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2012年07月31日
人間村
一昨日、大変親しくさせていただいているある企業の会長さんのお招きを頂き出かけた。それは、30年掛かって、「企業は人の集まり、人そのもの」、と言う考え方を具体的に実践され、ようやく完成したので、30年の歩みを集大成した本を出版された。その報告を兼ねてわざわざ私ともう一人の方を招いて下さったのである。私のような者がそう言う大切な事柄にお招きいただく資格があるのだろうかと思ったが、今までも常に重要な時には必ずご招待いただいてきたので、その例にならって出かけた。いろいろお話を伺って解ったことは、そもそも人間村を始められたきっかけは、会社が未曾有の大ピンチに陥りあわや倒産寸前になったとき、企業再生の最も重要なことは社員一人一人の力だと悟り、そこから30年に及ぶ「人間村」の遠大な構想を立ち上げられたということである。この会社の一番の特徴は実に社員を大切にすることである。それもすることが半端じゃない。徹底している。最近も社員食堂を完成されたが、まるで美術館の中で食事をして居るみたいで、庭に出れば美しい芝生が広がり高名な彫刻家の作品があり、贅沢だな~と思わず声が出るほどである。企業は当然のことながら浮き沈みがあるわけで、トップと社員との対話集会が頻繁に行われ、これによって得たものが、「愉しい会社づくり」であり、人間を中心とした経営を目標にすることであった。それを30年の長きにわたって実行し続け、企業経営の上にもちゃんと成果が現れているのである。つい目先の利益追求に目が行きがちだが、急がば回れで、ともかく人間が大きいのだ。当日も地域の子供や社員の子供を集めて「こどもの日」イベントとして、プロの劇団が宮沢賢治の物語を音楽劇にして演じていた。これも是非見ていって下さいというご要望で少しの間観させていただいた。こういう催し一つとってもすべてが本物志向で、30人ほどの子供達が観ていたが、勿体ないような質の高さなのである。企業はどんどん海外へ進出して国内の空洞化が心配されているが、この会長さんの考え方はそこに一石を投ずる様な気がした。
2012年07月18日
消費税
またまた新聞のコラムからの引用で恐縮だが、大変興味深く読んだのでご紹介する。「増税の前にやるべきことがある」。消費税の増税が議論されると増税反対の政治家が必ず言う言葉である。では先にやるべきこととは何か。国会議員の歳費を含む公務員の賃金カット、特別会計の埋蔵金没収、政府資産の売却。やりたければやっても良いが、やらなければならないことは別にあるのではないか。ドイツと日本を比べて、どちらが財政事情が悪いかは言うまでもない。格付け会社はドイツ国債を最上級とする一方、日本国債はそれより3段階低い。そのドイツで年金支給開始年齢を65歳から67歳へと段階的に引き上げつつある。日本でもやらないと年金制度がうまく回らなくなりそうだが、国民の反発をおそれ踏み切れずにいる。元財務事務次官・日銀副総裁を歴任した武藤敏郎氏は次のようなことを言っている。少子高齢化が急速に進んで、社会保障制度を崩壊させないためには高齢者向けの給付削減が不可避だ。「所得代替率」で考えると良い。所得代替率は年金や医療などの給付額がその時点での現役世代の平均賃金の何割かを示す。その適正水準を考える作業が必要になっている。今現役世代の一人あたりの所得は320万円、社会保障給付費は250万円、所得代替率は78パーセント、約8割だ。これを維持してゆくと、税と保険料を合わせた国民負担率は現状で38パーセントなのが、50年度には68パーセントになる。給料の7割を国家に召し上げられる。55パーセント程度で済ますにはと逆算すると(ドイツが今53パーセント)所得代替率は56パーセントということになる。つまり今から約3割、社会保障給付を削減する必要がある。消費税率を10パーセントにするのは社会保障制度を維持するための第一歩でしかない。その後今のような社会保障水準を続けるなら、消費税は24パーセント以上に上げないといけなくなる。だが社会保障を切り下げれば10数パーセントで済むだろう。その議論をしなければならない。と説明した後、武藤さんがつぶやいた。「年金の3割引は分かるが、医療給付の3割引って何だろう?風邪ぐらいなら、布団をかぶって寝ていろと言うことかな」。この文章を読んで直ぐ感じたのは、政治家が言う増税の前にやるべきことがあるというのは、だから今増税なんかしなくて良いんだというニュアンスにうけとられがちだが、先にやるべきことは、医療費の大幅削減など、お年寄りには辛いことや、消費税は10パーセントどころか20数パーセントに上げろと言うことになる。こういう事実にはほっかぶりして、足らない分は国債発行して借金して賄っておけば、後は野となれ山となれだ。こういう無責任極まりない政治家を支持する人がいまだに多くいると言うことは全く嘆かわしい限りである。
2012年07月16日
アサガオ
緑のカーテン第2弾として、今年は朝顔を植えた。昨年はゴーヤで懲りた。葉っぱは青々と茂り、灼熱の日中もしぼむことなく、さすが南国の植物と感心したのは良かったのだが、実がなってなって、連日の収穫で疲れた。その上、雲水達もさすがに食べ疲れ、もう結構ですと言うではないか。確かにあの強烈な苦さには私自身も閉口した。そこで今年は一転、緑のカーテンはアサガオにした。日曜大工店で種をしこたま買い込んで、5月早々に撒いた。毎日せっせと水やりを続けた結果、すくすく伸びてついに屋根まで達し、それ以上は行き場がないので、つるが絡み合って束のようになった。色とりどりの種を撒いたので、次々に咲いてそれは美しい。が、つい通常の倍くらい撒いたために生えすぎて、昼尚暗い状況になった。私の居室は二方が窓になっており、元々明るすぎる位明るい部屋なのだが、日中から電気を付けないと本も読めなくなった。これでは節電になっていないわけだ。何事もほどほどと言うことがあるのだと自戒している。こういう調節が旨くできないのが私の欠点で、目下継続中のダイエットもちょっとやり過ぎかな~とも思う。今は美味しいものを食べるより、ヘルスメーターに乗って日々減って行く体重を見る方が何倍も喜びを感じているからやめられないのだ。知人から沢山トコロテンを頂いたので、せっせとそれを食べている。ずっと食べ続けると病みつきになって、今度はトコロテン病になった。まっ、原料は海草だから体に悪いことはあるまい。何事もやり出したら突き刺ささってゆくこの性格を止めてくれる人はないものかと思案している。
2012年07月15日
国民総幸福
ブータン国王ご夫妻が来日されて以来、様々なメディアでブータンという小国の幸福感が取り上げられている。元世銀副総裁の西水美恵子氏が15年前、世銀の仕事で初めて訪れたブータンで思ったことを書いている。一部をご紹介させて貰う。『ブータンを旅して「懐かしかった」という人が多い。初めて仕事で訪れたとき、細胞からにじみ出てくるようなあの懐かしさは、未だに体に残っている。近代化を急ぐ過程でわが国が失った文明を描いた「逝きし世の面影」にはこのように書かれている。幕末から明治にかけて来日した外国人による膨大な著述をもとに、日本人が西洋化にはしって失ったものを生き生きと蘇らせてくれる。「陽気な人びと」「簡素とゆたかさ」「親和と礼節」などと多面的に描く各章を読み進むにつれ、ブータンでの自分に重なった。彼らも私も同様に、国民がいろいろな形で表現する幸福感に目を見張った。1889年、来日した英国の詩人、E・アーノルドは、歓迎晩餐会のスピーチで、日本の文明を「命を甦らせるようなやすらぎと満足を授けてくれる」と評した。逝きし世の面影の著者、渡辺氏は「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の存在をできうる限り気持ちのよいものにしようとする合意と、それにもとずく工夫によって成り立っていたという事実だ」と言う。ブータンの先代国王も、固有文明を重視し文明喪失の代価を国家絶滅の危機と捉えた。その背景には、インドと中国に地続きで挟まれる地政学的リスクを持つ国が、人口70万人弱の小国どころか、まとまりにくい多言語・多民族国家だという厳しい現実がある。「我が国は小人口の小さな国であるがゆえに、国家固有のアイデンティティーを守る以外、独立国家の主権を擁護する術を持たない。富や、武器、軍隊が、国を守ることはできない。国家主権の象徴たる紛れもないアイデンティティーを持たなければ、ポピュラーな異邦文明へ傾倒し、我らの文明は絶滅する。水が出た後、水路は造れぬ」。この総幸福は文明の持続的発展を国政の中心に置く、その真意が包括的な危機管理にあると知る人は少ない。日本はその逆で、政治と経済の低迷に後押しされる人材流出が国家経済を空洞化する。この数年来、スーパーシチズンという呼び名の国籍を超越する中産階級が世界中で増えている。人作りが国作りではなくなる21世紀のグローバルリスクだ。その到来にわが国の政治家が気づいている様子はない。』。実は来年ブータンに行こうと計画している。通り一遍の旅行者が果たしてこの幸福感を実感できるか疑問だが、西水氏は、「私のDNAが祖先の故郷を覚えているのだろうか」とさえ感じたと言っているが、ぼんくらぼんには無理かもしれない。
2012年07月12日
因果
連続放火事件現場に挙動不審の人物が付近をうろついていた。写真まで撮っている。さてこの男を放火犯と決めつけることが出来るか。否である。何故なら放火事件と現場における彼の存在の間には、相関関係はあるとしても、そこに因果関係があるかどうかは見極められないからだ。彼は火事と聞くと居ても立っても居られない「火事オタク」なのかもしれない。つまり相関関係をどれほど注意深く観察しても、そこから因果性を導き出すことは出来ない。にもかかわらず、私たちは実に多くの場合、相関関係から因果関係を導き出す。長寿者が多いこの村では、伝統的にヨーグルトが沢山食べられている。だからヨーグルトには長寿の秘密がある。お茶どころでは胃ガンの発生率が低い。だからお茶には抗ガン活性がある。これは地球温暖化の問題でも同様なことが言える。過去150年間、大気中の二酸化炭素は確実に上昇している。気温も上昇傾向にある。この数値の変化は同じような増加傾向を示している。両者には相関関係あると言える。しかしだからといって、両者に因果関係があるかどうかは言えない。二酸化炭素の温室効果によって気温が上昇した、これが定説だが、実は後先が逆なのかも知れない。別の原因で気温が上昇し、その結果二酸化炭素濃度が上昇したのかも知れない。気温が高くなると、気体の水溶性が低下するので、二酸化炭素が海洋にとけ込みにくくなっているのかも知れない。相関関係から因果関係を立証するのは実に大変な作業である。現在科学技術をめぐる諸問題において、この判断の切り分けが極めて曖昧になっている。それを見分ける能力が本当の意味の科学であり教養とよべるものではないか。以上はある学者の文章を引用させて貰った。近頃テレビや新聞などで足腰が痛むひとはこれを飲めばいいとか、目がしょぼしょぼしたひとはこれ、疲れやすいひとはこれ、一粒でレモン何十個分とかやたら宣伝が喧しいが、人間の身体はそんな単純な構造で出来てはいない。バカも休み休み言えと言いたいくらいだが、これが結構繁盛しているというのだから全く愚かなことである。商売の邪魔するなと言われそうなのでやめるが、昔の人の知恵を謙虚に学ぶことが肝心と思うのである。
2012年07月05日
糖尿病危険域
近年ドックの検査結果で境界型糖尿を指摘され続けていたが、何とか再検査は免れ辛くもぎりぎりを保っていた。ところがこの6月ドックでついに再検査提出書類が封入されてきた。平生ほとんどベジタリアンで、主に野菜中心の食事である。豆腐・もずく・野菜サラダ(シソドレッシング、ノンオイル)・ナスのしぎ焼き等々、ご飯は5分突き米に古代米を2割、小豆入り、それに野菜の具入りみそ汁。以上が献立でほとんど毎日変わらない。昼食はざるそばを少々。日々の運動は裏山を歩くこと1時間20分、他に早朝30分散歩。これをほとんど連日続けているのだから、充分すぎるくらいである。これで糖尿危険域とは何とも納得しかねる。良く他人はお坊さんは酒飲みが多いから晩酌をやってるんでしょうなどと言うが、とんでもないことで、毎日夕食後は雲水の参禅があるから、そんな暢気なことはやっていられない。ごくたまにお付き合いで友人に誘われて食事と言うこともあり、そんな時は確かに一杯もやるが、焼酎に氷を入れたのを少々で、出来るだけ注意をしているのである。これだけ聞いただけでもその涙ぐましい健康管理は表彰状ものだと自負しているのだが、体重は一向に減らないどころか却って徐々に増えつつある。一体何処から栄養を摂取しているのか我ながら解せぬ。中国鍼の先生は、正確に口に入れるものを書きだして点検してみなさい。知らぬ間に間食で饅頭を食べていたりするものですと言う指摘を受けた。そう言われてみれば、確かについ饅頭に手を出したり羊羹をぱっくりやったりしているのだ。先日鎌倉の友人の和尚がやってきて、見ると今までとは見違えるようなスリムな姿に変身、どうしたのかと聞くと、血圧が2百数十、鼻血が出て止まらなくなり救急車で病院へと言う羽目になったそうだ。爾来徹底的にダイエットを始めこのようなスリムな身体になったという話。内容を具体的に聞いて驚いた。実に徹底しているのである。自分のあまりにも杜撰なダイエットに唖然とさせられた。何事もやり始めると火の玉になる性格上、翌日から猛烈なダイエットを始めた。毎日ヘルスメーターに乗るのが楽しみになった。まっ、見ててご覧なさい、体重10キロ減を遠からずご報告できると思う。
2012年07月04日
またノラクロの話
愛犬ハチ亡き後、すっかり後釜に入ったノラクロは日々お寺のみんなに馴染んで、今やすっかり誰が見てもお寺の飼い猫になった。先日も葬儀から帰るとちょこんと通用門前に坐って、「ご苦労様でした!お帰りなさい!」と言わんばかりにいるではないか。これには一同思わず笑った。そんなことがあって一層親しみを感じるようになり、いままでは特定の雲水にしか身体を触らせなかったのが、ついに私が撫でてやっても逃げなくなった。そうなると人情が更に沸いてきて、可愛らしさも一層つのる。耳の後ろ側が虫に食われて毛が抜けていたのも、虫を殺す液を塗ってやったら、かゆがっていたのも治り毛もふさふさ生えてきた。赤い首輪もすっかり板について真っ黒にマッチして本当に可愛らしくなった。ところがここ2,3日ばったり姿を見せなくなった。雲水の情報によると、最近ライバルのもう一匹のノラクロとケンカになり、どうも負けたらしい。うちのクロが餌をたべていると背後から襲いかかってくる。だからおちおち餌も食べて居られない。このようにライバルクロは、「あいつばかり可愛いがられて、おれはおもしくろくね~んだ!」と、日頃の鬱憤が爆発したわけだ。今日もいつもの場所にキャットフードを置いてやったがついに現れなかった。まっ、元々野良なので、生活力は逞しいだろうから、我々が心配することもない。又困ったらやって来るだろう。