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2011年04月30日
見る人のものに成りけり
過日関係寺院の人が遷化されたので早速お悔やみに出掛けた。帰りがけ、立派に整備された庭を見て、素晴らしい庭を造られたものですね~!と感嘆の声を上げたら、新命さんがわざわざ履き物を用意して下さり自らぐるり1周案内して下さった。私はその規模と豪壮な造りに唯驚くばかりだったが、この掃除をする雲水さんはご苦労ですね~と申し上げた。いつまで経っても毎日のように掃除させられた雲水気分が抜けず、庭の立派さよりそれを綺麗に維持管理して行く縁の下の力持ちの雲水の方へ目がいって、ついこの様に言った。そんなことがあってからしばらく後、今度は津葬があって再びその寺を訪れた。行事も無事済んで帰りがけ、或る和尚さんがその立派な庭を見て即座に、「成金だ!」と言われた。な~る程、そう言う見方もあるのだと、実に面白く感じた。遷化された方は生前、建築と庭づくりが大好きで、隠寮も西本願寺の飛雲閣を模して建てられたという。私の率直な感想は、これだけの莫大な費用を日常会計で賄える豊かさに、羨ましくなった。日々やりくりに腐心しているうちの寺との違いに、単純に、「いいな~!」と思った。同じ物を見ても見る人によって随分違うものだ。ちょっと皮肉を籠めて言えば、見る人の物になりにけるかな、ではないかと思う。「手を打てば鯉は寄り来る雀は逃げる下女は茶を汲む猿沢の池」である。
投稿者 zuiryo : 2011年04月30日 20:06