2011年11月08日
入制大接心
一日から恒例の入制大接心に入り、昨晩無事終了し、今日は把針灸治で朝から弁事をとって皆外出している。私にとっては30回目の雪安居入制大接心である。30年前、瑞龍寺に入寺して20日ほどですぐに雪安居入制になり、この僧堂が今までどのような大接心をやってきたのかもまるで解らず始まった。驚いたのは正眼僧堂とは天地ほど違うと云うことだった。当時40歳になったばかりの血気盛んなころだったから、徹底的に改革した。半年たったら雲水がほとんど帰ってしまった。今度来た老師はひどい人だ、これではとてもじゃないが毎日が大接心で、とてもじゃないがやってられない。これが評判になって、以降一人も雲水がやってこなくなった。私の方から云わせれば、これが普通なので、ようやく並の僧堂になったということである。3年たってたった一人の雲水になった。二人で庫裡の廊下を雑巾掛けし、境内の草引き・掃き掃除、毎日作務で明け暮れた。その後徐々に雲水も増えて、私が目論んだ規矩の通りに日々行われるようになった。今振り返ってあの時頑張ったお陰だと懐かしく思い出す。13年目でなお前向きに頑張っている筆頭の雲水が、私の意図を汲んで何もかもリードしているので、今では安心して任せている。私自身も今年古希を迎えあっちこっち節々が傷み、以前のように溌剌としているわけではないが、規矩が揺らぐことはない。僧堂の生命はいかに規矩がしっかり保たれているかである。国の法律のように公に文章化されているわけではないので、師家の裁量でどうにでもなると云う側面がある。だからこそ一層自ら襟を正し、伝統を護持して行く高い見識が問われるのである。4年後、僧堂を創建された隠山禅師の二百年諱を迎え、目下諸堂の修理をしている。こういう有り難いご縁に遭遇できるのも、頑張ってやってきたお陰かな~と思う。
投稿者 zuiryo : 2011年11月08日 15:13