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2011年03月31日
鶯の初鳴き
昨日、早朝参禅のとき今年始めて鶯の声を聞いた。偶然ラジオを聴いていたら名古屋では今日鶯の初鳴きがあったと報じていたから、ほぼ同じころ鶯が鳴き始めたのだ。参禅室の直ぐ前につくばいがあって、そこへいろいろな小鳥が水浴びにやってきて、ぺちゃくちゃと賑やかで、それはそれで好いものだが、やはり鶯は特別だ。例年鳴き始めはまだへたっぴ~で、「ほ~けきょ!」なんて鳴く。一緒に口笛で「ほ~ほけきょ!」と見本を聞かせてやるが、しばらく経たないと上手く鳴けない。ところがなんと今年はいきなり完璧に鳴いたので驚かされた。このように毎年鶯の鳴き声で春を感じる。しばらくすると鳴き声につやが出てきて、声も大きくなって、朝から夕方まで、あっちこっちで鳴き続ける。友人で鶯を飼うのが好きな人がいて、お店に籠を置いて、来る客に美しい声を聞かせていた。近年ついにその趣味も断念、生き餌を探してきたり、夜は袋をかぶせたりと、結構手のかかるものだ。その点うちはまるでお世話はなし、勝手に向こうからやってきて、勝手に鳴いてゆく。餌の心配もなく、だからいつも山に向かって、「ありがとう~ね!」と言っている。
2011年03月28日
ボケの蕾
居室の庭の隅にボケの木がある。2月頃、庭はモミジもドウダンも枯れ枝のようになって寒そうに木枯らしに震えていた。そんな中、無味乾燥な庭の片隅でボケの枝先にちょんと赤い小さな蕾が付いた。よく見ないと目にもとまらないような小粒だが、他に何もない庭だから、その小さな赤い色が春の先駆けのようで、ほっと和んだ。毎朝、坐禅と参禅が終わると、全員で手分けして板の間廊下の雑巾掛けをする。私にも少し担当範囲があって、尻絡げをしてハアハア息を弾ませ拭く。終わると雑巾バケツの水をそのボケの木と杉苔にかける。今年はもう彼岸も過ぎたというのに今朝も零度だった。こんな寒さがずっと続いているにも拘わらず、ボケの蕾は日に日に膨らんできた。点のようだったのが段々大きくなって、ついに今日1,2輪綻び、真っ赤な花を咲かせた。人間は何時までも冬のようだなどと言っているが、自然はちゃんと春を大地から感じて、季節通り花を咲かせた。色彩の何もない冬の庭だから、真っ赤なぼけの花の色が一層目に染みて、目前の春を感じた。連日ニュースは震災被害の状況や、特にお先真っ暗な原発の様子などで気が滅入る。被災された多くの方々のご苦労を思うと胸が痛む。先日も知人がヨーロッパに出掛け、帰路ドイツのルフトハンザ航空に搭乗したそうだ。そうしたら急遽韓国の空港に着陸、どうしたのかと思ったら、そこでドイツから乗ってきたクルーは総て降りて、すべて日本人のクルーに変わったという。成田が原発地域に近いため放射能汚染を警戒してのことらしい。これには驚きましたと言っていたが、外国では日本で感じているより、重く見ているようだ。原発から2,30キロ周辺に住んで居られた方々は避難したわけだが、これから先どの位長期間に亘って避難生活をしなければならないのかと思うと、その深刻さに呆然とする。効率や経済性一辺倒の世の中の仕組みそのもののあり方が問われている気がする。
2011年03月26日
生ゴミ回収
生ゴミ回収も近年は市から委託された民間の業者が専ら担当している。お寺周辺は月・木の週2回で、総門脇が山内計7ヶ寺のゴミ置き所になっている。当番制で僧堂以外の6ヶ寺の奥さん方が後始末係、箒やバケツ持参で綺麗にしている。一般的にはこれで充分なのだが、柳ガ瀬や駅周辺の飲食店街では、毎日相当な生ゴミが出るため特別に契約しているらしく早朝に業者が回収している。私は午前4時くらいから散歩に出掛けるので、丁度この生ゴミ回収と出会す。大抵60半ばくらいの初老のおじさんが一人で運転も生ゴミをトラックに放り込むのもやり、次々に契約店を回っている。その忙しさと言ったらないのだ。端から見ていても、この歳で早朝毎日この仕事も楽じゃないな~と思っている。おまけにカラスがビニール袋を食い破って、辺り一面生ゴミが散乱していると、丁寧にかき集め掃除しながらだから、手の掛かることおびただしい。ある朝、カラオケボックスとマクドナルドの店の前、大量の生ゴミをいつものおじさんが片付けトラックに入れていると、カラオケボックスから出てきた若者が一人、腕を組みながらこのおじさん相手に暢気に話しかけている。「・・・おじさんかっこいいね~」だと。何が格好いいもんか、馬鹿野郎!思わず横っ面張り倒したくなった。いかにも人の良いおじさんは仕事の手を休めず、「・・・こうして働かせて貰えるだけでも有り難いことですよ・・・」と答えていた。野良猫がトカゲを捕まえていざ食う前に、手で左右に転がして様子を見て、それからじっくりと食べるのを見かけることがあるが、あの姿を連想した。本当にこのおじさんが格好いいと言うなら何故手伝ってやらないのだ。腰を屈め一生懸命働いているおじさんを、腕を組みながら上から眺めて、おじさん格好いいとは何と不埒な!こういう馬鹿がのさばっているようでは日本も終わりだと痛感した。
2011年03月20日
東北関東大震災
その日埼玉のお寺と電話で話をしていた。話しの途中、先方の方が、「酷く揺れますので一端電話を切ります!」と言った。???、ものの10秒もしないうちに、私の部屋全体がゆ~らゆ~ら、最初はめまいでもしたのかと錯覚した。実はこれがあの大災害の始まりだったのだ。地震情報を得るためにテレビを付けると、釜石の港が映し出された。直ぐに津波警報が出され、それも高さ6メートルとか10メートルの表示に、スマトラ沖の大津波が頭をよぎった。しかし海は静かで、港で働いている人達もそう慌てている様子もない。ものの20分も経つか経たないうちに、目を疑うほどの惨状となった。それからはずっとテレビに釘付けとなり、特に原発の事故には驚かされた。しばし落ち着いてから知人友人の消息が心配になり電話を掛けたが全く繋がらない。翌々日、インターネットのグーグルで尋ね人を入れたら、ものの数分で直ぐに返事が返ってきた。お寺は大分やられたらしいが本堂は健在で檀家の人達と一緒に避難生活していると判り安堵した。それから間もなく、東京方面の知人から、原発事故で放射能をあびるから疎開させて欲しいと言ってきた。テレビなどではそんな深刻な様子ではなかったので、こちらは暢気に構え、何日以降でしたら結構ですよ、と留守電に入れて置いた。多分切迫した事情を理解していない反応に、呆れかえったに違いない。その後、神奈川の姉に電話して、「そっちは疎開しないのかね!」と問うと、「なに言ってんのよ、そんなのでデマ!デマ!デマ!」、でがちゃん。まっ、人もいろいろで、こういう大災害が起こると必ず風評被害があるものだ。計画停電があったり、スーパーから食品が消えたり、ガソリンスタンドに長蛇の列が出来たりと、不安感をあおる状況を目の前にすると、浮き足たつのであろう。近所の方の娘さんが東京に嫁いで居られるのだが、娘さん一家族、疎開してくると言っていたから、矢張り東京中騒然となっているのだろう。うちでも雲水皆でボランティアに出掛けようと考えているが、インターネットでその方面の団体を検索して調べてみると、いまは却って迷惑が掛かるらしいので、しばらく落ち着いたら出掛けようと考えている。先ずは少しでも募金して支援しようと思っている。先日茨城の関係のお寺の様子が分かったのだが、本堂の瓦が滑り落ち、大変な被害を被ったとようだ。しかしテレビなどでは東北方面が専ら報ぜられ、茨城でもそんな酷かったのかと改めて知った。石原都知事が「天罰」だと言って物議を醸したが、確かにそれぞれ真面目に生きてきて、天罰とは何事かという話しになるが、日本国家全体のあり方の問題として、特に政治では近年のていたらく振りに、そう言いたくなる気持ちも分かる。兎も角この未曾有の大災害に、日本国中が皆自分のことだと思って復興に努力しなければならないと痛感した。
2011年03月10日
村づくり
以前「ガングロ」が若い娘達の間で流行ったことがある。何とも奇妙で気味の悪い格好が流行ったものだと眉をひそめた。ああいう連中は単なる落ちこぼれの目だちがりやだと決めつけていたが、日本人論を研究する学者に言わせるとそれだけではないようだ。以下は松岡正剛氏の「日本力」から引用させて貰う。海外のデザイナーの中には、ガングロに刺激されていろんなヒントを受けている。週刊誌などの扱い方も、上から目線で撮っている。暗くて落ちこぼれている若者という感じである。しかし彼女たちは、「祭り」を作ろうとしているのだ。今の日本社会には祭りが足りない。彼女たちはガングロという村を作って祭りをしようとしている。それはとても健全なことだというのである。つまり○×の学校成績で言えば、×なんだが、○×ではとらえられない別の生き方、別の道を、彼女たちはそう言うフアッションで自分たちの村、コミュニティーを作っている。彼女たちのその後の人生を見ると、大工さんやトラックの運転手、現金収入の職人などと結婚して、良いお母さんになろうと頑張っている。また一時流行った女子高生のルーズソックス、何であんなものが面白いのか、何故流行ったのか、どういう気持ちでやっているのか、全く解らなかった。しかしあれも畳の縁(へり)とか袖口、半襟と同じものだという。少女達はそう言う日本文化にどこかで繋がっている。女の子達はみんな柔らかさが欲しいのだ。これも彼女たちは小さな「村」を都市社会の中に上手くゆるやかに結びつけている。とても柔らかだから永続的なコミュニティーではなく、はかない存在で仮置きだから、直ぐにお母さんにもなれるし、ちゃんとした勤め人にもなれる。さらに日本人論は続くのだが、フアッションやモード文化がどういう風に日本を表現しているか。例えば三宅一生のフアッションなどに良く出ている。彼はこの様に言っている。「ぼくはお米が哲学なんだ。米を哲学にかえて、それでデザインしている」。日本文化というと、わびさびという。本来、「もっと持ち合わせがあれば、このぐらいのものをお出ししたいのに、残念ながらこれだけです」とか、「いらっしていただいたのに、いい料理もないし、茶碗もないので、ごめんなさい」と言って出すのが、「わび」であり「さび」である。わびは「詫びる」。さびは「寂しい」である。本当は上等なのに、それをはずして使う感覚、つまり「引き算の美」がある。何かを引くことで、逆にそこに何かあることを感じさせるということである。とまだまだ話しは続くが今回はこれで終わる。
2011年03月08日
グルメ
私は食い物については無頓着で、何でも口に入ればそれで良しという方だが、食べ物にやたら喧しい人が居る。昔鎌倉に住んでいた頃、友人で私同様の和尚が居た。お互い僧堂生活が長かったから、食い物にとやかく言うのは御法度で、腹が膨れればそれで良い。そんな彼がある時信者さんに、「近くに美味しいラーメン屋さんがあるから行きましょう」、と誘われた。タクシーに乗って走り出したら、どんどん横浜方面に向かうではないか。ちょっとお昼を食べるわけだから、鎌倉市内のどこかと思っていたので、これはどういう事かと訝った。まっ、ご馳走して貰う身なので、お任せするより外無い。遂に横浜中華街までゆき、ラーメンを食って帰ってきたそうだ。「俺には考えられないことだよ!」と、眉をひそめて述懐していた。かくの如く食通というものは、美味しいものが食べられるなら時間や距離は問題ではないのだ。私にも最近までそう言うグルメの信者さんが居た。彼の場合はそんなに遠方まで時間を掛けてまで出掛けることはなかったが、お金に糸目を付けず、豪華版の食事をご馳走してくれて、随分良い思いをさせて貰った。しかし残念なことに急逝され、親友としても悲しかったが、途端に食糧事情が悪くなったことも悲しいことであった。しかししばらく低迷していたのだが、近年後釜の良い信者さんが出来て、また復活してきた。誠に有り難いことである。このように書くと、おまえは人様にたかってばかり居るではないかと叱られそうだが、考えるとその通りで、我ながら恥じ入る次第である。食事はただ食べるという目的だけではなく、一緒に食卓を囲むと、普段とはまた違った雰囲気で話しも弾み、一層親しみが湧いてくる。先日も郷里に帰った折り、親戚の家族と一緒にワイワイガヤガヤ賑やかな食事をしたが、いつも一人でぽつんと食事をする私にはことのほか、嬉しい一時であった。
2011年03月07日
不屈
先日用事があって郷里へ出掛け、姉の家に一晩泊めて貰った。翌日応接間の窓際に、薄紫の花が10数本並んで咲いていた。この花、実に可憐で見るからに弱々しい。クリスマスローズと言うのだそうだ。聞けばこの冬、猛烈な寒さで、一斉に茎がお辞儀をして、花が地面に付かんばかりだったそうだ。ああ、もうこれは枯れて駄目になったと諦めていたら、なんと、日が差して少し温かになったら全部元通り、しゃきっと立って、綺麗な花を見せてくれたと言う。当に不屈の精神である。ちょっと挫折したからと言って、人生もう駄目だと諦めてしまうのは人間だけで、見よ!この可憐なクリスマスローズの生命力を。今、梅のシーズンだが、うちの寺にも戦災にあって丸焦げになり枯れてしまった梅の木がある。幹も枝も総て焼け落ちただ根だけが残った。それが何と20数年後、根っこから1本の枝が伸び、2本3本と増えてゆき、いまや焼けこげる以前と全く変わらぬほど大きく枝を伸ばした。3月には真っ赤な花を一面に咲かせ、それは見事なものである。山門を潜ると直ぐ目の前にあるので、やって来る人は皆、その美しさを褒め称える。クリスマスローズと言い、この梅の木と言い、植物は余分なことを考えないから良い。ただひたすら生きるために懸命の努力をする。それに比べて人間は、ものを考えるから却って駄目になる。下手な考えはしない方が余程増しだ。無心になれば、本来の力が湧いてくるのである。もっと自然に学ぶ必要がある。昨日もNHK「ダーウインが来た」を見ていたら、カイツブリと言う水鳥の生態を放映していた。オスの婚活には笑らっちゃったが、猛烈な水上ダッシュやダンスのテスト等々、どれも生きるための厳しい選抜である。ちょっと見が良かったからと言ってふらっとして、後先考えず結婚し、2,3年もしないうちに臍を噛む思いをする人間などより、このカイツブリの方が余程増しだ。人間は考える葦だといった人があるが、一口に考えると言ったっていろいろで、大半は下手な考え休むに似たりである。そこで敢えて考えの総てを捨てきって、そこから自然に出てくる素直な心地が、正しい道を指し示してくれるのではないかと思うのである。
2011年03月03日
風当たり
先日クローズアップ現代で、お寺に対する意識が変化し、檀家離れが進んでいる実体が報ぜられた。この問題は我々内部では既に相当前から危惧されていた問題で、ようやく世間一般も取り上げるようになったのだ。番組中のアンケートで、仏教に対しては関心があるのに、お坊さんやお寺に対しては、良いイメージではない事がはっきりしていた。これも相当以前から感じていたことである。何百年という伝統に支えられているのを良いことに、あぐらを掻いていたしっぺ返しである。個人的にはもっと世間の人がお寺やお坊さんに厳しい目を向けて、尻を叩いて欲しいと思っている。私の周囲にはずばずばものを言う人が居て、「キリスト教などでは年末にホームレスの人や派遣切りの人達に炊き出しをしたり、せめてお正月中くらいは温かなところで休んで貰うために部屋を提供したりと、奉仕活動を盛んにするが、仏教のお坊さんでそう言うことをしてるのを見たことがない!」と、叱られたことがある。番組の中でも、これからは話して伝えるのではなく行動を起こすときだと、いっていた。お坊さんというと、お説教・法話がイメージだが、それも大事には違いないが、現代社会が求めているのは、目に見える形で具体的に、何を社会に対して働きかけてくれたかである。先日も我々の宗派の管長猊下と話したとき、老齢化社会となって、介護の人が沢山必要になる。その時に実践出来るよう、最低限の資格を取るように運動を起こすと言っておられた。これなども具体的な働きかけの一例である。漫然と手おこまねいているのではなく、世のため人のために有効な行動を起こし、お寺やお坊さんが社会から宗教家として認められるようにして行かなければならない。核家族化が進み人の繋がりが薄れ、孤独な人が多くなってきた今こそ、我々お坊さんが活躍するときである。とここまでは前向きなことをお話ししてきたのだが、現在のお寺の実体は、殆ど世襲制で、子供は親の仕事を、僧侶の自覚もないまま嗣いでいる。うちのような僧堂へ修行に来るのも、規則で何年か居ないと、資格が与えられないから仕方なくやってくる。そう言う連中が世間に出て住職となっても、最初から宗教家としての自覚もないのだから、世のため人のためなど、望むべくもないのである。見苦しい内輪の実体を晒すのは忍び難いが、もうそんなことを言っていられる状況ではない。これは当然の逆風で、私は大いに結構なことだと思っている。そう言う中から本当の宗教家が出現すると思うからである。
2011年03月02日
スランプ
先日、会下の和尚より、この頃ブログの更新が途絶え勝ちですが、どうしたんでしょうかと催促されてしまった。確かに先月などは殆ど書けず、過ぎてしまった。調子の良いときは連日書くのだが、どうもスランプに陥ったらしい。心が澄んでいるときは、枯れ葉がひとひら舞い落ちても、思うことが止めどもなく出てきて、1回分くらいは難なく書ける。つまり近頃濁ってきたのか、眠っているのか、何を見ても当たり前で、余り心が敏感に反応しなくなったのだ。これは余り良いことではない。やはり制間になって、のんびり過ごしているから、緊張感に欠ける。心の糸がぴんと張っていないと駄目。まっ、しかし緩急宜しきが肝心で、張りつめてばかりではこちらが保たぬ。我々の修行は学問のように知識を積み上げて行くのと違い、余分な物を徹底的にそぎ落として行く。それ自身では何も生み出さない。無になっていると、相手に反応して、そこからいろいろな事柄が展開して行くのだから、ちょっとでも濁ると駄目なのだ。と言うようなわけで、野良黒について少々。最近野良黒が大小2匹になった。小さい方が今までずっと住み着いていた奴。大きい方が新参者である。図体が大きいだけに新人なのに態度はでかい。ハチ亡き後、境内勢力図が変化し、専属のカラスも1匹増えた。ハチのお供えのパンを、毎朝やって来て、あっという間にくわえて飛び去る。野良の黒猫2匹に真っ黒なカラスと、我が家は目下黒尽くめである。