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2011年06月26日
無言館
最近信州へ出掛ける用事があったので、ついでにかねてから一度行きたいと思っていた、戦没画学生の絵を集めて美術館にした「無言館」へ行ってきた。上田市内から30分ほど行った、周囲は田畑が一面に広がるところで、小高い丘のような小山の中にコンクリート打ちっ放しの小さな美術館があった。殆ど訪れる人もなく、数人の人が真剣な眼差しで、1点1点の絵を食い入るように見ていた。それぞれの絵の下には、作家の簡単なプロフィールと、戦没場所が記されていた。殆どが二十そこそこの若さで、美術学生としてこれから活躍が大いに期待された人ばかりである。残された家族は大切に形見として保存されていたもので、長い年月を経て紙は風化してぼろぼろになっているのもある。技術的には未熟だが、いよいよ戦地に向かう間際、愛する人を思い、故郷を思い、可愛がってくれたおばあちゃんを思い、対象に向かって肉薄する眼差しは凄まじく、思わず目頭が熱くなった。数年前戦後60年の節目に、この美術館が注目され、全国何カ所かで巡回展が催されたことがあった。しかしこういう埋もれたところに大きな意味を見出し、ご苦労のすえ美術館まで建てられた人も立派だな~と感じた。以前、知人がたまたまこの美術館を見て大感激し、是非機会があったら見に行くよう勧められたことを想い出した。東日本大震災で、60数年前の戦災を彷彿させるような惨状を見ながら、平和と繁栄の真っ只中で、「足を知る」(たるをしる)ことを忘れてしまった我が身を振り返り、いろいろ考えさせられた美術館だった。
2011年06月19日
静寂
東山魁夷という高名な画家が、「静寂は人にとって神聖なもの、ここにあるのは森厳な自然の威容を前にして、人間の心に起こる敬虔なおもいである。」と言っている。現代は神経を苛立たせるような人工的騒音に囲まれている。排気ガスや汚水の垂れ流しなど、公害の最たるものだが、騒音をまき散らすのも、大きな公害のひとつである。前者が主に身体への悪影響という点から言えば、後者は精神への悪影響と言える。こちらは目に見えず形に残らないから一層被害は深刻である。卑近な例で言えば、選挙毎に一日中がなり立てる街宣車、果ては焼き芋屋の親父の下手な宣伝用歌がスピーカーで辺り一面響き渡り、やりたい放題である。昔は例えば金魚屋の売り声・納豆売り・シジミ売りなどの声、お豆腐屋さんのラッパなど、実に風情があった。以前ある山間部の観光地へ行ったら、不釣り合いな音楽が流れて、なんで?と、首を傾げたくなったことがある。うちの寺も市街地に隣接したところにあるので、否応なく街の騒音は入り込んでくる。幸い百メートル以上の参道の一番奥に位置し、背後は鬱蒼とした山に囲まれているので、まだ良い方だが、兎も角人の多く集まるところ騒音はついて回る。私が思うには、ヨーロッパの都市などに比べると、日本では街の景観と騒音には比較的寛容である。例えば建築なども耐震性や防火さえクリアー出来ていれば良いようで、都市全体としての美しさなどは問題にしない。商店の看板などもやりたい放題、ど派手なのが競い合って林立している。まあその品の悪さたるや、見られたものではない。さらに騒音についても、暴走族のバイク音などは問題外にしても、周りのことなどお構いなしである。さて話しを元に戻すが、「静かさ」の価値と意味について、人間の精神に与える大きさを改めて認識する必要があるのではないかと思う。静かさは人を敬虔な思いにさせるのだから。日本のある人がドイツ滞在中、娘さんが家でピアノを弾いていたら、直ぐに通りがかりの人から、喧しいから即刻止めるよう注意されたそうだ。ドイツではこれは当たり前のことだそうで、これなども静かさの価値観の相違なのだろう。これとは少し話が違うが、以前県の催しでドイツのミュンヘンに行ったことがある。その折りガイドさんから聞いた話に、ドイツでは毎週決まった日に、「窓ガラスを拭く日」というのがあり、これは絶対護らなければならないそうだ。時折作業中足を踏み外して落っこちる人もいるらしいが、やらなければならないらしい。当に命懸けの規則だし、都市の景観を美しく護るためにそこまでやるかと言う感じである。人がごみごみとひしめき合って住む市街地は、景観も騒音もお互い人様に嫌な思いをさせないような配慮がより必要なのではないかと思った次第である。
2011年06月14日
開館20周年記念展
栄三・東一記念美術館の開館20周年に土屋禮一展が企画され、今日はそのオープニンである。土屋先生には、うちの寺に龍や雲など本堂障壁画をご寄進頂いた事もあり、爾来大変親しくさせて頂いている。芸術院会員に成られたときは岐阜市やご出身の養老町あげて盛大に祝賀会も催した。今回は先生のお師匠さんに成られる栄三・東一両先生の美術館で催されたこの個展は実に相応しく、良い展覧会だった。昨晩もこの飾り付け諸準備があった折り現場で先生にお目に掛かり、その後久しぶりに奥さん共々、絵のお弟子さん方と一緒に近くの料理屋で会食した。先生は話題豊富で話は尽きなかった。そこで迎えた今日のオープニング、こじんまりした美術館に溢れんばかりの人人人で、クーラーも効き目無く、大汗掻いた。東一先生の長女の江里さんや、長縄先生にも久しぶりにお目に掛かれて、楽しい一時であった。土屋先生の20代の若い頃の作品から現代のものまで網羅され、特に牡丹の大作や雲シリーズには圧倒された。先生の家には天上を抜いていつでもごろんと横になると空が眺められる特別の部屋があるそうで、雲は一時もじっとしていないから、即座に描くのだそうだ。その為にはこういう部屋が必要だそうで、さすがその道のプロになると違うものである。今度私も本を出すのだが、その装丁・挿絵など土屋先生が全てやって下さることになった。中味の文章がお粗末なので有り難いやら恥ずかしいやら、勿体ない話しである。しかしご縁とは有り難いもので、30年師家をさせて頂いていると、図らずも身に余る光栄に浴することがあるもので、人生も捨てたものではない。沢山の方々のご厚情に応えるためにも、なお一層修行に励まなければと改めて思った次第である。
2011年06月10日
愛犬家
小川洋子いう作家をご存知だろうか。数学を小説にしたり、博物館をめぐる不思議な物語を書いたり、文章の切れ味も良く、注目している作家の一人である。この人がときおり随筆を新聞の文化欄に寄稿している。今日の、「月夜の散歩を老犬と」には、ハチのことを想い出した。小川氏の愛犬ラブは14歳を迎える老犬で、『…最近特に何かを哀願するようにかすれた声を響かせる。独りぽっちにされると途端に鳴き出す。側に行って撫でてやると落ち着きを取り戻し、うとうとし出す。やれやれこれで安心と二階へ戻ろうと立ち上がりかけると、前足をぴょこんと膝の上に載せ、「どこにも行かないで…」という目でこちらを見つめる。それからふとラブの死ぬことを考えたり、「いいや、違う」、何度も自分に言い聞かせ、犬を可愛がって、慈しんで、一日でも長く一緒にいられるように、ただそれだけを心の底から願うことが出来ればいいのに、残念ながら人生はそう単純に出来ていない。「生きるってことは、平和なもんじゃないですよ」と哲学者スナフキンも言っている。さて夜泣き防止に一番効果があったのは、寝る前にもう一度散歩することだった。夜の10時過ぎ、住宅街を一緒に歩き、公園の植え込みをクンクンする。月だけが私達を見守っている。散歩に出ると、普段と違う暗闇に畏れることもなく、元気に歩いた。もう既に颯爽と歩くことが出来ず、後ろ足をよろよろ引きずっているラブに向かって私は言った。「撫でることで少しでもお返しできるのなら、いくらでも撫でてあげるよ」耳の遠くなったラブは、私の声に気づきもしないまま、ただ月を見上げるばかりだった。』以上抜粋して文章を転載させて頂いたが、読みながら、ハチとの15年5ヶ月が地の底から立ち昇るように蘇ってきた。
2011年06月06日
スケッチ
久しぶりに先生と友人二人と共にスケッチに出掛けた。場所は嘗て修行した道場の山々を望む田圃のど真ん中であった。曇り空でそよそよと心地よい風が吹き抜け、暑からず寒からず絶好のスケッチ日和で、農道の隅っこに3人坐って描きだした。伊深の里は永年見慣れた風景だが、よく見ると実に絵になる景色である。無相大師がこの地を選ばれたのが何となく分かるような気がした。さて3人並んで描いていると、近くで農作業していた人が寄ってきて覗いては、「うまいもんだな~」などと褒めてくれた。真ん中に座っていた先生の絵を見て、「この人のが一番上手い!」と言うので、「そりゃ~先生だもの!」。次ぎに私のを見て、「この人は、あっちの景色を見ずに先生のばかり見ながら描いている」、ギクッ!鋭い指摘である。時折通りがかる人がちょいと覗いては去って行く。近年私が伊深にやって来るのは、法要儀式の時だけで、直接お寺に行き、終わればそそくさと引きあげる繰り返しだったから、こんなに何時間もじっと坐って景色を眺めることなど無かった。良いところで修行させて貰ったものだと改めて感じた。田舎の人はのんびりしていて、覗いてはしばらく話しをして行く。その内さっき覗いていた人がお茶をぶら下げて再びやって来た。「暑い時期だから、熱中症にかかるといけないので、コンビニでお茶を買ってきたから飲みゃ~」、と言って冷えたお茶を呉れた。まあ何とご親切な、「やっぱり開山さまのお里の人は違うわ!」、と有り難く頂戴し喉を潤した。昼食を済ませ場所を移動して午後からもう1枚描いた。そこはもっとへんぴな山間の集落が点在するところであった。そんな場所に一軒の喫茶店があった。誰がこんなところまで来てお茶を飲んで行くのだろうと不思議に感じた。我々もそこで先ずコーヒーを飲み、目の前に広がるテラスからの景色がなかなか良いので、お願いして場所を貸して貰い、また三人並んで描きだした。すると驚いたことに、結構次々に客がやってくる。知る人ぞ知る店なのかも知れない。ベランダには安楽椅子が幾つも並べられ、皆足を長々と伸ばして山里の景色を眺めコーヒーを飲んでいる。ここからの眺めは連なる山々で一面の緑のため、描く方には大変難しいところだったが、四苦八苦してもう一枚描き上げ夕方帰ってきた。曇り空でも紫外線を浴びたのか、鼻の頭が真っ赤っかになって、心地よい疲労感と共に一日が終わった。
2011年06月02日
あとみよそわか
禅堂場では掃除を大変やかましく言う。寺を訪ねて山門に佇めば住職が解ると言われる。昔同僚で小僧をして居た者から聞いた話だが、師匠は毎朝庭を掃き、真冬に葉1枚落ちていなくとも掃くので、「無駄じゃないですか?」と言うと、「箒目をたてるのじゃ!」と言って黙々と掃いていたそうだ。禅僧とはそう言う者だが、幸田露伴という作家の掃除についての蘊蓄も相当なものである。娘の幸田文が随筆の中で詳細な遣り取りを書いている。例えばはたきをかける場面では、『はたきをかけますと言ったら言下に、「それだから間違っている」と、一撃のもとにはねつけられた。先ずは整頓が第一なのであった。次ぎに何をすると考えたとき、はたくより外に無い。「なにをはたく」「障子をはたく」「障子はまだまだ!」「わからないのか、ごみは上から落ちる、仰向け仰向け。」やっと天井の煤に気がつく。はたきが届かないときは仕方ないから箒で取るが、絶対に天上板にさわるな。煤の箒を縁側ではたいていたら叱られた。…ようやく障子をぱたぱたはたき始めると、待ったとやられた。「はたきの房を短くしたのは何のためだ、軽いのは何のためだ。第一おまえの目はどこを見ている。埃はどこにある、はたきのどこが障子のどこへあたるのだそれにあの音は何だ。嫌な音を無くすることも大事なのだ。あんなばたばたやって見ろ、意地の悪い姑さんなら敵討ちが始まったよって駆け出すかも知れない。物事はいつの間にこの仕事が出来たかというように際だたないのが良い。」毬(イガ)のような痛さをまぜて、父の口から飛び出してくる。「いいか、おれがやって見せるから見ていなさい。」房のさきは的確に障子の桟に触れて、軽快なリズミカルな音を立てた。何十年も前にしたであろう習練は、さすがであった。技法と道理の正しさは、まっ直に心に通じる大道であった。…掃き掃除は、とにもかくにも済んだ。箒と平行にすわって「ありがとうございました」と礼儀を取った。{よ~し」と返事が来た。起って歩きかけると、「あとみよそわか。」?、とふりかえると、「女はごみっぽいもんだから、もういいと思ってからももう一度よく、呪文をとなえて見るんだ」と云った。「あとみよそわかあとみよそわか。」晴れ晴れと引きあげて台所へ来ると、葦簀を透して流しもと深く日がさし込んでいる。』文章はまだまだ事細かく父親に仕込まれるようが書かれているが、明治の人間の生き方、生活振りなど、掃除を通して垣間見ることができ、大変面白い随筆であった。