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2012年01月28日

起単留錫

今日は制末の起単留錫である。午前8時半から講座、その後に行われる。一制中修行の総括である。自分で自分の顔を見ることが出来ないと同様、自分の欠点は自分では気が付かないものである。それを上の物から指摘して貰い、次の修行に役立てるのである。人間は誰でも知らぬ間に我見で一杯になって、しかも凝り固まっている。丁度升の中にがらくたがてんこ盛りになっているのと同じで、後からいくら良いものを注ぎ込んでやろうと思っても、そばからこぼれてしまう。これではいくら周りに良いものが溢れかえっていても、その人の中へは一つも入っていかない。参禅でも同様なことが言える。頭が馬鹿だからこっちの言うことが分からないのではなく、自分の考えで凝り固まっているから、こっちの言うことが入って行かないのである。ではこのがらくたをどのように捨てるかだが、難行苦行以外にはない。苦しむことが捨てることになるのだ。坐禅を組むと悟れると思っている人が多いが、坐禅を組んでも悟れない。坐禅は心の中を全て捨てきって空っぽにするだけである。そうすると知らぬ間に周りの良いものが身体の中に入ってくる。だから自然に真理に近づくのである。言うは易く行うは難しで、苦しむことが大好きなどと言う人間は誰もいない。しかもこの苦行はこれだけやったらこれだけ良い結果が得られたという具合にはいかない。進んでいるのか退いているのかさえ分からない。こういう暗闇の真っ直中で真っ向前進する気概が何より大切なのである。今日の起単留錫で雲水一人一人にこういう想いが伝わってくれたら嬉しいな~と思っている。

投稿者 zuiryo : 2012年01月28日 11:12

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