« 不屈 | メイン | 村づくり »

2011年03月08日

グルメ

私は食い物については無頓着で、何でも口に入ればそれで良しという方だが、食べ物にやたら喧しい人が居る。昔鎌倉に住んでいた頃、友人で私同様の和尚が居た。お互い僧堂生活が長かったから、食い物にとやかく言うのは御法度で、腹が膨れればそれで良い。そんな彼がある時信者さんに、「近くに美味しいラーメン屋さんがあるから行きましょう」、と誘われた。タクシーに乗って走り出したら、どんどん横浜方面に向かうではないか。ちょっとお昼を食べるわけだから、鎌倉市内のどこかと思っていたので、これはどういう事かと訝った。まっ、ご馳走して貰う身なので、お任せするより外無い。遂に横浜中華街までゆき、ラーメンを食って帰ってきたそうだ。「俺には考えられないことだよ!」と、眉をひそめて述懐していた。かくの如く食通というものは、美味しいものが食べられるなら時間や距離は問題ではないのだ。私にも最近までそう言うグルメの信者さんが居た。彼の場合はそんなに遠方まで時間を掛けてまで出掛けることはなかったが、お金に糸目を付けず、豪華版の食事をご馳走してくれて、随分良い思いをさせて貰った。しかし残念なことに急逝され、親友としても悲しかったが、途端に食糧事情が悪くなったことも悲しいことであった。しかししばらく低迷していたのだが、近年後釜の良い信者さんが出来て、また復活してきた。誠に有り難いことである。このように書くと、おまえは人様にたかってばかり居るではないかと叱られそうだが、考えるとその通りで、我ながら恥じ入る次第である。食事はただ食べるという目的だけではなく、一緒に食卓を囲むと、普段とはまた違った雰囲気で話しも弾み、一層親しみが湧いてくる。先日も郷里に帰った折り、親戚の家族と一緒にワイワイガヤガヤ賑やかな食事をしたが、いつも一人でぽつんと食事をする私にはことのほか、嬉しい一時であった。

投稿者 zuiryo : 2011年03月08日 10:54

コメント