2011年10月26日
貸手責任
今朝新聞を読んでいたら大変興味深いことが書いてあったので、引用させていただく。イソップ物語に有名な「アリとキリギリス」の話がある。夏の間アリが懸命に働いているのに、キリギリスは遊びほうけていた。冬になって蓄えのないキリギリス。アリに食料を分けてくれと頼むが、断られ餓死してしまう。ギリシャの財政危機問題で、ギリシャをキリギリスに見立て、ドイツをアリになぞらえる見方が多い。確かにギリシャは分不相応の大盤振る舞いをしたというほかはなく、冬になってアリに泣きついているキリギリスに見える。しかしキリギリスにしては非常に意気盛んである。債務救済の代償として年金や福祉の大幅切り下げを求められたのに抗議して、街頭で火炎瓶を投げたりしている。このあたりの感覚がわかりにくい。日本人から見れば、自業自得であった、キリギリスは謹慎してしかるべきと思われる。池尾和人教授がネットに示唆的な寄稿をしている。これはギリシャ問題が起きる前に「貸手責任」について論じたもの。『銀行というものは返せそうな相手にだけ貸すべきで、返済できなくなかった場合は自分の審査能力の低さにこそ思いをいたすべきである。無茶な返済を求めるべきではない。それがつまり「貸手責任」ということだ。ドイツは自らをアリにたとえ、ギリシャをキリギリスだと云って、一方的に非難していられる立場にはない。ドイツの工業力が秀でていることは罪ではないにせよ、ギリシャなどの南欧諸国に金を貸し、その金でドイツ製品を大量に買わせた。ドイツは成熟した先進国になっているにもかかわらず、輸出主導型の経済発展路線から脱却できていない。その結果、維持不可能な経常収支の不均衡が生じ、ギリシャ危機に至った。つまりドイツには貸手責任があるのであって、責めの一端を負うのは当然だ。そう考えると、米国の国債を買いまくって、米国の赤字垂れ流しを支えてきた中国と日本も、反省すべきが多々あろう。であるから21世紀版イソップ物語は書き換えの必要がある。「アリさんは困ったキリギリスが越冬できるよう助けてやりました。情けは人のためならず。めでたし、めでたし、である。』 これって本当に痛いところをついた論である。経済の問題だけではなく、他の分野でも言えるのではないかと感じた。
投稿者 zuiryo : 2011年10月26日 16:45