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2011年07月30日
割烹
お寺の近くで夫婦二人きりで小さな割烹店をやっている人と親しくしている。把針灸治の折に時たま利用させて貰い、安くて心のこもった料理に舌鼓を打っている。たいしょうは私より一つ下で、いたって元気な方だったが、2,3年前癌を患い、回復してその後元気に元通り働いていたのだが、また最近再発して2度目の手術をした。回復の具合はどうなのか大変心配したのだが、すこぶる順調で、抗癌剤も殆ど副作用もなく、2,3日前から再開した。人生の大半を板前としてやってきたので、仕事をしているのが一番心身共に楽なのだそうだ。「いや~、仕事もせずにぶらぶらするくらいしんどいことはありませんな~!」と言っていた。聞くところに依ると、手術が無事済んで、まだ麻酔が効いていて朦朧としているとき、無意識のうちに料理を作る所作をしたり、何々を仕込まないと間に合わないから・・・などとうわごとを言ったそうだ。意識が回復してから看護婦さんにそれを指摘され、「そうだったですか~!」だったと言う。道一筋と言うが、体に染みこんだものは、こんな緊急場面でも、自然に出てくるのだろう。禅では正念相続というが、生きている道は違っても、禅僧もこれくらい体に染みこんだら一人前と言える。気の置けない友人と茶飲み話をしても、自然に修行の話しになるようでなければ駄目だ。割烹のたいしょうの話しからとんだ横道にそれてしまったが、世の中のどんな事柄を見ても直ぐ修行に結びつけて考えてしまうのだ。
投稿者 zuiryo : 2011年07月30日 11:11