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2011年05月29日
一念
知人の奥さんで、頭の下がる人が居る。20数年前、高校を卒業後、事情でやむなく即就職、婦警さんになった。真面目でてきぱきした仕事ぶりがが認められついに警部にまで昇進した。女性でこの地位は珍しいそうだ。普通ならそのまま仕事を続け、定年退職と言うところなのだが、20数年後、すぱっと退職し、受験勉強を始めた。嘗て行けなかった大学入学を目指したのである。そしてついに念願成就、入学を果たした。大学生としてまた主婦としてその間、家事一切を切り盛りし、母親の介護も同時にしながら、間もなく4年が過ぎて卒業を迎えるという。「女の一念巌も穿つ」と言うが、当にその見本を見るような思いである。今東日本大震災で塗炭の苦しみの真っ只中に居られる多くの罹災者が居る。テレビや新聞を見るに付け、かける言葉も失うほどで、当に逆境のただ中で、その心中はいかばかりかと察する。家を失い仕事を失い大切な家族まで失い、絶望の淵に佇んで居られる。しかし人間はどんなにうちひしがれ、もう駄目だというような状況になっても希望さえなくさなければ、冒頭申し上げた方のようにいつかは思いを叶えることは出来る。勿論事情は全く違うので、一緒には行かないかも知れないが、心の強さという面からすれば、同じような気がする。津波は人間から全てを奪い取ったが、心までは奪い取ってはいない。灯を絶やさず燃やし続け、どうか立ち上がって欲しいと祈るばかりである。我々幸いにしてその難を逃れた者は、何年経っても支援し続ける覚悟を持たなければいけない。少々電気代が値上げになるとか、消費率がアップすることぐらいの負担は当然のことである。
2011年05月15日
緑のカーテン
この夏はついに中部圏も電力不足になりそうだという話しで、一律15パーセント節電が呼びかけられている。そこで私も酷暑を如何に涼しく乗り切るかを考え、居室をぐるり緑のカーテンで覆う事にした。例年は葦簀を日よけにかけていたが、こんな程度ではとても乗り切れない。早速日曜大工店に出掛け、ゴーヤの苗・プランタン・土・堆肥・蔓を這わせる棒と網等々、しこたま買い込んで作業に取りかかった。プランタンに土や肥料を入れゴーヤの苗を植えるところまではどうっつことはなかったが、長さ3メートルまで伸びる棒と網をかける段になり、梯子に登ると足元がふらついて危なくてしょうがない。窓枠にしがみつくようにして大汗掻きながら先ず1ケ所やり終えた。ここまででもうへとへと、第1ラウンドは終了。まだ3ケ所残っているが、本日のところはここまで。梯子に登って気が付いたのだが平衡感覚が誠に覚束ない。間もなく70歳になるが、想像以上に自分が衰えていることに愕然とした。日曜大工店に行って気が付いたのだが、今年は例年以上に植木コーナーが流行っている。今回もツタを這わせる棒が足りず、取り寄せて貰うことにしたのだが、15パーセントの節電で、皆一斉に緑のカーテンを考え出したようである。原発事故からこうなったのだが、ものは考えようで、今までのように使いたい放題より、節電を呼びかける今の方がまともなのではないかと思う。危険なことは解っていても、快適な日々を過ごすために、我々が原発を作らせていたとも言えるわけで、東電だけを責めれば済むという話しではない。自販機とパチンコを止めるだけで、もの凄い電力節約になると言う話しだが、電気は使い放題、無尽蔵に供給されるという前提で世の中が動いているのがそもそも間違いである。これを機会に一人一人が改めて、便利で快適さだけを追い求めることに猛省する必要がある。
2011年05月07日
がん哲学
がん哲学、などと言う言葉に不審を抱かれたと思いますが、これは私の勝手な造語ではなく、立派な医学博士の書かれた本の表題である。読み進むうちに成る程と合点した。さてがんは今日、日本人の二人に一人は罹り、三人に一人は死ぬという国家の命運が掛かっている重要な問題である。殆どの病気は専門医に診て貰い適切な処置を施して貰えばほぼ完治するが、がんは今なお先端医療を駆使しても難攻不落、完全に治すことが出来ない厄介な病気である。がん治療薬の研究では最先端をいっている学者でも、人類が癌を克服出来るまでには後百年かかると言われている。近年私のかけがえのない友人を次々にがんで失い、小心者の私などは明日は我が身と、ひしひし感ずる日々である。そこで定期的検診を真面目に続けており、幸い今のところ癌の宣告を受けていないが、決して安閑としてはおれない心境である。そんな折り、「がん哲学外来の話」(樋野興夫著)と言う本を読んで、大変興味が沸いたので此処にご紹介させて頂く。
『…顕微鏡で見るがん細胞のミクロの世界で起きていることは、人間社会で起きていることと驚くほどにている。実に独創的かつ自在性に飛んでいる。その智慧と輝く個性には目を見張る。がん細胞のたくましさ、賢さから私達人間社会が学べることは決して小さくない。…がんはたった1個の細胞の小さな遺伝子変異からスタートする。その細胞が分裂を繰り返し10億個にまで成長して初めて1センチの早期がんになる。ここまでに5年から10年かかり、さらに立派な臨床がんになるには20年はかかると言われている。つまりがんが大成するには大変な時間がかかるのである。1000個のがんの芽があっても、大成するのはせいぜい1個、ほとんどは途中で死滅してしまう。生き残るのは相当な強者である。さて問題は何故生き残れたのかである。一つの細胞のがん化から初期病変を経て臨床がんになるまでには、幾つもの階段を上って行く手順を踏まなければならない。がんは辛抱強く尺取り虫の如く、その手順を踏んでいき、決して性急に先を急いだりしない。また与えられた環境に応じて自由に顔つきを変える。がんは自らの形に固執せず、自由自在に形を変えて、たくましく生き延びてゆく。郷に入ったら郷に従う賢さを持っている。また飢餓状態にもめっぽう強い。正常細胞の十分の一の栄養で生きられ、自分で作り出したものを外に出し、その回転で外にある欲しい物を取り込む。先ず自分から与えることで受け取るという知恵があるのだ。大したものではないか。…がんは誰からうつされたものでもなく、いわば、「身の内」なのである。例えると、自分の家から不良息子が出たようなもので、親のコントロールが出来なくなる。親は何とか更正させようと悩み苦しむなかで、何故あんな良い子だった息子が不良になったんだろう?と思って、「不良化のメカニズム」を知ろうとする。この子がこうなったのは、あの時私がもっと…とか、いろいろ気付きが起きて、「客観的視点」を持つことが出来るようになって、共存するコツを得る。…治療法には手術・抗ガン剤による化学治療・放射線治療等々、部位、進行度などによって治療法が違う。その中で最終的には患者自身が治療法を選ぶのだが、判断の決め手は「情報」である。その情報の根拠は「エビデンス」(臨床試験のデータ)である。…病床にいるとき多くの患者は「想い出す」。子供時代のこと・故郷の山川・学生時代のこと・両親のこと・祖父母のことなどを想い出したり考えたりしていると、不思議に現在の自分の問題に立ち向かう勇気が出てくる。… 』。とこのようにまだ続くのだが、大変興味をそそられた本であった。是非ご一読をお勧めする。
2011年05月04日
友遠方より来たる
ゴールデンウイークの混雑の中、わざわざ鎌倉から知人がご夫妻で訪ねてきてくれた。もう30年近く前にたった7年半ほど住職していただけだが、嘗て住んだ土地からこうして人が訪ねてきてくれるのは本当に嬉しいものである。いろいろ話しながら当時の鎌倉のようすが目に浮かぶようだった。奥さんとは初めてお目に掛かったわけだが、それが何と聞けば、嘗ての寺と関係のある家の方で、一層親しみを感じた。人のご縁というのは誠に不思議なものだと改めて思った。奥さんは私のブログのフアンだそうで、早速愛犬ハチの死をお悔やみ頂いた。今でも散歩に出掛けると町内の顔見知りから、ハチが死んでお寂しいことですね~、と声をかけられる。多分私が死んでも、ハチほど思って貰えないのではないかと思う。最近も私のもとで修行していた者が何人かでデジタルホトフレームをプレゼントしてくれた。これは机に立てかけておくもので、ハチの写真を何枚か記憶させると、自動的に画面が変わって、いつもハチを見ることが出来るというすぐれもの。普通の写真違ってテレビ画面のように光っているので、とても良い感じである。いつまでもめそめそ死んだ犬のことを書くのは、憚れることだが、いまだに想い出しては、くしゅんとなっている始末である。先月末に宮城県方面へボランティアで出掛けていた雲水達が夜帰ってくる。早朝お世話になっていたお寺さんの後片付けをして、あちらを午前9時頃には出立するという連絡があった。この時期で途中道路も相当混むだろうが、無事帰山を念じている。