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2011年10月22日
島根の神楽
もう十数年前になるが、僧堂時代の後輩が若くして亡くなり、友人数人と共に法要に出かけた。前晩先方の計らいで1時間ほど山奥に入った鄙びた温泉に案内してくれた。鬱蒼とした山に囲まれわずかな集落が散在するところだった。型通り温泉に浸かり、久しぶりに顔を合わせた嘗ての同僚とご馳走に舌鼓を打ちお酒も頂いて口もなめらかになり、大いに昔話に花を咲かせた。食事もすんだ頃、今晩これから村の集会所で神楽がありますので是非ご覧下さいと、五百円のガリ版刷りの吹けば飛ぶような入場券を配った。彼は僧堂時代のずっと後輩で、今はゴルフ場の支配人をしながら寺を維持しているという話だった。両手に缶ビールとスルメをどっさり抱えて行きましょうと誘った。歩いて五分ほどの小さな小屋に三人掛け位の木の椅子が雑然と並べられていた。すでに小学生の子供が数人、笛や太鼓、シンバルを小型化したような楽器をチャカチャカ鳴らしていた。その様子を見ただけで、我々は舞台に背を向けて持参の缶ビールをぐびぐびとやり、歯の訓練みたいな堅いスルメをむしゃむしゃやってお喋りに興じた。そのうち舞台には数人の大人も加わって、八岐大蛇退治の演技が始まった。 失礼ながらガタピシの小屋といい、小学生参加の学芸会でも始まるのかと、心の中では半分馬鹿にして眺めていた。ところがしばらく単調なリズムと竹と紙を貼った八岐大蛇の大きなぬいぐるみを見ていたら、体の奥の方からえも言われぬ感覚が呼び覚まされた。我々全員、舞台に吸い込まれるような気持ちになった。もうビールどころの沙汰ではない。目を輝かして見とれた。約一時間ほどで神楽は終わり、帰り道、皆で本当に素晴らしいものを見せて貰ったと、案内してくれた友人に感謝した。聞けば島根では各集落ごとに神楽のグループがあって、毎年競演会が催され、どこの集落もこれを目指して、毎日練習に励んでいるのだそうだ。伝統芸能と一口に言うが、魂を揺さぶられたこの経験は、後ずっと私の心に残った。さて今朝偶然テレビを見ていたら、島根のこの神楽が取り上げられていた。フランスの高名な舞踊家でバージュさんという人が、我々同様に島根の神楽に感銘を受け、ついには島根に住み着いて、新しい舞踊の振り付けを創作中ということであった。神楽のこの不思議な魅力は、日本人にだけしか解らないだろうな~と思っていたので、このニュースにはもう一度驚ろかされた。深いところで魂を揺さぶられるほどの感銘というものは国籍を超えているものなのだと解ったのである。
投稿者 zuiryo : 2011年10月22日 15:55