぶです」と答えた。「救急車呼ぼうか!」と問うと、「呼ばなくて良いです」と言う。取り敢えずバイクを起こしてから、青年の体を起こしてやった。脳しんとうでまだぼ~っとしているらしいが、大丈夫のようなので、散乱した新聞を集めて前籠に入れてやった。幸い雪降りのため1部づつビニールに包んであるから新聞は汚れて居らず、そのまま配達できる。倒れた場所が悪かった。滑ったところにアーケードの太い鉄柱があり、もろに頭をぶつけてしまったのだ。もしヘルメットを被っていなかったら、今頃大変なことになっていた。車道にはまだ雪がしっかり積もっていて、そこを走ってきて、アーケードの下は少し濡れている程度だったから、良いと思ってブレーキを掛けたのだろう。しかしバイクのタイヤの溝には雪がしっかりくっついているから、滑ったのだ。前日はもっと雪が深く、新聞配達のおばちゃん達は自転車を押しながら、配っていた。いつもならスイスイ軽やかに漕いで通り過ぎていたのに、これでは時間掛かるだろうな~と、苦労が偲ばれた。雪が積もって良い景色だなんて言ってるのは私だけで、世の中にはその為に大変な苦労をしている人もあるのだと改めて思い知った。散歩で足が雪に取られてかなわんと愚痴っていた自分が恥ずかしくなった。

投稿者 zuiryo : 14:24 | コメント (0)

2011年01月17日

震災から16年

今朝もニュースで阪神淡路震災から16年を報じていたが、もうそんなに成るのかと、改めて年月の早さを感じた。毎度ハチのことを書いて恐縮だが、昨年死んだハチもこの震災孤児だった。何時も1月17日は、ハチと早朝散歩の時、神戸の方に向かって前足を合わせて合掌させていた。ハチは、何しや~がる!と言わんばかりに、もがいて振り解こうとしていたものだ。そんなことがふと思い出され、もう土の中に入ってしまったハチだが、「ハチ!神戸に向かって合掌!」と声を掛けて二人で拝んだ。昨日から雪は降り続いている。長靴を履いてもすっぽり埋まるほどである。参道はまだ誰も歩いていないから、歩き難いったらない。漸く表通りまで出て車の轍の上を歩くと、今度はつるつるでスケートリンクを歩いているようで、これまた歩きにくい。滑らないようにへっぴり腰で歩くから、普段使わない筋肉まで使って、戻ったら妙にあっちこっち痛む。てなぐあいで、雪なんてろくな事はありゃ~しない。うちの建物は温暖な三島の人に設計して貰ったせいか、雪国用になっていないから軒の柱や梁がやたら細め、上屋根からもどんどん雪がずり落ちてくるため、更に軒には重量が掛かる。そのままにしておくと屋根が壊れる心配があるため、柄の長い雪下ろし専用の熊手を作って、それで掻き落とす。これが結構一仕事である。昔から建物の材料は地元産の物、設計や大工も地元の人がいいと言うが、本当にその通りである。職人の仕事はその土地で長年培われた伝統があるので、これは無視できないものである。今もドスン!と大きな音を立てて軒の雪が落ちてきた。雪はもう充分、早く止んでくれ~!

投稿者 zuiryo : 10:19 | コメント (0)

2011年01月16日

大雪

今朝からちらちらと雪が舞って、木枯らしが吹き抜け、剃髪したての頭には寒気が一層染みる。この冷たさは一般の方々には解らないだろうが、頭蓋骨直撃で、中の脳味噌まで凍るのではないかと、心配になるほどだ。いつもの年ならやがて止み、うっすら積もった雪も晴れ上がって忽ち溶けて無くなる。ところが今日は違った。止むどころか益々激しくなって、午後から夜に掛けても降り続け、あっという間に積雪30センチになった。午後9時だがまだ降っている。明日は早朝、人が歩かないうちに皆で雪かきをしなければならない。これを怠ると、踏み固められ、その部分がカチカチの氷になって、何時までもつるつるで危なくてしょうがない。参道だけでも百メートルはあるので、結構重労働である。もう全くやんんなっちゃう。最近はお年寄りでカメラを趣味にしている方が多く、お寺の雪景色が綺麗だと言ってぱちぱち写しに来る。そんな暇があるならちょっとは手伝え!と言いたいくらい。雪にすっぽり埋もれ、真っ白になった庭は、確かに見ているだけなら美しく良いもんだが、こっちはそれどころではないのだ。雪は本当に憂鬱になる。

投稿者 zuiryo : 21:02 | コメント (0)

2011年01月14日

初釜

茶道の新年初釜で、名古屋の家元主催のところと、岐阜支部の初釜も山内のお寺で行われるので、毎年この2ケ所へ出掛ける。先日もある人が、全くお茶の心得がないのに、初釜に参加しなければならなくなり、神経使ってへとへとになったと嘆いていたのを聞いた。私も瑞龍寺に住職したてのころ、お茶の心得も何もなく、立て続けにお茶会に出席しなければならなくなり、へとへとになったことがあった。当時、信者さんが立派な茶室を建てられ、正式な茶事にもよばれて、もうへとへとなんてものじゃない、頭がくらくらするくらい疲れ果てた。懐石料理の食べ方でもなかなかやかましい決まりがあって、それを知らないと矢張り恥をかく。そこで無知を反省して、山内の和尚さんで茶人の方が居られたので、3年間うちの茶室を使って徹底的に稽古した。お陰で一通りの御点前、勿論お茶の飲み方、作法、懐石の食べ方等々、何とか恥ずかしくない程度には出来るようになった。その頃はまた信者さんで還暦・古希・喜寿・傘寿のお祝を、茶事を催してされた方がいたので実地訓練で、随分経験を積むことが出来た。私も10年ほど前、還暦は自分が亭主になってうちの茶室を使って茶事を催したことがある。岐阜の旧家では、こういう催しをしばしばされるので、私もあやかってやったというわけである。修行中は勿論、鎌倉に住職していた頃も、お茶には全く無縁だったので、ここに来てから大変身である。郷に入っては郷に従えである。尤もお茶事はそれに相応しいお道具類が無くては出来ない。茶室はあっても道具のないお寺ではお手上げである。ところが有り難いことに、大変親しくさせて頂いている旧家のご主人が、全てその都度蔵から出して下さる。だから私も真似が出来るというわけなのである。今年の11月に古希やその他いろいろ組み合わせた祝いをするが、これもまず茶会を催してから祝宴となる。兎も角全てお茶事が有ってからだから、その為の道具組みを1年前から始めている。この道具組みというのも専門的には大変難しく、茶会の趣旨に添ってプロデュースすることで、道具の組み合わせの妙を楽しむのである。これも蔵の奥が深くないと出来ないことで、茶事とは高級娯楽であり、社交場でもあるのだ。

投稿者 zuiryo : 19:30 | コメント (0)

2011年01月06日

川上哲治さんのこと

午後日刊スポーツの記者がやってきた。何だろうと思ったら、川上哲治氏の特集記事を連載する企画があるそうで、その為の取材であった。川上さんが監督時代に毎年正眼寺で12月1日からの冬至大接心に参加された頃のことを知っている者が殆ど居なくなり、ご子息さんの貴光さんに紹介されてやって来たという次第。2年ほど前、川上さんと国松さんと3人で久しぶりに一杯やりながら、昔正眼寺で共に修行した頃の思い出話しに花を咲かせた事があったが、こういう昔話しを出来る者がだんだん居なくなって寂しい限りである。さて問われるままに次々に当時川上さんから聞いた話を想い出しながらいろいろ話しをした。ジャイアンツが九連覇したということは奇跡に近いことで、たとえ長島・王というスーパースターを擁していたとしても、それだけで達成できるものではない。この根底には禅の修行を続けられたことが大きく影響しているのではないかというところから、その謎を解くために話を聞きに来たわけである。既に王さんや国松さんにも会って話を聞いてきたそうで、想い出すままに話しをすると、何となく得心がいったようである。「その話し、我々会社勤めをしている者にも通じます」、とも言っていた。禅は諸道に通ずと言うが、本当にその通りで、どの分野にも相通ずるものがあるのだろう。川上さんは90歳を超えられたそうで、プロスポーツの選手は現役時代体を酷使するため、意外と短命な人が多いのだが、余程良いDNAをご両親から頂いたのだろう。当時、バッティングについて、身振り手振り夢中になって我々に話してくれた、少年のような川上さんが彷彿として、無性に懐かしくなった。

投稿者 zuiryo : 18:14 | コメント (0)

2011年01月04日

窮屈な幸せ

今朝年始の挨拶にやってきた和尚さんから聞いた話の受け売り、(その和尚さんも新聞に書いてあったので・・・と仰っていたから、受け売りの受け売り)で恐縮だが、ご紹介させて頂く。一家5人、炬燵に足を突っ込んで暖を取っていると、お姉ちゃん曰く、「四角い炬燵に5人だと窮屈でかなわん。誰か五角形の炬燵を考えてくれないかな~」と言った。な~るほど!ごもっとも。すると末娘が、「四角形で良い、いつもお母さんが私の処へ入ってきてくれるから、余計暖かい」と言った。な~るほど。五角形に仕切ってしまうより窮屈でも皆が寄り添って暖まる方が数段温かいというわけである。私も小さい頃、子供部屋などと言う贅沢なものはなかったから。夕食後は家族全員が一部屋で、母は針仕事・父は新聞を読み・ラジオを聴く者・宿題をやる者・漫画を読む者、それぞれてんでバラバラなことをしていたが、部屋全体では実にしっくり纏まって、目には見えないが家族の絆はしっかり繋がっていたように思う。これは貧しかったから、窮屈でも寄り添って暮らさなければ成らなかったからである。そう考えると、豊かになって子供部屋が独立し、それぞれにテレビやパソコン・オーディオ、更にエアコンが効いた快適な部屋になると、却って家族の絆は失われ、心の温かみはなくなる。つまり豊かさが障害になっているのだ。考えれば何と妙な話ではないか。結果、自分のことしか考えない利己主義的人間が増えて、果ては死んだ親の年金で暮らすなどという酷いのまで出てくる。今経済が豊かになったからだと言ったが、もっとよく考えてみると、それは経済の問題ではなく、確実に心が貧しくなったからである。では何故心が貧しくなったかだが、信心が薄れてきたからではないかと思う。つまり目に見えるものだけを信じて、目には見えないが歴然として存在する「たましい」の世界を見ようとしないからである。今仮に魂と言ったが、目を閉じて耳を澄ませば聞こえてくる心の深奥の声なき声である。

投稿者 zuiryo : 11:04 | コメント (0)