« 芋食えば・・・ | メイン | 未練がましい紅葉 »
2011年12月03日
七五三
11月は七五三シーズンで、近くの神社でも、特に休日とも成ると朝からひっきりなしに親子連れの七五三祝いで溢れかえっている。参道には露天が並び、まるでお祭り騒ぎである。だからこのシーズンは神社近くは通行しないように工夫が要るほどだ。近年この七五三詣りがやたら多くなってきたように思われる。私は戦中生まれで、該当年齢の頃は戦後の混乱期だったから、七五三祝いの沙汰ではない。毎日食って行くだけでもやっとこさであった。だから今のように両親とお爺ちゃんお婆ちゃんなど、一家揃って着飾って記念写真を撮っている姿を見ると、こちらまで幸せな気分になる。当時七五三の祝をして貰えなかったからではないが、昨年或る親しい人と話していたら、それって七五三になりませんかと言われ、いかがでしょう、この際七五三の茶事と祝宴をやりましょうと云われ、やることになった。古希・出家50年・師家30年、以上で七五三となる。やるとなると特に茶事は一年前から計画しなければならないそうで、昨年11月第一回の打合会を持った。爾来何度も会合を重ね、道具組みには試行錯誤を繰り返し、結局今年の10月頃ようやく固まった。本格的茶事を催すというのはこんなにも大変なことなのかと云うことを知った。会場は七五三祝なら神社に限ると云うことで、親しい宮司さんにお願いし、立派な茶室を拝借し、祝宴も参集殿でおこなった。普段から親しくお付き合いさせて頂いている知人や坐禅会の方々を中心に約80名ほどお集まり頂き、和気藹々楽しい会を催すことが出来た。30年前鎌倉から転住したときは誰一人知った人はおらず、文字通り孤立無縁だった。それが30年経って、親しくして下さる人たちがこんなにも沢山出来て、お忙しい中遠路お出で下さったのは有り難い限りである。偶然重なったのだが、「あとみよそわか」、と言う題名の本も完成したので、お出で頂いた方々に差し上げることが出来た。平生脚光を浴びることのない私にとっては唯一晴れがましい席で、みんなからお祝の言葉を掛けて頂くと、何だかふあふあした気分になった。茶席ではお点前は弟子で山内の副住和尚が代わって点ててくれたので、私は脇に座って亭主役をやった。道具類についてはあらかじめレクチャーを受けていたので、お陰で恥をかかずに済んだ。すべてが大盛会で無事円成できたのは、もっとも親しくご支援を頂いたO氏のお陰で、幾たび頭を下げても下げ足りないほどのご厚情を頂いた。私にとってこんな幸せなことはなかった。
投稿者 zuiryo : 2011年12月03日 11:59